先日は2箇所の原発反対デモに出かけてみました。

芝公園から東京駅まで、従来通り?お行儀の良いデモと「素人の乱」高円寺のデモ。
色んな意見があるが、まずは出かけてみる事って重要だと思う。

何かの映画にあったが「足を使う事が最強の伝達」なのは、間違いない。

特にネット上で、書き込んだりすると、さも参加したような錯覚に陥り易い。
チェニジアに始まった民主化の動きも、ネットの世界から外に出た事に意味がある。

実際、政治は素人が語れないモノであっては、全く民主主義じゃない。
その意味で、多様な意識の素人を抱えるデモは、問題もあるけど、意義も大きいん
じゃないかと思う。

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都知事選の事も複数の人に見解を聞かれたので書く事に・・

4年前は、時期都知事選に出馬するか・・なんて考えもした(笑)
少数の賛成と多数の反対意見・・資金難やら現実的に意味あるのか??と言う問いやら
色々考慮した結果・・・諦めた。まあ懸命かな・・

個人的には、消費・経済の建て直しが最善?の考えが全く気に入らない。
消費とは、自然と労働者固有の時間の搾取以外の何物でも無いと思う。

更には、海外追従の現状も、全くナンセンスに見える。
経済も軍事も、おおよそ世界の常識?に従うばかりで、自国のビジョンが無い。

土地の所有・資源の所有・今や水も金で買う。まあ、インフラが金を取ってるように見えるけど。
いずれ、日光や空気さえ金を出さないと手に入らなくなるだろう。

今回の原発事故で、安全な土地、空気、水、食料・・は、大分減った。
当然、安全は高価になる。

貧しい人(金の無い人)は、汚染された地域で暮らす事を余儀なくされるかも知れない。

実際、国内でも貧しい地域に原発や廃棄物処理場が出来る。国内の反発が高まれば
途上国に金を出し廃棄する羽目になる。


オルテガによると国民とは、同一の目的を持つ人々の事らしい。
今のところ、消費し放題の安定!と金持ちの安全が、この国の目標に見える。

個人的には、国を挙げて、世界の常識に対抗したらよかろう・・と思う。
およそ世界のマトモな人たちが描く理想の実現に向けて。
何せ理想は、いつまでも観念でいすぎる。


日本の政治には、世界の常識を作ろうと言う気分がまるで無い。
「どこの国にも軍隊はある・・」は、「他所の家にはゲームがあるから買ってくれ・・」
と言う小学生みたいに見えない事も無い。

正論や理想は、多くの人が分かっている。
けど、実際にその通りにはならない。
殆どの人は、現状が大きく変わる事を恐れるからだ。
それは、都知事選の結果にも現れた。

石原氏再選は、多くの人と同じく、全くの予想通り。
ワタミ氏と東氏が票を割る事も、彼らを含め、殆どの人が想像していたと思う。

個人的には原発全廃を望むが、こうなった以上、唯一、国に物申せる?
石原氏に、一定の活躍はしてもらいたいので、今後の言動に注目したい。

実際、有権者は投票したら後は知らない・・・って事が多すぎる。
石原氏再選で、全てが終わったわけじゃないし。

変な予想だが、実際、石原氏が任期を全うしない可能性も高い。

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OKUBOアジアの祭り  http://okubo-asia.jugem.jp/

東日本大震災被災者応援チャリティーOKUBOの集い

「日本福音ルーテル大久保教会」http://www.jelc-tokyo.org/

3,26 土曜日 午後1時会場  

※単一乾電池をお持ちの方 是非お持ちよりください。

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以下、開催の目的

東日本大震災被災地住民さん (外国籍を含む)への寄付

首都圏での災害に備える  「多文化協働の活動」

※来場者のカンパは 全て日本赤十字社をとおして被災者へ送ります。

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☆「災害に備え多民族協働の活動を」

1、日本に暮らす外国籍の方々(バングラディッシュ・ミャンマー・韓国・エチオピア)
  を交えたトーク

2、被災外国籍住民の現状報告

3、物資輸送・ボランティア活動の現状報告

☆被災されたみなさんへおくる歌・ことば・アクション

出演 庄野真代 森田智子 蓬バンド チュウタリ(パンチャラマ・サラバンラマ)


OKUBOアジアの祭り  http://okubo-asia.jimdo.com/

大久保ルーテル教会  義捐金を募ります。

時間のある方、ボランティアも含め参加してください。

今週末3月26日土曜日 13時から16時


☆多文化防災トーク 昨年のアジアの祭り同様、日本に暮らす外国人ゲストの話を聞きます。
☆被災地の外国人  
☆被災地出身の方の話

☆チョータリ パンチャ、サラバンラマ ネパールの笛とタブラの兄弟
☆庄野真代  「国境なき楽団」 両方とも、伴奏は、鼎人pf加藤実


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遠水(えんすい)は近火(きんか)を救(すく)わざればなり

遠くの親戚より近くの他人って事だけど今風なら、「隣人携帯より強し」かな・・・


テレポーテーションでも発明されない限り 物理的な距離が引き起こす問題は解決しない。

自分の家族を、海外に出す場合、心配なのは、その言葉も知らぬ異邦人を、見知らぬ人々が
その政府が、守ってくれるのか・・と言う不安だ。

外国人を排斥する事だけを、述べる述べる人々は、自らが弱者になる可能性すら想像出来ない。
仮に対立する国家が、その利益のために、送り込んだ人が居たとしても、そうで無い人々も居る。


今回の地震、放射線の問題で、大久保はすっかり静かになった。
突然の停電の可能性を知らせに、行きつけの台湾レストランに出向いた時、
お店の家族は、店を閉めて帰国する準備をしていた。

「ありがとうね・・私たち帰る事にしたよ。ごめんね・・・」

4月中には戻って来るらしい。


彼らや、その家族の不安の要因は、この国の行政かも知れないし、彼の国の印象かも
知れない。

隣人となった、大久保住民の有権者として、隣人としての責任も無いわけでは無いだろう。

地震や津波の被災地、全ての外国人住民には、選択の暇も無かった事を思うと、
近くの他人の質は、社会の基礎そのものだと言える。





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原発での中継を聞きながら

サンテグジュペリの生涯を思い起こしていた。


命をかける方向にしか 人間の本能を満たす幸福などないのだ

女が、子を産むように 救助隊が被災者を助けるように

それは二つの命が 結ばれる瞬間だし、彼らが得る幸福を殆どの僕達は知らない



臨時召集された退役自衛官?が、「ここで行かなければ、一生後悔すると思うんです」

その言葉は、ドラマの俳優のそれと、全く違う響きを持つ。

大きな感動と尊敬と、やっぱり、ちょいとのジェラシーがある。事の大小の問題ではない。

この事故の責任の所在に関係なく、やらなければいけない事を実行する。


この最悪の苦難を共に生き延びた被災者同士、救助者同士、双方に築かれる関係に

人間を本質的に満たすモノが、約束されているんだと思う。


しかしまあ・・独居老人が朝飯を買えなかった・・なんてニュースもある。

きっと老人が老人を介護している家もある。

怖くて逃げ出したいけど、老人を放ってはいけないから、歯を食いしばる介護の人も居る。


中継はされないけど皆戦い中。



※誤解を招きたくないが・・救助に行け!では無い。

特に、それが仕事であっても無くても・・誰かの為に働いている人が沢山いる。

公共機関や病院、介護、交通・輸送関係、食料の生産・・・

そして今は安全な場に居る人たちも皆、一つのチームだ。

言っとくけど日本人だから・・とか、そんな理由じゃないよ。






時に、その満足を得るためだけに、愚かにも男達は殺しあう理由を欲するのだなあ・・



都内が静かで少し滅入ります。

地震以来、殆どのお客はキャンセル。
今日は、2組のお客さんがありました。
下の店「あうん」はお客さん無しだったそうです。


仕事の中で、他者の欲望の為に働く人と、他者の生活の為に働く
人と居ます。そしてまあ、仕事=お金を稼ぐではない。これは信条です。


首都圏は安全か・・考えると気が滅入ります。


ニュースは歯切れが悪い。しかも新しい取材がほとんど無い。
「直ちに人体に害は無い」どういう意味か?
「時間と共に害がある」なら、どの程度の時間に、どの程度の障害があるのか?


被災者の救助、被災地の支援・・当然重要です。
でも、同時に、これ以上被災者を出さない事も重要です。
別の言い方をすれば、被災者にならない事も・・です。


政治家や企業の偉い人じゃなく、命がけで、メルトダウンを防ごうとしている
人達がいます。自衛官や職業的責任感を強く持つ人たち。
彼らは、一人でも多くの人に生き延びて欲しいと願う事でしょう。


この事故を津波に例えるなら、今まさに人間防波堤になろうとしている人たちなのかも
知れません。
その決死の防波堤すら、津波は乗り越えてくるかも知れない。

彼らに任せておけば良い。他の人たちに出来る事ではないのは確かだけど、
普段どおりに生活していれば良いのだろうか。

単にお金を稼ぐ為の日常を、省みなくて良いのだろうか。


被災者の中に、「国も東電も安全と言っていた」と発言した男性がいました。
彼の言葉は、苦情のようにも聞こえるが、警告にも聞こえるのです。
日本人の被災者がこれ以上増えたら、誰が救助を、復興をするのだろうか。


実際、心細くても身動きできない。親の介護、或いは仕事の義務感や自分が仕事を
放棄したら、生きられない人を抱えた人・・知人にも大勢居ます。


テレビは、被災地はもっと大変・・心温まる話・・・
それを思えば、自分はずっとまし・・きっと殆どの人がそう思い、
不安を飲み込むのじゃなかろうか。


NHKは、一日中、同じ被災者のコメントを放送しています。
それも必要性はあるが、被災者の方々は、救援の具体的な状況をライブで
知りたいだろうし、福島から300キロ圏の人たちと、もっと遠くに居る
その家族たちが、知りたいのは、正に原発の現状じゃなかろうか。
ライブカメラすら無いのが、不思議な気がする。


普段はブツブツ文句を言っていた原発問題も結局は、何となく諦め気分になり・・
アンチ資本主義もそうだけど・・結局、自分は何もしなかった・・と言うか
思っただけじゃん・・などどブルーになる。


分かっているのは、日本の経済は一応終わるだろうと言う事。
しかし、まあ必ず入る株、為替のニュースが不愉快です。

分かっちゃいるのに止めなかった豊かさへの勘違いを、
これで、止めなかったら本当におしまいです。


ともかく、今は、福島に注目。早朝に放水車・・それも、かなりリスクのある
賭けです。

こうして手をこまねいている間に、何が起こるか、おそらく専門家すら
分からないのだと思います。


しかしながら、次に来る災害は、不意打ちでは無いんです。
「殴るぞ!」「撃つぞ!」と未知なモノに言われているところです。
われわれ庶民は、彼の言葉が分からない。
そこで、その言語に長けた先生が「相手は本気じゃないです」とか
「私たちには防ぐ自信があります」とか・・テレビで言います。

それが本当なら、先の被災者男性のコメントは一体何だろう。


被災者が一人でも減って欲しいなあ・・しかし、長いつぶやきだった。

まあ、不安なんです。





http://video.google.com/videoplay?docid=-3788207618449105637 #

一月に最新作が上映されましたが、日本語字幕無し・・結構しんどかったのですが
今日は、日本語字幕完成イベント?渋谷で行われました。

状況がこんな感じなので、渋谷も人通りまばら・・・
会場も同じく・・

まずは現社会の病理について、語り合える仲間を増やす事から
始まるのだと思います。

もしかしたら疑問を持つ事が常識化すれば、それだけで世界は変わるのかも
知れません。



「okuboアジアの祭り」http://okubo-asia.jimdo.com/


今度の土曜日12月11日ですが・・12時半から20時まで・・

場所は、新大久保駅改札を出て、右方面・・韓国のお店の立ち並ぶエリアの
一番先まで行くと左手に「和民家」その先右折50メートル程先に
ある「アールズアートコート」です。


☆入場無料!


韓国、モンゴル、バングラディッシュ、トルコ、タイ等・・・屋台あり。
インド舞踊・フィリピン舞踊・アイヌ民謡・島歌・韓国農楽・和太鼓等ライブあり。
和服・サリー・チョゴリ等着衣体験コーナーあり。



何せ殆どボランティアで、パフォーマンス・出店してくれる人達の為にも、多くのお客さんに遊びに来てもらいたいです!!


死刑に関わった裁判員がマスコミに取り上げられるようになった。



彼等の情緒が不安定になるのは、ある程度、理解出来る。

実は良く分からないまま人を殺す判断をした。

その十字架は生涯ついて回るだろう。



それを回避、いや・・感じず済むとしたら、今後も多数の死刑が成立し、その判断をした民間人の数がやたら増えた時かも知れない。



居酒屋なんかで「あの時は大変だったよね~」などと談笑する輩を多く見かける事になるかも知れない。



実際、高齢になった戦争体験者なんかにも同じような輩は存在する。




ネット上で飛び交う「死刑当然」と言うような声は、日増しに高くなっているようにも思える。





裁判員制度の目的は

1、裁判を身近にする。
2、裁判を分かりやすくする。
3、裁判への民意の反映
4、裁判や司法への信頼性の向上

等らしい。


上記の目的に関しては、裁く側である必要が無い。


裁判官は基本的に「法の番人」であり、法は予め予測される事象・事件に
対し作られたルールだが、当然それぞれ固有の事件に完璧に合致適応する筈も無い。



裁判官はその網の隙間を、客観的に判断する役割に過ぎない。
その意味では、法自体の成立過程や目的を理解している事が不可欠だ。
ある意味、彼等はその分野のエリートだ。




ガキの頃、クラスに一人二人は、優秀な奴がいる。
仮に難易度の高いテストの回答を求める時、彼だけが正解する事も
少なくないだろう。



この例えで言うと裁判官は、この分野において優秀な奴なのだ。
裁判員やマスコミで言う民意は、その他大勢のクラスメイトかテストさえ受けていない外野と言う事になる。



言うまでも無く、これが人の生死を決するような事象の場合、多数決は
多大な悲劇を生み出すに決まっている。


民意を反映すると言うのと、多数決は、同じ事では無い。



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裁判を分かり易くする為には、法そのものを分かり易くするに限る。




民意を反映する目的、或いは道徳的啓蒙が適うとすれば、むしろ
被告側、弁護側に民間人が立つ事こそ重要だと考える。



凄惨な事件の背景を深く理解し、極めて冷淡な法に対し、

情緒的な感覚を持って対応する。



現行の裁判員は既に見直す時期に来ている。



先の目的の為なら弁護員制度に改める事が最も望ましい。



もし裁判員制度を継続するならば、同時に弁護員?をも担う義務を負わせる



べきだと考える。







我々は、裁く側のみに居る事は出来ない。



同時に被告席にも座ることになるのだ。

日本は他のアジア諸国の中で、最も早く西洋化したわけだが、その変革ぶりは西洋が、数百年かけて作り上げ


た成果を一朝一夕で真似た物だった。

一般人の常識感覚も、あっと言う間に変わることを余儀なくされた。


洋装が当たり前の今、日増しに和装が目立ち、気がついたら洋装の人は見当たらない・・、どんな感じがするだろうか・・?


明治に入ると、それまでのアジア的文化をかなぐり捨て、西洋に真似る事になる。

おそらく、西洋の軍事力が圧倒的に強かったからだと思うけど・・・


音楽に関しては、滝廉太郎や山田耕作らがドイツに学ぶ。当然その前にもかなり怪しい

洋楽コピー、翻訳がなされたが、まあ何とか日本語歌曲を作る事で、オリジナルが完成したらしい。

彼らは官として、使命を感じながら音楽を学んだわけだから、俄かにでっち上げたそれと一緒にしたら気の毒だ。

今日まで音楽教育と言えば、殆どが洋楽の事になっている。


終戦後日本ではハワイアンブーム、ついでジャズブームがあった。その頃のミュージシャンはオリジナルと

言う発想より、より本物に近く!を目指していたらしい。

少し前の韓国、中国を見れば分かる。無理やりエレギを持って洋楽の形を目指す初期は取りあえず客観視すれ


ばみっとも無い!の一言だ。しかし当の国の若者にとっては、案外そうでもない。

ミュージシャン達は先駆者でありヒーローになり得る。


当時、問題の本質に気がついたミュージシャンは多数居たはずだ。だが、市場が受け入れた物は、それと全く別


の物だったわけだ。

本質に気付いた人々にも2種居る。取りあえず生き延びる為に、市場の要求に応えた人と、唾を吐いた人。

ノスタルジーだけで、70年代の音楽を語ると、その辺りをすっかり見落とす。


取りあえず表面を真似る・・バレなければ、ハッタリで押し通す・・・それが見事に通用した結果、現在の音楽市場


がある。

映画の宮崎氏はかつて海外の賞を受けた時、「今後も日本映画にオリジナリティーを期待できない!」旨の発言


した。彼は分かっているのだと思った。


当時、活躍した何人かが世を去った。去ってもかまわない人も多いが、彼が先に述べた、本題の本質に気がつい


ていながら市場の要求に応え続けた人だった場合どうだろう・・・その問題意識は、それ以上深く語られること無く


周辺に生きた人々に食い尽くされる。これは悲劇だ。



官僚の天下り先に12兆超え・・国が支出・・


さあ国とは誰だ?国とは何のことだろうね?

経済の活性化の為に消費を増やす・・・


http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090527-00000105-maiall-pol

http://www3.nhk.or.jp/news/t10013268181000.html

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俗に言う富を生み出す方法は本来2つしかない。

まあ厳密に言うとどちらも生み出す・・事にはならない。

一つは、自然からの搾取・・あらゆる動植物はそのように生き、自らも資源と化すのかもしれない。

一つは、労力。狩る、耕す・・・更には自然から効率よく搾取する為の知恵・・

一部の人間は、更に効率の良い搾取を思いついた。簡単に言うと略奪だ。

他者の労力からの搾取と言うのが分かりやすい。

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国家と税・・誰も疑わない常識、天然資源の豊富な国の為替は偶然安いのか?その割りに、

そう言った国の首長で貧乏人は見当たらない。

これは、首長同士の申し合わせによる為替価値だからじゃないのか。

即ち資源や各国民の労働対価は土地と国民を所有する者達の取り決めで決定しているのかもな。

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本来 自然界において人が所有する土地は無い・・が、国家が所有する領土はありえるのか?

不自然極まりない。

国家内において個人の所有する土地は、国家からのリースに近い。常に税と言う名の賃料が発生する。

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消費の最上流にあるのは、自然、であり安い労働力だ。

それでも消費の拡大は必要だろうか??


大して必要の無いモノを所有する為に、せっせと働く・・その金の大半は搾取されている事に

気が付いてなお 何故働くんだろう・・

まあ・・そうしないとホームレスになっちゃうからな・・

何故 ホームレスになっちゃうのか・・

搾取のゲームに負けたか 降りたか・・・ゲームだと気付かずに居たか・・・

大多数は、とくに勝負を挑まず、逆らわず、最も安全な場所に留まる事を望んでいるわけだ。

全く面白くない。


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