Wii U: 任天堂、審判の日(2)
そして価格はカジュアルなユーザには高すぎる。メーカ希望小売価格は英国で250ポンド、米国で299ドルとなっており、さらに別々の2つのバージョンがあるという複雑さも加わって、任天堂に最も近い3rdパーティパートナーであるUBISoftからもすでに批判されている。
さらに悪いことに、Wii Uの価格は任天堂がハードの販売で利益を上げるには不十分だ。これは主にタッチスクリーンコントローラの複雑さのためであり、その方程式の反対側では、少なくとも現時点では高品質のグラフィックスが可能なこのハードによって、任天堂がおびき寄せたいコア市場があるためだ。
だがまたしても信念の欠如が問題になる。任天堂はコア市場と、その市場に向けたパブリッシャの世界を失うリスクにさらされている。なぜならWii Uの技術的なスペックでは、この先に登場するPSとXboxの次世代機からはかなり引き離されている可能性が高いからだ。グラフィックへの執着は重要な要素であるとはいえ、ことはそれにだけにはとどまらない。主要な開発スタジオにとって、選択肢がどんどん減っていくということが問題なのだ。
オリジナルのWiiの呪いの一つは、Modern Warfareのような大きなマルチプラットフォームゲームで、最悪の劣化版が登場するという評判だった。マーケット首位を誇るユーザベースの規模にもかかわらず、Wiiの非力なハードウェアにデベロッパはうんざりし、作品の移植は遅れたエンジンを使う外部のチームにまかされた。Wiiの低スペックは、当然のごとく開発コミュニティ全体のやる気の欠如を助長していった。ActivisionやEAやそういった会社は、コアなゲーマーの好みがWii以外の場所にあることを知っていたからだ。
この呪いを終わらせるには、Wii Uは今後5年間は次世代の超大作を引き受けることができるようになっている必要があった。もちろんそれはシステムの価格をさらに高く引き上げただろうし、カジュアル層を捕まえようとする任天堂のチャンスをほぼ確実に損なうことにつながるものだった。
一つの市場は他を破壊する。任天堂はユーザを統一するための計画を実行してきたが、無意識のうちにユーザ層をさらにバラバラにしてしまった。このような状況で任天堂が間違えられる余地はほとんどなかったが、逆に多くの過ちを犯してしまったのだ。
Wii Uのロンチから数日後、任天堂のオンラインサービスでは依然として謎につつまれており、Wii Uのコアゲームとして旧いUnreal Engine 3のタイトルの移植作品がフルプライスに戻って売られている。デュアルスクリーンのゲームは古いトリックのユニークなくり返しだが、わずかにいくつかのゲーム、Zombi Uのようなゲームだけが、ゲームプレイの根幹にこのアイディアを取り入れている。
Zombi UはWii Uのデュアルスクリーンを有効に使っており、任天堂は、自身が「非対称ゲーム」と呼ぶものの素晴らしさを激賞するかもしれないが、実際のところはWii U自身がハブられるというリスクを冒している。パブリッシャは、一からWii U専用のゲームを開発するか、マルチプラットフォームタイトルに機能を追加するか、どちらにしてもジレンマを抱えている。前者を選べば、パブリッシャがリスクを分散させる必要があるときに、独占タイトルを一つだけ作ってしまうことになり、後者を選べば面倒な仕事になる。
任天堂がコアゲーマーを失ったのはゲームキューブの時代だった。世の主流は他に移り、任天堂は他の場所(カジュアルなマーケット)でカネを稼いだ。任天堂が一年足らずで市場をリードする地位を得たので、任天堂のもともとの問題は見過ごされるようになった。
だがWii Uは任天堂の審判の日だ。任天堂は初日からカジュアルなユーザーとの深い関係を維持しようとしつつも、10年程前に袂を分かったコア市場に戻ろうとしている。
これに成功したプラットフォームホルダーは今までなかったといえば手厳しく思えるかもしれない。だが事実はさらに厳しい。そんな試みを考えた会社さえかつてなかったのだ。
NS: CVG Wii U: Nintendo's day of reckoning
さらに悪いことに、Wii Uの価格は任天堂がハードの販売で利益を上げるには不十分だ。これは主にタッチスクリーンコントローラの複雑さのためであり、その方程式の反対側では、少なくとも現時点では高品質のグラフィックスが可能なこのハードによって、任天堂がおびき寄せたいコア市場があるためだ。
だがまたしても信念の欠如が問題になる。任天堂はコア市場と、その市場に向けたパブリッシャの世界を失うリスクにさらされている。なぜならWii Uの技術的なスペックでは、この先に登場するPSとXboxの次世代機からはかなり引き離されている可能性が高いからだ。グラフィックへの執着は重要な要素であるとはいえ、ことはそれにだけにはとどまらない。主要な開発スタジオにとって、選択肢がどんどん減っていくということが問題なのだ。
オリジナルのWiiの呪いの一つは、Modern Warfareのような大きなマルチプラットフォームゲームで、最悪の劣化版が登場するという評判だった。マーケット首位を誇るユーザベースの規模にもかかわらず、Wiiの非力なハードウェアにデベロッパはうんざりし、作品の移植は遅れたエンジンを使う外部のチームにまかされた。Wiiの低スペックは、当然のごとく開発コミュニティ全体のやる気の欠如を助長していった。ActivisionやEAやそういった会社は、コアなゲーマーの好みがWii以外の場所にあることを知っていたからだ。
この呪いを終わらせるには、Wii Uは今後5年間は次世代の超大作を引き受けることができるようになっている必要があった。もちろんそれはシステムの価格をさらに高く引き上げただろうし、カジュアル層を捕まえようとする任天堂のチャンスをほぼ確実に損なうことにつながるものだった。
一つの市場は他を破壊する。任天堂はユーザを統一するための計画を実行してきたが、無意識のうちにユーザ層をさらにバラバラにしてしまった。このような状況で任天堂が間違えられる余地はほとんどなかったが、逆に多くの過ちを犯してしまったのだ。
Wii Uのロンチから数日後、任天堂のオンラインサービスでは依然として謎につつまれており、Wii Uのコアゲームとして旧いUnreal Engine 3のタイトルの移植作品がフルプライスに戻って売られている。デュアルスクリーンのゲームは古いトリックのユニークなくり返しだが、わずかにいくつかのゲーム、Zombi Uのようなゲームだけが、ゲームプレイの根幹にこのアイディアを取り入れている。
Zombi UはWii Uのデュアルスクリーンを有効に使っており、任天堂は、自身が「非対称ゲーム」と呼ぶものの素晴らしさを激賞するかもしれないが、実際のところはWii U自身がハブられるというリスクを冒している。パブリッシャは、一からWii U専用のゲームを開発するか、マルチプラットフォームタイトルに機能を追加するか、どちらにしてもジレンマを抱えている。前者を選べば、パブリッシャがリスクを分散させる必要があるときに、独占タイトルを一つだけ作ってしまうことになり、後者を選べば面倒な仕事になる。
任天堂がコアゲーマーを失ったのはゲームキューブの時代だった。世の主流は他に移り、任天堂は他の場所(カジュアルなマーケット)でカネを稼いだ。任天堂が一年足らずで市場をリードする地位を得たので、任天堂のもともとの問題は見過ごされるようになった。
だがWii Uは任天堂の審判の日だ。任天堂は初日からカジュアルなユーザーとの深い関係を維持しようとしつつも、10年程前に袂を分かったコア市場に戻ろうとしている。
これに成功したプラットフォームホルダーは今までなかったといえば手厳しく思えるかもしれない。だが事実はさらに厳しい。そんな試みを考えた会社さえかつてなかったのだ。
NS: CVG Wii U: Nintendo's day of reckoning
みらい的コメント: Wii Uへの懸念に関して言えば、自分が読んだ範囲では最も適切な批評。 ゲーム市場が光の速さで発展し成熟化しつつあるのは誰の目にも明らかだ。 成熟する市場が、原初の太一から無数のニッチに分裂していくのはこれまた常識の範囲だろう。 失われたエデンを求めることは確かにロマンチックではあるが、どれほど素晴らしいマーケティング・テクニックを弄しても、どれほど感動的な演説をぶっても、どれほどマリオに神通力があっても、任天堂の市場統一の理念にはその意味で根本的に難しい一面がある。 任天堂がこれを無理と思わないことの裏には、彼らのイメージするユーザー像が旧いシンプルなモデルで描かれていることが原因なのではないか?と個人的にはずっと疑っている。 もっともコンソール・ソフトウェア市場自体、既にソーシャルにも追い越されてしまっているマイノリティなのだし、このマイナーなセグメントでの成否だけに限定すれば、依然として侮り難い力を残している任天堂であれば、まだまだ成功の目はあるに違いない。 タブレットと「非対称ゲーム」でブームをおこせさえすれば、新しいハードへの懸念等は、空の彼方にやすやすと吹っ飛ばせることだろう。 |