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撮影を振り返って8月3日

 この数日間私たちは山奥で原住民同士の戦闘シーンの撮影を行っていました。
霧社事件後の当時、日本の原住民討伐隊の戦略によりそれまで禁止されていた
出草(しゅっそう)を許可し、首に賞金を掛けることにより
異なった部族同士を衝突させ、互いに首を刈り合うこととなりました。

 さて、この日撮影された戦闘シーンはセデック・バレの中では小規模な部類に入りますが
数ある戦闘シーンの中でも振り付けが複雑なシーンでした。
正直な話敵同士が接近するシーンが無ければカットを割って別々に撮影できちゃいますし、
「バン!バン!」「ボーン ボーン!」「バババババーン」といったその場の勢いで
ごまかせちゃうのですが...。*1

 人が入り交じったシーンで刀さばきを中心にとなると微妙な間合いが大切です。
時代劇を想像してもらうと分かりやすいと思いますが切られている様に見えても
本当に切られちゃったら一大事ですよね?
もちろん撮影で使う刀は安全な物ですがそれでも実際に当たったり、刺さったりすれば痛いんです...。
また投げたり投げられたりというシーンでも他の人たちとタイミングが合いすぎてもNG...
オーバーすぎてもNG...いかに自然に力強く見せるかというのはもの凄く大変なことなんです。
それには人間の動き、戦いを魅せる事を熟知したアクション監督と何度も何度も繰り返し
撮影されるシーンを同じ様に演じきれる強靭な肉体と体力を備えたスタントマンがいて
初めて成り立つのです。

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 数週間韓国に戻っていた梁監督率いるアクションチームは韓国での仕事に一区切り付け、
このシーンの為にスタントマンをつれて台湾へ戻ってきました。
そして台湾のスタントチームと共に慎重かつ大胆に、振り付けを進めて行きました。


 ロケ地は一見すると普通の河に見えますが川底には尖った石も数多く、
危険なアクションもあることから服の下にプロテクター等をつけた上転倒防止の為
渓流シューズを履くなど安全確保は念入りです。(それでも十分危険なのですが...。)

 当時の原住民は当然の事ながらプロテクターも無ければ、渓流シューズもありません。プロテクターは見えない所につけるとしても渓流シューズはそうは行きません。当時裸足で行動していた原住民の人達、それを再現するには足裏の見えない部分に接着剤などで滑り止めのフェルトを貼るか透明な靴を履くしかありませんが
どちらも非現実的ですよね。

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 そんなときこそテクノロジーの出番です!
そうです! CGで消してしまうのです!
実際にそういった作業を経験した方やphotoshopなどをお使いの方ならお分かりだと思いますが
口で言うほど簡単ではありません。
ボタンをポッチっと押して靴が消えるほど簡単なら苦労しないんですけどね...。

 ただ幸いにも撮影中に出来る事もいろいろあるんです!
CGの要求を満たしながら激しいアクションに耐える物を作るのはとても大変なことです。
CGで処理する物の面積が減れば減るほど作業は早くなりますがその分現場での危険が増します。
靴に色を塗ったりサンダルをベースに滑り止めを貼付けたり
試行錯誤を重ねながら様々な物を作りクランクイン後も絶えず改良に改良を重ね
十代以上のバージョンアップを経て辿り着いた結論はズバリ!サンダル!
初期もサンダルだったんですが大きく変わったのはストラップで安定性を強化した所です。
そして皮膚の色に近い茶色に塗る事によって何が変わるかというとズバリCG作業が楽になるんです!
さすがにボタン一つとまではいきませんが....。

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唯一の欠点と言えば激しいアクションを繰り返すうちにサンダルに塗った塗料が禿げてしまう事。
この日制作部の邦妮(バニー)さんはひたすらサンダルに色を塗り続けていました。
ワンカット取っては交換、そして色を塗り続ける。
気の遠くなるような作業ですが幸いにも出演人数が少ないシーンなのでなんとかこなせたようです。

*1 決して撮影が簡単という意味ではありませんよ!
爆発等火薬を使った特殊効果には別な技術スタッフチームがありこちらも安全第一です。あくまでも振り付けの上でシンプルになるということです。


12月2週目の出来事

さて先週ようやく再会を迎えたセデック・バレのブログですが
しばらく水曜日に先週一週間の出来事を、金曜日に7月からクランクアップまでの記事を
投稿する予定です。

さて先週の主な出来事ですが引っ越しをしました!
と言っても事務所ではなく以前美術部、服飾部などが使用していた
3階の事務所を引き払い同じビルの5階に引っ越しをしました。
以前はエレベーターで行き来していたのですが、今後は階段だけで済みそうです。
時代に合わせたエコロジーな?位置関係になりました!

3階には撮影の装飾用の桜や偽物の岩などがあったのですが
「桜と岩を合わせて小川を作れば5階の入り口に日本庭園ができるね~」
っと冗談で言っていたスタッフもいました。
残念ながら予算とスペースの都合によりその案は却下になってしまいました。


今後5階は企画部の制作スペースとなります。
現在企画部ではセデック・バレの書籍の制作を進めています。
写真集であったり監督に関するものであったり。
詳しい内容は現在のところまだ報告できる段階にはありませんが
国境を超えられる作品になることを願っています。

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撮影を振り返って7月23日

この日の撮影は一昨日の悪天候の影響で晴天のカットが大分残った状態ですからスタート。
私たちは朝4時に宿を出発しましたが朝早い分気温も低くスタッフの気力が削がれます。
そして明るくなるにつれて次第に見えてくる厚い雲、影も形も見えない太陽に
「早く出て来てくれ~!」と祈りつつも太陽には届かないようです。

限られた時間の中で撮影を進めて行く為にはただ待っている訳には行きません。
海抜3千メートルを越える高山で照明部と地元スタッフが準備を進めて行きます。

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朝8時を過ぎたころ、そらに溜まっていた雲が少しずつ固まりになり
太陽がチラチラと顔を覗かせるようになって来ましたが相変わらず空の雲はどっしりと
腰を据えたまま動こうとしません。
運良く雲に大きな穴が空き冷えきった高山に温かな空気を送り込んでくれました。
太陽が見守り続けてくれたおかげで撮影は順調に進み午後2時を越えるころには
このロケ地で撮り残していたすべてのシーンを撮りきることができました。

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この3日間は天気に恵まれただけでなく制作スタッフにとってもとても特別な経験になりました。
この付近は観光で通る車両よりもトラックが多く時には撮影を理解してくれ
路肩に止めてくれる人もいれば時には「俺は毎日この路を通っているのになんで
ここで止まらなくちゃならんのや!」と強行突破する人もいたり
「北峰ってどうやって行くんだ?」っと道を聞く人もいたり…。

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交通整理をしていた制作の范范(ファンファン)は当然知るはずもなく
トラックの運ちゃんに「ねぇちゃん、あんたここで交通整理してるくせに知らんのかね」
っと言われる始末。
時には車を止めている数分の間に「この山は○○であっちのは○○で」と付近の山々を
熱心に教えてくれたり。 何の変哲もない山道でも通る人は十人十色、

映画の舞台裏ではいろいろな心温まるエピソードがあるのです。
今回范范の心に残ったのは観光客のクレームで警察官が現状把握しに来たとき
「映画の撮影してるのか?頑張れよ!」と警察の方が言ってくれたこと。
寒い山中で辛いときでもこういう一言が心の支えになるのです。

セッデク・バレブログ再会のお知らせ

日本の皆様お待たせ致しました!
諸事情により7月21日より更新が停滞していた当ブログもようやく再開を迎える事ができました!
ブログをお休みしていた間にも様々な方から無事に撮影が進んでいるのかなどお問い合わせを頂きました。
ご関心頂いた方、ブログを楽しみにしていてくれた方にはご迷惑をおかけ致しましたが今後は
週2回程度の更新になるかとは思いますがブログを続けて参ります!

さてブログの方は止まっていましたが、数々の困難を乗り越え、
セッデク・バレは役者さんやスタッフの努力、その他大勢の方の支援により
台湾映画市場最高の制作費、最多動員人数(役者、エキストラ、スタッフ)
最長撮影日数をもって2010年9月4日に無事クランクアップを迎えることができました。

現在ポストプロダクションに入り来年の夏には台湾での公開。
そして現在未定ですが、順次日本やその他の国での公開に向けて努力を続けて参ります。
また少しずつではありますが7~9月度に起こった制作に関わるこぼれ話等をお届けして行きますので
ご期待下さい。

今後ともよろしくお願い致します。

制作一同

2010年7月21日

賽德克巴莱 セデックバレ
先日の撮影が終了した時点はすでに深夜だった。その後、プローデューサー部、制作部、特機部、制作部、照明部と道具部のスタッフは5、6時間ほど車を運転して、午後2時30分の頃に南投と花蓮の境界にある高山でのロケに辿り着いた。その後、あまり休みもせずに今日の朝4時30分に、海抜3236メートルの山に向かって移動した。
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見晴らし台で周りを見渡ると、北の方にある大山の向うには人止関合戦シーンの撮影が行われる林道があり、東の方では奇萊北峰と奇萊主山があり、北東の方は南湖大山と中央尖山が見えられ、南には合歡東峰、西には合歡主山があり、さらに西の方へ進むと春陽と盧山などセデック族が生活している集落だ。集落からこの作品のセットまでの距離は車で40分しかかからないほど近いから、この作品に出演したセデック族人が現場を訪れ、撮影の様子を見にしていったことはしばしばあった。しかし、原住民族の衣装じゃなく、今の時代の服を着る彼は別人のように、ぱっと見てすぐ分かることが出来なかった。
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このような高い海抜で一方通行の通り道をしか持たない山の奥で撮影を行うことに対応するため、プロデーサー部スタッフは事前に仕事配分など下準備を済ませた。この通りは当地の住民、観光客を乗せる車両そして高山野菜を運送する大トラックが通行する道。道のすぐそばに停まる特機用の車両を通りかかる車を妨害させないため、范范、河豚と阿達は駐車地点、その先と後の所に立って往来の車両を指揮する。その日、この三人は通りかかる見知らぬ車の運転手に頭を下げ、一日中「すみません」「ありがとうございます」「お願いします」と言い続けていた。
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このような高い山で働くことは一生一度しかない機会かもしれないから、多くのスタッフのテンションは高かった。少なくとも機材を山の高い所に運ぶ前に技術担当のスタッフはそうだった。普段は体力に自信がある男性スタッフはこの高山に来てほとんど降参した。手ぶらで山に登ること自体は大変だ。その上、撮影機材を背負って登るのはさらにしんどい。という訳で、プロデューサー部スタッフは機材と酸素ボットルを運ぶ仕事を原住民青年に依頼した。出発地から目的地までの道の途中には酸素ボトルが用意される。なぜなら、山を登ると息が苦しくなるスタッフは少なからず、酸素ボトルが必要となる。
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仕事は大変だけど、この作品に対して原住民族の血液を流れる美玲は深い思いを持っている。ヘアマイクとしてよく役者と接する彼女は役者から沢山の物語を聞かせて貰った。話を聞いてるうちに、繊細で感情豊かな美玲は思わず涙ポロリ。特に役者が話したことと映画が描いた物語はかつて彼女が集落で聞いたことと彷彿する場合。
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原住民は楽天的に見えるが、実は繊細な心の持ち主だ、と美玲はよく言った。誰かにからかわれる時、強がって平気な顔をしてるけど、本当は傷つけられ、家に戻ってこっそりと泣くかもしれない。例えば、自分が達悟姫と自分をからかったり、皆とわいわい遊んだりした美玲の姿を時々見たが、ある時、一人で隅に座って何かを考える彼女がいた。彼女は準備段階から刺青の方法を思案し、そして撮影に入ると同じ部署のスタッフをどう引っ張ることを考えていた。それに、彼女は現場で韓国から来た特殊メイクスタッフと交流して新しい技術を勉強していた。大勢の役者に面して、真摯な態度で役者と接した彼女がいるから、全ての役者は3時間もわたったヘアメイク作業にあわせることが出来る。仕事に対しても、家族に対しても、ヘアメイク部チーフを務める美玲は大きいプレッシャーを背負ったはずなのに、いつも笑顔の彼女は、皆にとって優しくて頼もしい存在だ。
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優しい美玲はこの作品への気持ちは同じ原住民族出身の役者と一緒だ。「この作品は台湾の原住民族のヒーロー像を台湾と世界の観客に伝わることが出来る」と彼女は作品に託す思いを語った。
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2010年6月7日

今日の天気はやっと快方に向かって変わった。ホテルから現場に向かう途中で、向こうの山からゆっくりと昇る朝日を見ると思わずほっとした。きっと、今日の撮影はうまく行くんだろう。
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皆は強い日差しを浴びてボヤボヤになったものの、撮影がどんどん進むことは皆を元気づけた。今日は一日中晴天で、馬赫坡集落の大戦シーンの撮影はかなり進んでいる。午後4時過ぎると、ロケセットを射しかかる太陽の光は山の稜線に沿って少しずつ角度が変わった。我々は日差しの方向を追い、撮影を進めた。太陽が完全に沈むまで撮影は続いた。
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撮影作業が進むうちに、長時間でともに働くスタッフや役者達は深い友情を築いた。しかし、そんな和気あいあいで楽しいムードに包まれる職場で仕事するのは、ついこの業界に入る初心を見失うことになった、と撮影助手を務める志朋はこう語った。
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撮影助手の仕事内容といえば、機材運びやフィルム交換や記録などこと。全てをきっちりとこなせば、優秀の撮影助手になれるのは言うまでもなく、生涯一筋にも可能なこと。しかし、技術面の上達だけでは満足できない志朋は、毎日仕事を終えて家に帰ると、翌日に撮る予定とするショートに向ける下準備に励んでいる。例えば、関連のあるシーンの映像を参考として明日の撮影を自分なりに考える。しかし、この半年間で毎日撮影作業に取り組み、ほとんど休まずに働いていたことで溜まった疲れは翌日の撮影に備える余裕を待たせられなくなった。仕事を終え、家に戻るとすかさずぐっすり眠った。

台湾映画業界は今から上昇気流に乗る時期にあたる。とはいえ、映画の夢を抱える人こそ環境に束縛られずにいられる。数年の仕事歴を持つ志朋は、ある程度の実績を積み上げてから、暫く業界を離れ、再び学校に戻って勉強する願望を持っている。実務経験と学術理論の両方を仕事に取り入れ、立派なプロの映画人になるのが彼の夢だ。

2010年6月2日

前線の影響でこれからの2日の撮影予定は取り消されることになる。今日の三つのショートを撮りおえると久々の台北に戻ることにする。昨夜、一部の人は高鳴る気分を抑えきれず深夜までわいわいした。この3週間は毎日風に吹かれたり、日差しに当ったり、雨を浴びたりして撮影に取り組んでいた。高い山にある小さい町に滞在していた我々にとって、ようやく家に帰ってゆっくりと熱いシャワーを浴び、綺麗な服を着替えられることは一刻も早く家に帰りたい最大な原因である。外で働いて続けてほぼ1か月ぶり家に帰らずKunaは、あまりにも家族と家が恋しくて、ダウンした。幸い、この撮影作業は今日で暫く休むことになる。皆は家でゆっくり休んで、2日後にまだ撮影に臨むことにする。
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この度、撮影場所が高い山にある小さい町に移り変わった。総勢3百人近いスタッフと役者を抱える撮影チームは大量な機材や物資を町と車走行時間3時間もかかる山の高い所まで運んで行った。という訳で、宿泊と交通の手配は怪物のようにプロデューサー部スタッフ文興と小竹に迫ってきた。様々な問題を解決しようとする彼らはまるで崖ッぷちまで追い詰められるようにいっぱいいっぱいだった。それにも係わらず、この2人は助け合って難関を乗り越えようとした。エキストラの人数や交通手段やギャラをどう上手く手配するのは、キャスト部スタッフ小高、朝鑫、プロデューサー部スタッフ阿雅、河豚を悩ませた。もし便利な都会でいれば、すべての問題は順調に解決できる。しかし、この山奥にある小さくて資源不足の町で行われる撮影は、問題を解決しようとしても打つ手がないほど大変だ。
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撮影現場に繋がる道路がでこぼこで、激しい斜面もあるため、普段役者とスタッフを乗せる九人座ワゴン車と収容人数21人の小型バスは山に登る交通手段に向いてないようだ。その代わりに、当地の小型トラック所有者に交渉して、小型トラックを機材や人員の運送手段として使うことになった。また、道路の状況に応じて現場に出入りする車両の数を仕切る必要もある。いくら5台のトラックを出動しても、限られた時間内に、2、3百人と多くの機材を山のほうへ送るのが至難の業。「人止関合戦」シーンの場合、1日の撮影の終了後、同時に撮影現場を出る人の数は数百人に至るほど。数少ない車両で全員を乗せることが出来ないから、足に合わない靴を履いている日本軍人を演じるエキストラ達は足の痛みを耐え、2、30分もかけて暗い山道を歩いて下山した。

台北から海抜2千メートル高い山まで駆け込んで撮影を敢行する我々は、最初の数日の天気状態が我々の思い通りによらずと承知した上、準備作業を整えて山にあるロケ地に向かった。だって、天気の状況を変えさせるのは不可能に等しいことだ。しかし、山の高い所にある撮影現場の気温は場所によって変わる。太陽に当たるところにいたら、一枚Tシャツを着ても熱いと感じる。日陰の場所はダウンジャケットを羽織っても体が震えるほど寒い。という訳で、太陽の下で立つスタッフは日焼けした。一方、出番を待つ時間が多い役者は風邪を引いた。その他、崖の壁に沿う狭い道に雨のシーンを撮影するのは珍しくて辛い経験を残した。
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こんなに厳しい環境で、ただ一枚の毛布で身をまとい、寒さで体を震えても、あるいは傷つけても、愚痴を言わずに演技に集中している原住民族人役を演じる役者がいる。重厚な衣装を着る日本軍役を演じる役者は気温10℃以下の天気で雨を浴びながら、動揺せずに演技に集中する。このような撮影環境は役者達に苦労させてしまった。我々は役者1人ずつを面倒見ることが出来なかった。たとえ彼らが画面に映る時間はほんのわずかとしても総勢百人超えるエキストラはこの映画のために精一杯尽くしてくれた。

高い山の中に20日にわたった長い撮影期間を経って巫金墩役を演じる志偉はオールアップした。そして、Vivianも高山初子役が登場するシーンの撮影を終えた。長い間に我々と一緒に戦ってきた十行とエキストラ達は高山症の辛さや高山生活の不便さを乗り越え、自分の役目を果たせた。

我々と一緒に歩んできた方々に心から深く感謝した。

2010年5月27日

今日、撮影に出る原住民族役を演じる役者の顔に入れ墨のメイクをする必要がある。撮影を予定通りに始らせるため、タトゥー職人国書は昨日の仕事終了後の午後5時から、2百名に至る役者に入れ墨メイクをやり始めた。その作業は夜11時まで続いた。少し休憩したあと、朝4時半に起きて役者に入れ墨のメイクを続けた。午前8時半、ようやく2百名の役者の入れ墨メイクを完成した。君文を含めヘアメイクスタッフは朝4時半から、役者に黒肌メイクをやり始めた。最初の1組の役者のメイクを済ませた後、朝7時過ぎ、やっと朝食をとる暇があった。
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優しい声を持ち主君文は大学の時にフランス語を勉強していた。芸術が好きで、彼女は大学を卒業した後フランスの大学院に入った。大学院の専攻学科はメイクとまったく関係ない博物館学。しかし、フランスで学位を修得するには長い時間がかかる。その上、君文の両親は娘に長い時間に家を離れさせたくないし、博物館学の修士号が就職に有利かどうかを心配したことで、自分が興味を持つ、しかも学位の修得時間がそんなに長くない、就職し易い学科を選ぶほうが良いと彼女に勧めた。普段、紙に描くことや顔にメイクすることなど絵を描くのが好きな君文はじっくり考えてからメイクという専門学科を選んだ。
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フランスでメイクを勉強する一年の間に、メイクを施する相手はほとんど西洋人が故に、帰国した後、彼女はアジア人に向けのメイク術を勉強した。同時に彼女はフランス系会社で秘書職を務めていた。いくら秘書の仕事は楽だし、良い給料をも貰えるとしても、君文は自分の習得した技術を生かせないまま一生を送りたくないから、2年間で勤めた仕事をやめ、フリーランサーに転向すると決心した。

最初、仕事を紹介する知り合いがいないことで、君文は自分の作品をまとめて雑誌の出版社に送り、そしてインターネットで写真撮影のカメラマンの連絡情報を見つけ、1人1人にアプローチを取り、自分の技術を売り込みことをした。こうして、彼女が目指そうとする道をすこしずつ開いた。花嫁の付き添うヘアメイクや写真撮影の付き添いヘアメイクなど仕事をやり始めた。これをきっかけに我がチームのヘアメイク担当の小杜に出会い、百人を抱える我がチームに入った。
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この作品に登場する原住民族役のスタイルの中に、黒肌メイクはもっとも重要なポイントになる。黒肌メイクは昔に外で狩猟や農業をするセデック族人の肌色を表現する。この作品の準備期間に、演出組は役者の肌色を悩やむことがあった。色んな方法を考えた。例えば、山の中に訓練を行う際に役者を山林の奥に連れ、あそこで日光を浴びる。もしくは、役者をタンニングマシンが設置される場所へ連れて「太陽光線」を浴びさせる。しかし、効果があまり上げられなかった。だから、撮影に入ると、役者の肌色を本物のセデック族人に見えるため、ヘアメイクスタッフは毎日朝早く起き、役者に黒メイクを施する。登場する役者が多い場合、ヘアメイクスタッフ1人は少なくとも5、60人の役者にメイクをする。もしメイクする時、手の姿勢や力の入れ方を間違えれば、この膨大な仕事の量に対応切れないと思う。

黒肌メイク作業以外に、美玲が担当する老けるメイクと傷メイク作業をサポートするのも君文の仕事のひとつ。三種類のメイクはかなりの力がかかる作業。その上に、7ヵ月間で毎日多くの役者にメイクをやり続ける。結局、君文の手首は長時間で筋肉の力を使いすぎて腱鞘炎になった。症状は酷くなる時はちょっとした力を使うと手が痛くなる。同じヘアメイク部のスタッフは彼女を気配ってすこしても彼女の仕事の分を引き受ける。しかし、この間に行われる撮影に登場する役者の数は2、3百人に至る。ヘアメイクスタッフはこの膨大の仕事の量はヘアメイクスタッフにとってはいっぱいいっぱい。少し休みしてから手の調子が少し回復した君文は引き続き全力で仕事に取り組んだ。

2010年5月20日

今日、雲を待つ時間はあまり長くなかった。天気が曇りになってから、最初の一番目のショートはワンテークでOK。その次に行われる撮影も順調。今日の撮影に出る役者について、日本軍役を演じる役者は多く占める。その他にほんの一部の原住民族役者もいた。第一組の原住民族役者のメイクを整えた後、ヘアメイクスタッフ美玲、小媺とFOODは引き続きメイク室に居残り、第二組の役者のメイクをやり始めた。小涵と君文は先に現場に出向かった。
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高校と大学で美術を専攻にする小涵は大学時代のある冬にロスの観光ツアーを参加した。その時、ヘアメイク仕事をする小杜に知り合った。人を綺麗にさせる仕事に興味を持つ彼女はこれをきっかけに大学を卒業した後に小杜のアトリエに入り、ヘアメイクの技術を学び始めた。キャンパスに絵を描く学生時代に対して、今の仕事は役者の顔に色をつけること。異なる点はメイクをするには立体的な視点が必要となる。

この作品のチームに入る前に、小涵はテレビドラマのヘアメイクをやっている。テレビと映画のヘアメイクの仕事内容は大きい差がない。現場で待機する際に、監督とモニターの側で役者の様子を見て、メイクを直す必要があるかどうかを判断することはテレビドラマのヘアメイクの仕事内容と変わらない。仕事の量はテレビドラマ時代より多い。例えば、馬赫坡であるナイトシーンには、3百人近い原住民族人を演じる役者が一斉に登場する予定。役者に黒肌メイクを施するため、彼女と他のヘアメイクスタッフは朝4時から午後六時まで、食事以外の時間で全然休まずに透明なプラスチック製の手袋をして、茶色ファンデーションとローションを混ぜ合わせるものを役者の体に塗りつけた。役者の黒肌のメイクを整えたあと、彼女達は撮影現場に戻り、引き続き現場の仕事をすることになる。あのシーンは翌朝4時半で終了した。仕事時間は24時間を超える。ヘアメイクスタッフにとって、一生忘れない思い出になる。
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この作品のヘアメイクスタッフにとって一番大変で気恥ずかしい仕事は、原住民族人を演じる役者に黒肌のメイクを施する作業。なぜなら、肌の露出が多い衣装を着る男性役者の下着とかをばれないように、女性のヘアメイクスタッフは茶色のファンデーションを彼の体を万遍なく塗りつけなければならない。時にヘアメイク室から穏やかな口調で「足を開いて」「足を上げて」という声が聞こえられる。それは彼女達が役者の太ももの内側を黒肌のメイクを施するために出した指示だ。ちょっと恥ずかしいと聞こえたが、スタッフ自身が気恥ずかしくなると、役者にもっと気恥ずかしく思わせるはず。だから、プロの心構えがとても重要だと小涵は言う。
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いくら仕事に追われて大きいプッレシャーを抱えても、さばさばとする性格の持つ主である小涵は仕事を続ける間に気分が落ちることがほとんどなかった。挫折に遭った時、彼女はいつも「他の人が出来るのに、なんで私が出来ない」と思いつつ、気持ちを整理して仕事をやり遂げるようになった。彼女は決して隅にこっそりと泣く女性ではない。どんなに疲れても、友達に「マジでうんざりだ」と愚痴を言うと溜まったストレスをさっぱり解消した。そして、楽しい事を聞いて笑えるようになった。こういう前向きで大らかな性格を持つことで、いくら言葉を通じなくても、小涵は現場で韓国のスタッフ達と和気藹々に接していた。

彼女は韓国スタッフが異国で仕事する辛さを理解し、彼の仕事に対する姿勢を尊敬するから、韓国のスタッフと仲良く接する。天気を待つ間に、小涵は常に彼達と世間話をしていた。それだけではなく、彼女は毎日韓国語を1フレーズずつ覚えていた。ティッシュペーパの箱に北京語で韓国語の発音を書いて、ティッシュを使う時に韓国語を繰り返して暗記することが出来る。ティッシュペーパが使い切れる時点に箱に書かれた韓国語も覚えた。こうして、まったく韓国語が出来ない小涵はすでに簡単な会話が出来るようになった。言葉の学ぶことを通じて仕事の仲間への理解と交流を深め、言葉を通じなくても、その思いやりを必ず伝えられる。

映像関係の仕事にかかわる人は、役者にしてもスタッフにしても、体力と精神力を使って長い時間をかけて戦う覚悟を持たなければならない。彼女は全然苦労と思わない。逆にOLとして働く姿がまったく想像できないと彼女は言った。今はアシスタントとして働いているが、彼女の目標はいつか一人前のアシスタントになることだ。

2010年5月18日

今日から、人止関合戦シーンの撮影が始る。崖にある狭い通り道でアクションシーンを撮るのは非常に危険だ。だから、現場に着いた間も無く、制作部チーフ六哥は、安全マットを用意して置こうと小胖や小張に指示した。
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映画撮影において、危険ば場面は少なからず、対応する準備作業もそれなりに難しい。小胖は長い時間で共に働いて息ぴったりする仲間である小張を誘い、制作部スタッフとして我がチームに入った。二人にとって映画撮影の仕事は生まれてから初めての試みで、いうまでもなく撮影助手の仕事も。

撮影助手の仕事内容は様々で、しかも作品ごとにより異なる。1つのパタンを覚えると何でも通用できるわけではない。という訳で、出来るだけ多くの作品の現場で働くことを通じて経験を積み重ねるが大事。現場を見極め、仕事しながら学び、分からないことがあったらすぐに他のスタッフに聞くのは基本的な条件の一つである。それに、現場にいる時撮影助手は必ず集中力を高めて全ての出来ことを把握しなければならない。もし現場が狂うと危険なことが招かれるかもしれない。初めてこの仕事に携わる小張にとって、すべては新鮮そのものだ。
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この作品の現場は他に比べてスタッフの腕が試されるところは多い。仕事歴が浅い小張を一日も早く仕事に慣れさせるため、六哥は他のスタッフより多くの仕事を彼に任せることにする。例えば、同時に2台のカメラを使って撮影を行う場合、撮影助手も両チームに分けて撮影をサポートする。そして、小胖と阿植は小仙と1つのチームを組んだ。六哥は自ら小張を率いて1対1という形で仕事のコツを彼に直伝する。

小張はこの仕事を続けるうちに、未だに高台の組み立てるコツを掴まないのが一番気にかかること。なぜなら、地面から高く離れた場所に立つと、バランスをとるのが難しい。その上に、足の重心を置ける場所は非常に狭い。その時、地球の引力を対抗しながら、高台の組み立て用の板を高い所に運び、しかも転ばずに仕事を完成するのは本当難しいのだ。我々は高台の下にその仕事の様子を見ると、いつも不思議だと思う。彼にとって一層一層と高台を積み重ねるのは次から次への挑戦を乗り越えるようだ。
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