1972年1月から放送になったTVドラマ「木枯し紋次郎」の中で
紋次郎役の中村 敦夫が言う決め台詞である。
若い人は分からないと思うがこのドラマは当時日本中を一世風靡
した。

子供達(男子)は上の写真のように口に竹串?みたいなのを加えた
ままこの決め台詞を言いながらチャンバラごっこするのが放課後の
お決まり。勿論流行りもん好きの私も例外にあらず。
例によって叔父鶴田忍
が先輩俳優である「中村 敦夫」さんを「アトリエてらた」に連れて来
た!1973年の1月の事。
まさに日本中が「木枯し紋次郎」旋風まっただ中の時期にだ。
中村 敦夫さんは新婚旅行の途中福岡に寄りここアトリエてらたに
1泊したのだ。なんで叔父もいたのかは不明。
私は舞い上がった!なんせ毎週TVに出てる皆のヒーロー紋次郎が
ブラウン管を飛び出して目の前で穏やかに話しているのだから!
兄が自慢した原田芳雄さん
の時は幼すぎて覚えていないが今回は違う!しっかり記憶力のある
小学2年生時の話。
いつものごとくアトリエで宴会。子供(私)は夜が早いのでいつの間
にか寝てしまってた。
しかし私には野望があった。前回原田さんの時は出来なかった証拠を
残すという行為。
前の晩舞い上がってた私は一緒に写真を撮るのを待たずに寝てしまっ
てた。朝、学校に行く前にその事に気がついた私は気合いで熱をだし
た。(ま、ずる休みなんですけど)とにかく一分でも一秒でもで紋次
郎のそばにいたかったのだ。そして昼すぎ東京に帰る前に「アトリエて
らた」の玄関でのフォトセッションに成功!下がその写真である。

左から鶴田忍、中村夫妻、チャボ使い時代の私、母。
「アトリエてらた」の看板は位置こそ違えどこの当時も掲げていた。
中村敦夫さんは紋次郎の時とは打って変わって兎に角やさしく明るい
物腰のやわらかい人だった。その後友達に自慢したのかは覚えていな
いが多分したのだろう。今回は証拠写真もあるし。
中村 敦夫さんが東京に帰ってしばらくして宿泊のお礼である手紙が来た。
PS、みたいな事が書いあった。私宛に。
「黄太君、嬉しかったけど(学校休んでまでびったりくっついてた事)
学校を休むのは良くない。学校はちゃんと行くように!」
と書いてあった。
木枯し紋次郎はなんでもお見通しなのである。



