認められたい。

自分のやった仕事を評価して欲しい。


俺はある組織のトップだ。

トップは周囲のモチベーションを上げる。
しかし、だれもトップのモチベーションを上げようとしない。

トップのモチベーションが高いのが
あたかも当然であるかのようにしている。

そして、どんなに頑張っても評価されない。


トップの苦しみはトップにしか分からないのだろうか?

どれだけの犠牲を払ってもレスポンスがない。

それがいまとても辛い。

誰か、俺の仕事を評価してくれ。

誰か、俺の仕事を褒めてくれ。
傍にいたいと思った友人がいた。
だから、ある日ずっと傍にいた。

その人が大好きだから、
俺がその人に対して感じていることを言った。
包み隠さすに喋った。

伝わったのか伝わらないのかすら分からない。

でも、後でこう言ってもらえた。

ありがとう。

こんな言葉を貰うと嬉しい。

でも同時に自分の偽善者な一面を見てしまう。

人に強く必要とされたい。
人との関係性の中で自分が生きていていいと感じたい。

自分が今ここにいる理由を手にしたい。

結局人間、そうなのかもな。
大切な人が凹んでいた。
いつの間にか大切な人になっていた人が凹んでいた。

なにも出来なかった。

すごく悲しくて、すごく切なかった。
自分の無力感にさいなまれ凹んだ。


でも、その人のために自分が何かしたい。
そんなことを強く感じることが出来た。

見返りが欲しいわけではなくて、

ただ、その子に笑っていて欲しかった。
ただ、その子に幸せになって欲しかった。
幸せとはなんだろうか?

ずっとずっと考えている。

俺が抱えている絶望について5、6人に話をしてみた。
その過程でどんどん心が落ち着いていくし、開放されていった。

人に話すことで、膿が外に出て行く。
話すことがカタルシスであり、救いであった。

不安が外に出ていく。ほっとする。胸をなでおろす。

喜びは人と分け合うと2倍になるというが
悲しみは人と分け合うと半分になる

それを実感。

5人に話していれば、2^5なので32分の1になっているはず。
でも、冗談じゃなくそのくらい今は気が楽になっている。

逃げだと、言い切った所で救われている。

『幸せ』

答えはまったく出ないし、出る気配すらない。

しかし、探せるから幸せなのかも知れない。

あぁ。

今答えがでた。。。

絶望の中の唯一の幸せは『探す』こと。

『解を探す』ことが出来る、これが最も幸せなことなのかも知れない。
例のごとくメルマガからの言葉。

そんな不器用な生き方の人間が大好きですから。

思わず微笑んでしまった。

実験の合間の休憩時間に読むメルマガ。
いつもなら流してしまう一言が心に来る。

不器用な自分を知り、だからこそ、不器用さを愛せる。
不完全だからこそ、愛らしくあり愛くるしい。

自分の不器用さを嘆くだけではなく、
現実を認めてくこと、努力することの大切さに改めて気が付いた。
力が欲しい

力が欲しい

力が欲しい

力が欲しい

力が欲しい
『何のために生きているの?』

そう聞かれたなら、俺は間違いないこう言う、
そして、今まで言ってきた。

『幸せになるために生きている』

しかし、俺が今まで幸せだと思っていたものは、
幸せではなかったみたいだと最近思う。

メーテルリンクの「青い鳥」を思い出す。

幸せを探して、やっと見つけたと思ったら飛んで行ってしまう。
手に入れたと思ったら、それが手の中からこぼれてしまう。

そして、深い絶望を味わう。

自分の人生の目標が曖昧になる。
自分が信じていたものが曖昧になる。
自分自身のアイデンティティが曖昧になる。

メーテルリンクの「青い鳥」・・・
あれは実は絶望の物語ではないだろうか?

解釈としてある、足元を見ると幸せが見えるとか、
そんな言葉は何の慰めにもならない、と俺は思う。

だから、俺は欲してしまう。

絶対的な『解』を。

全ての幸せを網羅した大統一理論のような解を。
消えてしまいたい・・・

こんな思いがどんどん膨らんでいる。
毎日のふとした瞬間、痛切にそんなことを感じてしまう。

さっき久し振りに湯船に身を沈めてみた。
何故か全くリラックスすることが出来ない。

あれもやらなきゃ、これもやらなきゃ。。。

そんなことばかりが頭をよぎり、
なんとも言えない圧迫感を感じた。

10分もしないうちに湯船からあがってしまった。

こんな日記を書いている間にも
やらなきゃならんことが出来ない状態は続いている。

俺は何のために生きているのだろう。
こうやって勉強するのも好きだけれど、
もっともっと大切なものってあるんだろうな。

こんな人生なら消えてしまいたい。

こんな人生が続くなら消えてしまいたい。
***ゆず『なにもない』***

失くしたものを探し歩いてる
誰かにそっと言いたくても
「そんなに急いで何処に行くの?」
そうだねアイツの言う通りかもね

耳をふさいで目を閉ざして それでも何かを探して
行き詰まりと始まりを感じてる
あぁ聞こえない 何も分からない 届かない
悲しくても涙しかでない
それでいい それだけでいいよ

駅の裏側の細い路地を抜けて
歩き慣れたこの道を
何も起こらず何も起きずに
時計の針が二時をまわる

もうどうにでもなれと 一度開き直ってみたら
やけに小さい自分に気がついた

あぁ聞こえない 何も分からない 届かない
悲しくても涙しかでない
それでいい それだけでいいよ

街の光り 眩しくて目をそらすよ
あぁ出会いなどないけれど今は 楽しいよ
それだけなんだよね

***ココマデ***

久し振りに思いだした。


何もない。。。


何もない日常に嫌気がさして動き始めた。

動き始めるとそれが日常になった。

俺いったいなにがしたいんだろう。

この虚無感はなんだろう。。。
救いのない苦しみの中で、
 一筋の光を求めたのだろうか


俺が尊敬するS氏の先生のメルマガを取っている。
その中に上の文章が書いてあった。

たった一筋の光、どんなに細くてもどんなに弱くても、
人間は光を見つけることが出来れば生きることができる。

仏神に祈る人も、結局仏神を信じることが出来なかったら救いはない。
そういえば、このことは遠藤周作の「沈黙」に書いてあったなぁ。

俺は無信仰なので、仏神の代わりに自分を信じる。

自分のことを信じられるか。

もし、わずかでも信じられるなら生きていける。
一生懸命に努力することができる。夢を見ることができる。

自分を信じること、それは、一筋の光を見ること。