第六師団のモラル状況・1937年9月保定攻略時 | 誰かの妄想

第六師団のモラル状況・1937年9月保定攻略時

「岡部直三郎大将の日記」に以下の記述がある。



昭和12年1937年10月4日
○保定に赴ける谷萩中佐の報告の一端
1 保定市街は惨憺たる状態に破壊せられあり。
2 軍隊が民家を荒し被害大なり。軍隊の言い分は、糧食の補給続かば、かくの如きことなしと。恐らく食物あさりが昂じて掠
奪となりしものか。
3 軍隊が勝手に列車を使用し、甚しきは軍需品を勝手に卸して乗るもの、糧秣を勝手に途中の部隊が消費するものあり。
伊田兵站監の言。
1 軍隊が装備品を無監視、無届にて放置して出発するもの。
2 過剰品を勝手に売却し、又は他のものと交換して平気なるもの。
3 軍隊列車が停車場司令官に強要して、発車順序を恣に変更するもの。
兵器部々員の言。
1 戦地到着早々弾薬を定数以外に要求し、戦場に於てこれを荷厄介として、出発点又は途中に遺棄し、而も何等これに関し関し通告等のお処置を取らずして前進するものあり。
2 良郷附近に於て某砲兵部隊は、砲側に集積せる弾薬をの処置に困り、信管を除去して弾体を地中に埋め、前進せるものあり。
3 打殻薬莢後送の念慮なし。
 以上驚くべき不始末にて、これが是正に講ぜざれば、補給上由々しき大事なり。取りあえず兵器尊重に関し、参謀長の名を以て警告せるも、将来軍隊教育方面に於て、或は後方施設関係に於て、改善を要すべきものと認む。


保定は華北の要衝で、1937年9月24日に日本軍により陥落した。

谷萩中佐報告では、「掠奪」だけ記載されているが、保定攻略に当たっても、中国人が虐殺されたと言われている。

9月15日に約2000人、9月24日に500人と保定及び保定近郊で虐殺されたらしい。


このとき保定攻略に当たっていたのが、後に南京事件で多くの事件を起こしたとされる第六師団である。

さもありなん、という気がする。

日本軍兵士の記録では、「中国人を食った」と吹聴している兵士もいたそうで、士気がかなり弛緩していたことが示されてます。



なんか「日本軍の規律がよかった」だの言う人がいますが、夢の世界の住人なんでしょうなあ・・・。



(2008/3/16追記)

なんだか、引用中の「軍隊」が日本軍のことだと理解できない足りないお人がいるので、「兵器部部員の言」以降を追記。既にeichelberger_1999 さんが言及している部分「驚くべき不始末」を含みます。


北支那方面軍参謀長が「将来軍隊教育方面に於て(略)改善を要すべき」と考える軍隊が日本軍でないはずがないので、ここまで引用すれば、どんなアホでも理解できると思いますが・・・・

ネトウヨは想像以上にアホなので、ひょっとしたら無理かもしれない・・・


あと、岡部自身の日記を本にしたものをそのまま引用しているのに、「精査したか」とか間抜けなことを抜かす御仁も折られるようですね。彼は辞書の内容についても精査するお人なんでしょう、きっと。