なんかコメント欄で紹介された嫌韓サイトを見てみた。 | 誰かの妄想

なんかコメント欄で紹介された嫌韓サイトを見てみた。


「韓国は“なぜ”反日か?」
http://3.csx.jp/peachy/data/korea/korea1.html


写真を多用しているのだが、実際写真は視覚的に訴える効果が高いものの検証する上では必ずしも役に立つとは限らない。

最低でも写真を撮った場所・日時・撮影者などが明確になっていないと使えない。このサイトではその辺が全く明らかになっていない。また、写真が簡単に修正・捏造できると言うのは、ネトウヨ大好き東中野教授が散々主張していることである(この人の主張内容はアレだが)。

余談だが、10年くらい前に心霊写真を写真の専門家が検証して、次々と心霊写真と同じ写真を撮って説明すると番組があった。写真で撮ると動いているものも止まっているように見えるし(空中に浮かぶ麻原なんて、まさにこれ)、遠近感もかなりわかりにくくなる。フラッシュをたくと煙や風で飛ばされたビニール袋が幽霊のように見えたりとか(撮ったときには気づかず現像してから気づくので不思議に思ってしまう)。


そんなことを知っていると、まあ写真単独で見せられても留保なしに信じることはなくなります。(これは南京事件の写真についても同じです。例えば、中国人の生首を持った日本兵の写真についても、南京じゃなく杭州かもしれないし華北かもしれない、ひょっとしたら時期が1940年とかかもしれない。南京事件の存在はそういう写真で証明されるわけではなく、残されている多くの文書や証言、遺物などに裏付けられています。写真はせいぜい傍証、あるいは専門家以外の一般人の理解を助ける補助的な資料の意味しか持ちません。)



さて、「韓国は“なぜ”反日か?」のサイトについて、一点だけ突っ込んでおきましょう。
「日本人 入場禁止」と商店に張り出されている写真。


これ自体は本物のようです。

ま、
「マナーも良く静かで金払いも確かな日本人が海外で入場を断られることはほとんど無いのだが、上でみたように韓国では日本人が断られることがある。 」
という自慰的な表現には、失笑を禁じえないのだが・・・。

最近の日本人観光客の態度がおおむね良好なのは多分確かだろうと思うが、それはあくまでも全体の傾向であって個人個人は別。マナーの悪い日本人だって当然いる。そしてそんなに海外旅行が多くなかった時代の日本人観光客の態度だって褒められたものではない。
韓国人も中国人も、民主化や資本主義化によってようやく海外旅行が増えてきている過渡期であって昔の日本のようなものだろう。



件のサイトではその写真を示して、韓国人は無礼だの不遜だのと述べている。


面白いのが、類似記事 『 日本人と犬、立ち入り禁止 』と紹介している中央日報の記事。
http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=63080&servcode=100§code=120
「【中央時評】「日本人と犬」立入禁止?漢陽(ハンヤン)大歴史学・林志弦(イム・ジヒョン)教授 2005.05.01 18:55:48」



まず、記者の体験として、
「新村(シンチョン)のある酒場前に掲げられた「日本人と犬、立入禁止」という警告板の写真だ。日本人の友だちと一緒に飲むため、適当な店を探す途中、警告板を見てしまったということだから、2人が同時に感じたはずの当惑さを分かるような気がする。」
と述べて、次にこの用法「○○人と犬、立ち入り禁止」の歴史について

「上海租界外国公園の入口に掲げられた「中国人と犬、立入禁止」、1968年までロンドン大前のパブに堂々と掲げられていた「アイルランド人と犬、立入禁止」、米南部の商店前に掲げられていた「黒人とペット、立入禁止」などの警告板は、それが「帝国」の文法であることを示している。 」

とそれが「「帝国」の文法」と指摘している。


そして、

「恐らく民族主義を売りものにし売上げを伸ばしたい、という商魂がさらに大きく働いたのではないか、と思われる。考えてみれば、韓国メディアの報じ方も似たようなものだ。 」


という商業主義批判と、


「鬱陵島(ウルルンド)から独島へ向かって出発するハンギョレ号の乗船口に「日本人立入禁止」という大きな看板が設けてある写真を撮って電送した有力通信や、その写真を受け取って堂々と掲載した主要日刊紙の見方が、それら商人よりマシなものとも言えない。 」


というそれに乗じた日本の商業主義に疑問を投げかけている。



非常に単純な質問一つだけでも、それらの商業的民族主義は、すぐにその薄っぺらな底をあらわしてしまう。日本の独島領有権主張に懐疑的な見方を示し、「新しい歴史教科書」の日本民族主義を批判し、日本の右傾化に反対する日本人も、立入禁止の対象だろうか?4年前に「新しい歴史教科書」の採択率を0.039%にすぎない、微々たるものにひきおろした日本の良心的な市民も、立入禁止の対象なのか?


私がこの警告板に戦りつする理由は、さらに根本的なところにある。単一の「日本国民」を作る、という「新しい歴史教科書」の目標から分かるように、日本の民族主義者は、すべての日本人を統一された意志を持った、一つの日本人にすることに全力をあげている。


ところが、この警告板は、日本と日本人の複数性を否定し、すべての日本人を一つにくくり、単一の日本国民を目指す日本右派の目標に、反射的に寄与しているのだ韓国の反日民族主義が、右傾化を主導する日本の民族主義と敵対的な共犯関係になるのは、こうした脈絡からだ。



記事ではこのように、韓国の民族主義と日本の民族主義(簡単に言えば、日韓それぞれのネトウヨ)が


”敵対的な共犯関係”


と指摘している。上手い表現だと思う。



要するに、韓国の民族主義と日本の民族主義は、すべての韓国人と日本人を、単一の意志をもった集合体に想定するとの点から、民族を「単位」で私有するコードを共有しているのだ。それが危険なのは、誰かを評価する際、その人が行なった行為の意図や結果を問題視するのではなく、その人がどの民族に属しているのかを、評価の基準にするからだ。


これに共感。
「誰かを評価する際、その人が行なった行為の意図や結果を問題視するのではなく、その人がどの民族に属しているのかを、評価の基準にする」ことが危険であること、全くその通りです。


こういうブログをやっていると、在日だの、朝鮮人だの、とネットを通じてわかるはずのない人種・国籍を断定するコメントをつけるバカが来るのですが、こういう人たちの判断基準というものは、”何を言っているか、ではなく、誰が言っているか”なんですね。


さらに言うと、”何を言っているか”理解できない。でもその結論は認めたくない。
だから、(彼らが敵とみなしている)「在日」とか「朝鮮人」とかレッテルを貼ることによって、その発言全てを信じなくて良いことにしてしまう。

ネトウヨと言うのは、こういう思考回路を持っている人を指します(私が使うときは、ですけど)。


で、「韓国は“なぜ”反日か?」のサイト。


このサイトの作成者の脳内では、日本人は一人残らず「マナーも良く静かで金払いも確か」で、韓国人は一人残らず「見当違いな不遜な態度を取る」ことになっている。そこに、日本人にも韓国人にも様々な人がいる、という視点は見受けられない。
単純に言えば、「誰かを評価する際、その人が行なった行為の意図や結果を問題視するのではなく、その人がどの民族に属しているのかを、評価の基準に」しているわけだ。


どうにも、この「韓国は“なぜ”反日か?」の作成者は、人間的にはるかに漢陽大の林志弦教授に劣ることは確かのようです。

少なくとも、中央日報の当該記事をちゃんと読んだとは到底思えませんね。