怪文書が好きなネトウヨ(クロード・ファレール編) | 誰かの妄想

怪文書が好きなネトウヨ(クロード・ファレール編)


http://www10.plala.or.jp/yosioka/syougen.htm
クロード・ファレール 「支那紀行」より

日本軍は驚嘆すべき冷静さを持していた。彼等は最も優秀なローマの警官の教える所を実行したのである。彼等は自動車にも死骸(大山勇夫海軍中尉と斎藤一等水兵)にも決して手を触れなかった。彼等は上海の支那人の市長及び英仏米の官憲を招致した。待つ間もなくその人々はやって来た。人々は事件の検証を行った。

中国兵が虐殺されて、百歩以上の距離の所に横たわっていた。しかし、その実地検証は、なんの異議もはさまれることなく、次のような事実を確認した。すなわち、この男は可愛そうにその同僚(中国兵)から自動拳銃によって、背後から、射撃されたのであって、その後、その日本人暗殺に対して争闘のような色彩を与える位置にひいて行かれたのであった。


これ、上海事変の直前、きっかけとなった大山事件についてよく引用される内容なのだが、調べてみるとどうもよくわからない。

クロード・ファレールという名の人物は実在するのだが、ネット検索でわかる範囲では、

Claude Farrère (Lyon, April 27, 1876 – Paris, June 21, 1957)
http://en.wikipedia.org/wiki/Claude_Farr%C3%A8re
この人物と思われる。

ただし、この人は作家なんですよね。イスタンブールやサイゴン、長崎などを舞台にしたエキゾチックな小説を書いたらしく、「幽霊船」とか「戦闘」とかが有名らしいけど、フランス文学でもやらない限りはあまりお目にはかからないのではないかなぁ。
1909年にフランスのゴンクール賞を受賞しているそうです(どんな賞かは知りません・・・、文学関連とは思いますが)。

ちなみに「戦闘」という小説では、日本軍人の妻として「みつこ」という女性が出て来るそうで、これが流行ったため、1919年にジャック・ゲラン(近代香水の父らしいです)が「ミツコ」という名を香水につけたそうです。


さて、問題は「支那紀行」なる本?をこの人が書いたかどうかです。第二次上海事変のあった1937年以降終戦までに書いた著作は以下の通りらしいですが(英語版WIKI)。

Visite aux Espagnols (1937)
Les forces spirituelles de l'Orient (1937)
Le grand drame de l'Asie (1938)
Les Imaginaires (1938)
La onzième heure (1940)
L'homme seul (1942)
Fern-Errol (1943)
La seconde porte (1945)


フランス語がわからないので、何とも言えませんが、「支那紀行」の原題に見えそうなのが

Les forces spirituelles de l'Orient (1937)
Le grand drame de l'Asie (1938)

くらいですかね。

あと、この人については、最近別の引用が出回ってます。


http://ch08016.kitaguni.tv/e185385.html のコメント欄

日本の刺戟により朝鮮は富み且つ沃土と化した。その平野は耕作され、岡には森林が 植林されている。道路と鉄道とは網状に構成され釜山と鎮南浦さ申分なく整備せられているのである。
満州国においても同様な進歩が認められるが満州国は朝鮮の様に国が何処から何処ま で一変したというのではない。朝鮮では日本の開化事業が四十年前に始まり、三十年前に漸く一段落ついたのであるが、満州国では事業に着手してから、辛うじて七年に なるに過ぎない。しかしこの七年間に国の災厄であった匪賊を抑え、-この真偽については新京の数名のフランス宣教師に尋ねて見られるがよい-又他日沃土と化すべき 耕作可能地七、八十万方キロの四分の一を既に開拓したのである。最後に満州国に多い石炭、錫、マンガン、鉛、金、プラチナの鉱山は既に踏査され、熱心な活動により 既に採掘が始められているのである。又奉天には既に世界最新型の製鉄所がある。尚、日本は世界の共同利権を脅かした匪賊を絶滅したのであるから列国は日本の満州国の実権を握っていることを祝賀せねばならぬのである。
クロード・ファーレル著 森本武也訳「アジアの悲劇」
昭和15年6月15日発行 日光書院刊  


これは、書名がはっきりしていて、古書店のデータにもあるので実在する本なのでしょう。内容の記述や翻訳がどうかは見てないし、フランス原文がわからないので何とも言えませんが。

この「アジアの悲劇」ですが、多分原題は

Le grand drame de l'Asie (1938)

ではないかと思います。「満州国では事業に着手してから、辛うじて七年になるに過ぎない。」から満洲事変1931年から7年であることは、出版年である1938年に一致しますし。


1940年訳であることから、ある程度は翻訳時の改竄を疑ってみる必要はあるかと思います。少なくとも日本に都合の悪い記述がカットされている可能性を否定できません(ヒトラーの「我が闘争」にある日本人蔑視部分が削除されたのは有名)。
とは言っても、引用部分の内容的にはフランスの文学者がアジアに旅行に来て、満州が日本の支配下になったおかげで旅行が楽にできるじゃないか、くらいの記述に過ぎませんけど(引用者は韓国・朝鮮批判の文脈で使ってますが、かなり的外れな気がします。)。


とにかく問題は、内容を追跡確認できないこと。

「アジアの悲劇(1940)」は国会図書館の蔵書にあるようですが、一般の図書館では見当たりませんでした。
「支那紀行」に至っては、本なのか記事なのか、何かの全集の中の記述なのかもわかりません。フランス文学全集で手当たり次第に探す以外に確認する方法が思い浮かびません。


前後にどんな文が続くのか、いつどういう状況下で書かれ、誰がどのような状況下で翻訳したのかがまるでわかりません。
本来なら、史料的価値の低い怪文書扱いでもいいくらいだと思います。大体、クロード・ファレルは小説家です。実録であるなどの注釈がなければ、フィクションかノンフィクションかすらわかりません。


デマを広げるのは簡単でも、デマがデマであることを検証するのは百倍以上の労力が必要だなあ、としみじみ思いました。