書評「在日・強制連行の神話」
元在日朝鮮人の鄭大均氏の本です。2004年第1刷。どちらかと言えば、右派な人です。
- 在日・強制連行の神話 (文春新書)/鄭 大均
- ¥714
- Amazon.co.jp
Wikipediaによると、鄭大均氏は1948年岩手県生まれの在日韓国人二世で、2004年に日本に帰化している。2006年には、あの「日本教育再生機構」に代表発起人として関与している。
「八〇年代から九〇年代の大部分を日本の外で暮らし」(p158)たとのことだが、1978年UCLA卒業という学歴から考えると、1970年代後半もほぼ米国にいたと思われる。
かなり右寄り視点の本ではあるが、戦前に朝鮮人差別そのものがあった点など基本的な事実を改竄していないのは評価できる。(ただ第4章・第5章あたりの論理の飛躍は酷い)
「強制連行」という用語をどう定義するかは確かに難しい問題であるが、この作者は戦争末期の徴用のみに限定しようとしており、なおかつ、当時の日本人なら皆徴用義務を負っていた点を併記して、問題を軽視しようとするのは、無理があると思う。
単純に考えても、日本内地と総督府政治下の朝鮮が同等の政治的権利を得ていたとは到底言えないだろう。同等の権利を有さないのに同等の義務を課したのであれば、問題であるのは当然なのだが、そういった権利の違いについては作者は触れていない。
また、国家総動員法自体、国内の感覚でも問題の多い法であったことにも触れてはいないのは、徴用という国家による国民への強制労働という視点を全く欠落させるという点で不適切だと思う。
さらに、戦争末期の徴用のみを強制連行とみなすのなら、募集や官斡旋はどうなるのか?全くの自由意志であったと主張するのか?その点にも触れてはいない。
第4章(p160-161)の記載。
「新潟港から最初の帰国戦が出向したのは五九年一二月一四日のことで、明くる六〇年と六一年の両年には、合わせて七万二千人の在日朝鮮人や日本人妻たちが高度経済成長の日本から北朝鮮に移動している。だが帰国者の数は、六二年になると三千五百人に激減し、朴慶植の本が刊行された六五年は二千三百人ほどである。」
鄭大均氏は、この激減の理由を北朝鮮の実態が明らかになったからであるかのように続け、そんな中で朴慶植氏が「朝鮮人強制連行の記録」を朝鮮総連関連から刊行したことを非難し、本自体の信頼性を落とそうと論を展開するのだが、そもそも1959年11月3日には三度目の日韓会談本会議が事実上頓挫し、ために韓国政府が反対していた北朝鮮への帰国事業が実行されたことを無視している。
1960年4月15日に四度目の日韓会談が開始されたものの、19日には韓国で四月革命が起こり、李承晩大統領が下野、新政権は一時北朝鮮帰国事業の中止を会談再開の条件としたものの(5月7日に言明したが5月11日には事実上の撤回)、結局は黙認している。
また、1961年7月には、北朝鮮とソ連が相互防衛条約、北朝鮮と中国が友好協力相互援助条約を締結し、その前年1960年に新日米安保条約を締結した日本にとって、北朝鮮への帰国事業の継続は徐々に困難になっており、日韓会談も1962年には賠償金問題(経済協力という形式)でほぼ合意に達し(金・大平メモ)、1963年には李ラインの撤廃もほぼ合意に至っている。
要は、1962年と言うのは、日本・韓国・米国対ソ連・中国・北朝鮮の冷戦構造が確立した時期であり、北朝鮮への帰国者の減少はその反映と見る方が自然な解釈であろう(冷戦の副産物としての北朝鮮に対するネガティブキャンペーンはあったろうが)。
こうした国際情勢の重大な変化に全く言及しない鄭大均氏の論旨はあまりにも稚拙である。
第5章(p172-196)には、「正論」2000年6月号に寄稿した文章がほぼ再掲されている(この文章が気に入っているのかなあ・・・)。
簡単に言うと、金嬉老事件に対する梁石日氏、姜尚中氏、辛淑玉氏らのコメントに対する批判であるが、なんとも批判にもなっていないレベルの誹謗に近い文章である。
これについては、既に「正論」6月号掲載版に対する批判として以下のサイトが詳しい(つっこみたいことがほぼそのまま書かれていたので、私が付言することはないです。google様ありがとう。)。
http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ronsetsu/tei_seiron0006.htm
鄭大均氏は、在日朝鮮人による「典型的な被害者の語り口」を「他者責任には関心を払うが、自己責任には無頓着な態度である」と非難している。この差別されている被害者に対し、自己責任を問うと言うやり方は、「いじめられる方にも責任がある」という言説に近い。
この言説はいじめの個々のケースについて対処する場合は適切であることもあるが、いじめ被害者全体という集団に対して用いるには乱暴に過ぎる言説であって、この文脈で使用するには不適切としか言いようがない。鄭大均氏はイスラエルで過去のユダヤ人差別被害者に対して同じことが言えるだろうか?言えるとすれば、1930年代のドイツでしか言えないのではないかな。
上記サイトからの引用「問題の当事者双方に反省を求めるのは、一見公平な態度に見える。だが、その「問題」が差別や抑圧に関わる問題であり、当事者の一方がその被害者、他方が加害者である場合には、これは公平どころか加害者側に一方的に加担するものでしかない。 」
まさに至言である。鄭大均氏の言い分は、差別加害者の自己責任を免責しているに過ぎない。
p195には「しかし六世であれ、何世であれ、帰化手続きを経て日本国籍を取得することはできるのであり、最近では、韓国籍・朝鮮籍をやめて日本籍になる人が年間1万人もいる。要するに自分の意思と選択で日本人になることはできるのである。」と書いているが、鄭大均氏自身は「八〇年代から九〇年代の大部分を日本の外で暮らし」(p158)ており、指紋押捺問題など在日外国人の人権問題が社会問題として大きく取り上げられていた時期に日本にはおらず、問題が改善された後、既に都立大学教授になっていた2004年になって帰化を行っているのである。
鄭大均氏が簡単に帰化手続きできたとすれば、それは大学教授という肩書きと、自らが日本にいなかった1980年代~90年代の人権運動の結果である。
帰化申請において、昔は酷い担当者が多かったことは、以下のサイトでも言及されている。
http://www.tazawa-jp.com/office/naturalization.htm
自らはその成果を享受しつつ、その成果を得るための努力した人々に嫌悪感を示す鄭大均氏の態度はかなり醜悪と言えよう。
そして、そもそも帰化しても差別は付きまとうことを無視しているのはどうかと思う。
例
http://choco.2ch.net/test/read.cgi/koumei/1021622786/
http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2006/08/04/472555
在日朝鮮人問題に密接に絡む日韓会談については、以下が詳しい。というより「在日・強制連行の神話」よりオススメ。1951年から1965年までつづいた日韓会談、その前後の話がよくわかります。日韓会談の中で、在日朝鮮人の法的地位についても議論されていることがわかります。
- 検証 日韓会談 (岩波新書)/高崎 宗司
- ¥663
- Amazon.co.jp
この本によると、日韓会談に関する日本側議事録はほとんど公開されて無いらしい・・・