弁護士の仕事について・GT3さんへの回答 | 誰かの妄想

弁護士の仕事について・GT3さんへの回答


引っ張った宿題を片付けます。
http://ameblo.jp/scopedog/entry-10034807678.html
なんか色々出てきた光の事件に関することです。
ただし、ほぼ一般論としての回答です。この事件固有の情報について吟味できてませんので。


最初に、GT3さんご回答ありがとうございました。


まず、結論(というか論点)としては、おっしゃるとおり
>私が思うに、議論の焦点はこの「最大限の」という条件について私は「A:限度がある」
scopedog さんは「B:無制限だ」という考えの違いにあると思います。

の部分だと思います。

もちろん、私も「無制限」とは考えてません。この点はGT3さんと同じです。
違うのは、何を持って制限とするか、という点かと思います。


弁護士法第1条を示していただきましたが、
>第一条  弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。

それと、
>弁護士の役目は被告人の代理(被告人の権利の保護)

については私も同意します。


今回の事件について、弁護団が主張した内容を言い出したのが、被告か弁護団かは現時点でわかってはいないと思います。本エントリもそれを前提としています。


それでもし、被告が言い出したことであるなら、弁護団は被告人の代理としてそれを主張せざるを得ない、ということは理解いただけるのではないかと思います。
弁護士個人が個人として、そのような主張はできない、と考えるのは自由です。その場合は弁護を辞退すればよいわけです。
ただし、憲法第37条3にあるとおり、被告には弁護士を依頼する権利があります。つまり誰かが被告人の主張を代弁せざるを得ないのです。
また、被告人の主張に対し弁護団がそんな主張は出来ない、と封じ込めてしまうことも、「被告人の権利の保護」という観点から出来ません(せいぜい、そのような主張は被告自身の利益にならないことを指摘できるくらい)。


ではもし、弁護団がこのような主張を言い出して被告人を納得させた場合はどうか。
他に有効な主張があるにも関わらずこのような主張を選択したのであれば、「被告人の権利の保護」という観点から批判されるべきというのは、前回も言いましたので繰り返しません。残された選択肢の中で最も有効だったのがこの主張であるという前提で考えます。


そうすると、「被告人の権利の保護」という観点から、現状で最も有効と考える主張を助言することはやはり弁護士の責務だと思います。

さて、私とGT3さんとの違いですが、おそらくこの「今回の主張を弁護団が言い出した場合」の合法性の判断の違いに起因するのではないか、と思いますがどうでしょうか。


実際には、接見の際に弁護方針などが決まってるのでしょうから、どちらが言い出したかを判定するのは難しいと思いますが、仮に弁護団から言い出したものとして以下述べます。


>裁判官・検察・弁護士の3者で均衡するような役割は期待されていないと思います。
>例えていうならば検察と被告弁護士の間の綱引きを公正公平にジャッジするのが裁判官です。

私の述べたのも例えに過ぎないので、上記のようなモデルも理解できます。

>あと安定しては困ります。どちらかに綱が偏る必要があります。
>なのであくまでも(裁判の前提条件としての力)のバランスです。

均衡・安定と呼んだのも、「(裁判の前提条件としての力)のバランス」の事を指してます。検察・弁護の一方が有利になるようなシステムではいけない、と言う意味ですから(例えなのでわかりにくかったかも知れませんが)。


>彼らのどこが使命に反しているのかはもうお分かりだとは思いますが
>「死刑を回避させるためならばどんな手でも使う」
>というのがミエミエなところです。

これには同意できません。
弁護団の目的は、被告人の基本的人権の擁護にあります。可能な限り、最大刑である死刑の回避に努めるのは弁護士としての義務です。
「どんな手でも」と言いますが、私の知る限り、違法と呼べることはしていません。つまり「限度内」という認識です。


裁判に詳しいわけではありませんが、「1審2審で主張してこなかった」主張を行うこともこれまで皆無だったわけでもないでしょう。というよりむしろ、一般的には「1審2審」で明らかでなかった事実を示すからこそ審議を続ける意味があるのではないかと思います(もちろん、裁判官が変われば判断が変わる、という期待で上級裁判に臨むというのもありますが)。


>死刑制度を廃止したいという弁護団の個人的主張と嘘をついてでも死刑を免れたい(少しでも刑を軽くしたい)という被告人の利害がタマタマ一致した

死刑制度反対の主張と弁護業務の親和性が高いのは、方向性が同じである以上当然で、「タマタマ一致した」とは言えません(逆に死刑制度賛成の弁護士だとしても死刑回避に努めるべきなのは当然です)。


>手段を選ばず真実とはちがうことでもなんでも主張しているのでしょう。

この部分は推測に過ぎません。


私も”信じがたい”とは思いますが、”真実ではない”と断言は出来ません。そもそも私は、警察発表などに多く依存するマスコミ発表については、「誤りがあるかも知れない」というスタンスです。
裁判になった例ではありませんが、1994年6月の松本サリン事件がいい例です。当時の報道では河野氏が犯人としか思えませんでしたが、事実は違いました。
今回の事件に関して、私が把握しているのはマスコミを通したものに過ぎませんので断言できないのです。
ですので、私は弁護団が”信じがたい”主張をすることは批判しません。信じるか否かの判断は裁判官が行うべき、と考えています。


>加えて、すこし見方をかえてみますが被告を守るためだったら
>「うそはっけんきに反応しない方法」や
>「本当は正常者なのに精神鑑定で異常者になれる方法」を
>弁護団が伝授したりするのもscopedog さんは「正当な弁護行為」とお考えででしょうか?


これは問題外です。現実に行われている可能性はあるでしょうが、基本的に違法行為であって容認できる物ではありません。これは、検察が「「社会=国民に変わって」「訴え」るのが仕事」とは言っても、証拠の捏造や不利な証拠の隠匿をしてはならないのと同様にやってはいけないことでしょう。


>死刑を逃れるためならば嘘でもなんでも主張する・・・

これも推測に過ぎません(そもそも嘘と決まったわけではないですし。「疑わしい」=「嘘」ではありませんよね)。
もし、これを批判することによって弁護団が主張を取り下げ、死刑になった場合、推測を根拠として死刑になったも同様です。
嘘であるなら、法廷で堂々と検察が論破すればいいだけの話です。
法廷に持ち出す前に止めなければならない意味はありません。


>こういう主張を真顔で平然と行う弁護団を批判するなというのに無理があります。

私には、なぜ法廷で審議されることすら否定するのかが理解できません。
批判する人たちは、こういう世間に受け入れられ難い主張を弁護団内部で取捨選択せよ、と言っているように思えますが、そのような弁護団内部というブラックボックス内で、世間体を慮った判断をすることを容認するのでしょうか?
私は、非公開の弁護団内打合せで判断されるより、公開された法廷で判断される方を望みます。


>ここまで読んでもまだ弁護士は「B:無制限に」被告を守るべきだ
>とscopedog さんが主張するのであればこれ以上議論しても平行線でしょうね。

「B:無制限に」被告を守るべきとは考えていません(合法の範囲内で最大限)が、やはり同意できません。
違法な弁護活動とは思えませんので。
弁護士法第1条の「社会正義」が何を指すかの解釈によるとも思いますが、合法の範囲内で被告を守る行動が社会正義に反するとは思いません。


>南京事件や従軍慰安婦問題に置き換えて考えてみてください。
(中略)
>それが政治家として「あたりまえ」と考えますか?

考えません。
なぜなら、「国家の利益」=「経済的負担」ではありませんから。
対日感情の悪化に伴う貿易損失や外交問題、結果として国家主義・軍国主義を助長する国内問題なども考慮して初めて「国家の利益」と言えます。つまり多様な価値基準が存在するわけです。
これに対して刑事裁判における弁護団の価値基準は、量刑の一点のみです。
同列に考えられる問題ではありません。


>私がなぜつぶやきの再考を促しているか分かってもらえたでしょうか・・・

理解したつもりですが、やはり同意できませんです。


>真実を明らかにすべき法廷
という言葉を述べられてますが、これは何も法廷に提出されるものが真実に限る、という意味ではないでしょう。真偽入り混じった証拠を吟味して真実を導く、という意味でしょう。真実が明らかにされていない段階で、これは嘘だから裁判に提出してはならない、などというのは、裁判を受ける権利(憲法32条)の侵害ではないですかね。例え結果として嘘と判断されても、主張する権利は認められるべきでしょう(というか、事前に嘘だと決められないので)。

これは重要なことですが、裁判の内容は基本的に公開されるため、そこでいかなる審議が行われたかを知ることが出来ます。一方で、弁護団と被告のやり取りは公開されません。もし弁護団が”社会正義”の観点から被告の主張を嘘とみなしても、その根拠などは一切公開されません。被告は事実上、非公開裁判で裁かれたことになります(憲法第37条に違反する可能性)。もし、真実を明らかにしたいのなら公開の場である裁判で判断するべきです。


以上が、私が弁護団を批判するのはおかしい、と考える理由です。