法律ってのは悪用されることを前提に考えるべきなんだが・・・ | 誰かの妄想

法律ってのは悪用されることを前提に考えるべきなんだが・・・


言うまでもなく、法律ってのは、国家権力が主権者たる国民の権利を制限する機能を持っているわけで。なので、政府(国会)が法律を作ろうとしている時は、国民はその法律が悪用された場合、どうなるか考えるのが基本。


もちろん、法案提出者は「悪用なんてしませんよ」って言うに決まってるわけです。
日本の国家総動員法もナチスの全権委任法も審議ではそう言って国民を騙したわけです。
最近の例では国旗国家法ですね。教育関連の法案もおそらくそうでしょう。


悪用されるものと想定して法案のあらを探すのは野党の重要な役目です。
つまり、野党は批判ばかりしている(対案を出せ)、っていう非難は基本的に的外れなわけです。
対案は出せるときと出せないときがあって、何でもかんでも「対案」って言って野党批判をする人は、まず間違いなく与党の工作員(統一協会・創価学会とかか?)か盲従する支持者(党員とか信者とか)かそれに踊らされている人(ネトウヨ)のどれかでしょう。

当然ですが対案も法案であって、そこには必ずあらがあります。与党としては野党対案のあら探しをして、与党法案のあら探しをする暇を与えない、という戦術が取れるわけですね。その戦術を使って最終的に数の力で法案を通されてしまうと、成立した法案は十分に吟味されていないものになっている可能性が高いわけです。

野党に対案を求める人は、結局のところ、成立法案の粗悪化に手を貸してるわけですな。


それはそれとして、mujinさんのところ で知ったこと。

「著作権法の非親告化」法案の件。

「権利者当人がなにも言ってないのに、赤の他人が先回りして二次利用を制限するってのがおかしい、つー話。」
に全面的に同意です。

著作権侵害については、著作権の所有者自身が侵害を確認した場合に親告すれば言いだけの話なのに、なぜ非親告化が必要なの?
これに賛同している人たちって、多分、違法画像だとかそういうものが取り締まられるんだろう、と素朴に考えているんだろうけど、この法律も本来なら悪用されることを考えるべきなんだよね。


著作権法に詳しいわけではないので以下の例が適切かは断言できませんが。


例えば、イラク戦争での被害を訴えるような映画があったとします。
地方の町内会の委員がこの映画のDVDを借りてきて公民館で放映したとします。
映画の著作権者は、反戦を訴えるためなのでそういうところでの放映は構わないと考えていたとします。
でも町内会の委員は著作権法違反で捕まりました。
その事実は特に著作権者に伝えられることもありませんでした。


こんなことが起こってもおかしくないわけですよね。

別にDVDでなくても反戦団体が配布しているチラシや冊子の内容を別の反戦団体が二次利用した場合も摘発可能ですよね?


同じく、ブログで誰かの上手い表現を持ってくることも危険なわけですよね?
”安倍壷三”とか。”Abend”とか。(引用の範囲で済むのかも知れんけど)


一体誰が被害者なの?と言う事例で摘発される可能性があるわけですよ。


竹熊さんの言っている漫画家などの表現に対する懸念 もさることながら、それ以上に怖い法案だと思います。