李容洙証言は否定できるか? | 誰かの妄想

李容洙証言は否定できるか?

李容洙氏は複数回の証言において、拉致時点の年齢が変わっており、慰安婦否定派やネトウヨたちからは「嘘つき」と誹謗されている。李容洙氏が虚偽証言をしていると仮定しても、全ての慰安婦の証言が覆るわけでもなく、事件全体としてはほとんど影響しないはずなのだが、ネトウヨ得意の「一部の否定を全体に適用する手法」が多用されています。


とりあえず、今回は李容洙証言は虚偽と言えるか、について検討してみます。


ネトウヨの主張する虚偽とは、年齢と勤務期間に関することのみである様子。


まず、李容洙氏が1928年12月13日生まれであることを前提として以下の記事を考えてみよう。


赤旗新聞(2002/6/26):拉致時点「14歳」、証言時点73歳(数え年74歳)(記事内:74)
朝日新聞(2007/4/27):拉致時点「15歳」、報道時点78歳(数え年79歳)(記事内:年齢記載なし)
朝鮮日報(2007/4/30):拉致時点「16歳」、報道時点78歳(数え年79歳)(記事内:79)


朝日新聞については、記事内に現在の年齢の記載がありませんが、赤旗・朝鮮日報では数え年で表記しています。記事の方針と言うよりは、この年代の人達の習慣として数え年で応えたのでしょう。


で、実際に拉致されたのはいつか?

http://toron.pepper.jp/jp/syndrome/ianfu/shougen/lieyousu20.html
2004/1/26日付の記事にある証言(日本語・多分機械翻訳)


によると、拉致された後、台湾へ移送中の船舶で年が明け、その年に終戦。朝鮮に帰国したのは「麦が青く上って来る頃」なので1946年の春と考えられる。

すると、1944年に拉致され、1946年までの足かけ3年にわたって拘束されたことになる。


さて、拉致されたという1944年の時点(秋なので12月以前)で、李容洙氏の年齢は、満15歳、数え年で16歳です。


なので、朝日新聞(2007/4/27)と朝鮮日報(2007/4/30)の記事は矛盾せずに共存しえます。ひょっとしたら朝日新聞の記者は、拉致当時の満年齢で聞いたかもしれません。少なくとも李容洙氏の嘘と断定することは出来ません。


問題は、赤旗新聞(2002/6/26)の記事ですが、これは李容洙氏の初期の証言です。
そして、70歳の老人に60年前の出来事を聞いているわけです。記憶違い・言い間違いなどの可能性があっても不思議ではありません。以後証言を重ねるにつれて、記憶が鮮明になったり思い違いが訂正されたりするのも不思議ではありません。


周りに70歳超の人がいるなら、一度聞いてみるといいと思います。例えば「山本五十六が戦死したとき、おじいちゃん(おばあちゃん)何歳だった?」とか。おそらく勘違いしている人は少なからずいるでしょう。
要するに、証言によるこれらの年齢のずれは、証言の信憑性を損なうほどの重要性を持っていない、と考えるべきでしょう。


次にこれですかね?

http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-590.html
【2004年12月14日】「京都の市民集会」:
 「16歳の時に台湾へ。移動中の船の中で、日本の兵隊たちに繰り返し強かんされる。その後、連れて行かれた先の台湾で、日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された」。

【2007年4月28日】にハーバード大学:
 「16歳の時に強制連行され、2年間日本兵の慰安婦をさせられた」。「日本兵に足をメッタ切りにされ、電気による拷問を受けた」と証言している。


要は、3年なのか2年なのか、と、1944年に連行されて2年(3年)なら戦後も慰安婦だったのか、と言う疑問(というよりいちゃもんに近い)。


例えば
「「16歳の時に強制連行され」たとすれば、1944年12月~1945年12月(誕生日前)の時期の出来事となる。それから「2年間日本兵の慰安婦をさせられた」(同証言)とある、とすれば、1946年12月~1947年12月(同じく誕生日前)まで、「日本兵の慰安婦をさせられた」ことになる。 」


極端な例を言うなら、大晦日の夜にお参りすることを2年参りと呼びますが、これに「2年間参拝しているわけじゃない!虚偽だ」という馬鹿はどこにもいないでしょ。

つまり、3年間というのは、「1944年に拉致され、1946年に帰国するまでの"足かけ"3年」のこと。満州事変1931/9/18から日本敗戦1945/8/15までは、期間としては14年間足らずであるが、足掛けで「15年戦争」と呼ぶのと同じ。


1946年に慰安婦であるはずはない、と言うのはその通りだが、船舶のほとんどを失った日本が台湾から朝鮮までの船をすぐに手配できるわけもない。1945年内に帰国することができないのは不思議でもなんでもない(引揚事業がどれほどの規模かを知っていれば納得できる)。そしてその間、台湾を管理したのは誰だったかと言えば、ほぼ間違いなく日本軍なわけですよ。つまり李容洙氏にとっては、終戦後もなお日本軍が周りにいる状態だったわけです(国民党軍もいたでしょうけど)。また、慰安業務を行ったかどうかはともかく立場上は「慰安婦」のままなので、「日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された」と言うのは間違ってはいません。

そして、日本敗戦後を含まないのなら、足掛け2年になるわけです。1944年秋から1945年8月までなので実質的には1年未満でしょうが、これを「2年」と呼ぶことは、慣用的によくあることです。


こんな感じですかね。
いずれも重大な疑問というには程遠いですな。
李容洙氏が、実際に日本軍慰安婦として被害にあった方かどうかは、自分で調べたわけではないので断言は出来ませんが、上記のような年齢、期間の表現上のずれをもって虚偽だとは思えません。多くのネトウヨの「年齢、期間の表現上のずれ」に対する論証(と呼べるかどうかはともかく)よりは、多くの研究者や記者が李容洙氏に行ったであろう検証の方が信頼できると考えるのが自然でしょう。
「年齢、期間の表現上のずれ」など極端な話、ただ単に記者の誤記である可能性すらありますし。


とは言え、研究者や記者が常に正しいわけでもありませんので一言。


もし、李容洙証言が虚偽であることを主張したいのなら、1944年秋から1945年までの期間、どこにいたかを調査するべきでしょう。もし、ずっと朝鮮にいたことが証明されれば、虚偽であることを示せます。あるいは、台湾以外の別の地域にわたったことを示す渡航記録とかね(本気でこれをやれば、日本が終戦時に資料を大量に処分したことがいかに歴史研究を阻害しているかがわかると思いますが)。

家に篭もってネットと新聞を見ただけで全てを知った気になるのは、かなり恥ずかしいことですよ。


証言を否定・批判するにしても手順というものがあり、それを無視すればゴロツキと変わりません。「年齢、期間の表現上のずれ」程度で、個人を「嘘つき」呼ばわりして「韓国はいい加減にしろ!」などと誹謗中傷を続けることが、道義的・法的にいかなることかくらいは理解するべきですな。