悪魔の証明 | 誰かの妄想

悪魔の証明

なんだか、
「ないことの証明はできない(ないし、困難である)」=「ないことが証明できた」
という悪魔の論理学に落ち込んでいる人が多い。


言うまでもなく、証明していないんだから、「ないこと」を証明できていないことは自明だろう。


悪魔の証明を巡る悪魔の論理学


(命題1)事象Aが事実であるという証拠はない。
(命題2)事象Aが事実でない証拠を示せ、ということは悪魔の証明を求めることと等価である。

上記、命題1、2より
(結論)事象Aは事実ではない。


これのどこが間違いかというと、割と最近証明されたフェルマーの定理のように証明されていない難問はいくつもあって、そのうちの一つ、リーマン予想を例にとって見てみよう。


(命題1)リーマン予想が事実である、という証拠はない。
(命題2)リーマン予想が事実でない、という証拠を示せ、ということは悪魔の証明を求めることと等価である。

上記、命題1、2より
(結論)リーマン予想は事実ではない。


どうだろうか?
これで証明できた、といえるのなら、私はクレイ研究所から100万ドルもらえることになるが、恥ずかしいので発表しない。

まあ、これが悪魔の論理学(一見正しそうな命題と論理展開から、明らかにおかしな結論を導くこと)の典型と言えよう。


では、歴史問題で見てみよう。

(命題1)日本軍中央の指示による組織的な従軍慰安婦の強制連行が事実である、という証拠はない
(命題2)日本軍中央の指示による組織的な従軍慰安婦の強制連行が事実でない、という証拠を示せ、ということは悪魔の証明を求めることと等価である。

上記、命題1、2より
(結論)日本軍中央の指示による組織的な従軍慰安婦の強制連行は事実ではない。


もう一つ
(命題1)南京大虐殺の犠牲者の数が30万人であることが事実である、という証拠はない
(命題2)南京大虐殺の犠牲者の数が30万人であることが事実でない、という証拠を示せ、ということは悪魔の証明を求めることと等価である。

上記、命題1、2より
(結論)南京大虐殺の犠牲者の数が30万人であることは事実ではない。


まあ、ある程度、論理的思考が可能であれば、いずれも論理学的におかしいことはわかるだろう。
正しい答えは、いずれも「事実かどうかわからない」である。


問題は何か、というと証拠がないにも関わらず「事実ではない」と断定している点。
言い方を変えると、事実である(黒)、事実でない(白)、事実かどうかわからない(グレー)、の3つの場合があるにもかかわらず、グレーの存在を無視しているということ。これが問題。

悪魔の証明については裁判の例に言及することが多いが、裁判では「推定無罪」の原則に従って、基本的にグレーは無罪(白)としているため、擬似的に白と黒しか存在しないように見えるにすぎない。
しかし、数学や歴史学をはじめ裁判以外の多くの場合はグレーを白とみなすようなことはしない。白でも黒でも断定するには、証拠を必要とする。証拠がない場合はグレーである。


・あった
・なかった
・あったともなかったとも言えない


まあ、何を考えるにせよ、このぐらいの思考の幅は持ったほうがいいだろう。