産経症・渡部君、誤訳に執着
ネトウヨ大好き渡部君、なんかもう1から10までトンデモになってるなあ。
この人のリットン報告書の解説がトンデモなのは、既に指摘したが 、その後、翻訳部分を読んでみると、誤訳とはいえないまでも少々細工をしているのを見つけた。
以下の部分(全文リットン報告書 第2章)。
日本語(渡部昇一訳):p96
張作霖元帥の死(1928年6月4日)
(中略)
この殺害の責任は今日まで確定されていない。惨事は神秘のベールに覆われているが、当時、この事件は日本の謀略ではないかという嫌疑が起り、すでに緊張していた日支関係に一段の緊張を加えることとなった。
英語:p29
Death of Marshal Chang Tso-lin, June 4th, 1928.
(中略)
The responsibility for murder has never been established. The tragedy remains shrouded in mystery, but the suspicion of Japanese comlicity to which it gave rise became an additional factor in the state of tension which Sino-Japanese relations has already reached by that time.
まあ、張作霖暗殺が日本軍によるものであるのは、現在ではよく知られている事実です。
特に誤訳とまではいえないけれど、「当時」という文言を入れるなら、「当時すでに緊張していた日支関係に~」であって、「当時、この事件は日本の謀略ではないかという嫌疑が起り」とするのはおかしいですね。
「当時」に該当する英文は「by that time」しかないし。
もう一つ。
日本語(渡部昇一訳):p97
若き元帥、中央政府への忠誠を宣言する
こうして張学良と国民党および南京の関係は緊密の度合いを加え、1928年12月、彼は易幟[幟を変えること。満州に国民党の青天白日旗をいっせいに掲げた]を行い、中央政府に対する忠誠を宣言した。そこで「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内モンゴルの一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。
満洲は国民党シナと合体した結果、満洲の行政組織を中央政府のそれと似せるよう多少の変更が必要となり、委員制度が採用され、国民党の各級支部が設立されたが、事実上は従来の旧制度のもとに従来の旧人物が活動していた。
英語:p29
The young Marshal declares allegiance to the Center Government.
He was made Commander-in-Chief of the North-Eastern Frontier Army and was also confirmed as chief of the administration of Manchuria, with the addition of Jehol, a part of Inner Mongolia with an area of about 60,000 square miles.
この節は、本来の英文では、「(彼は)「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内モンゴルの一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。」しかないのに、前後の節の文章の一部をこの節の中に移している。
これも明確に誤訳とは言えないだろうが、原文ままに
「若き元帥、中央政府への忠誠を宣言する
彼は「東北辺防軍総司令」に任じられるとともに、内蒙古の一部、約6万平方マイルの面積をもつ熱河を加えた満洲政権の長官と認められた。」
とした場合に比べて、「事実上は従来の旧制度のもとに従来の旧人物が活動していた」などと付け加えることによって、張学良の満州政権が蒋介石国民政府の一員となった事実が曖昧であるを印象を読者に与えているように思うが、どうだろう。少なくとも本来この節にかかれていた内容に対する印象は変わるだろう。
ちなみに、渡部君は「リットン報告書」解説部分で、「満州は、シナの一部であったことはない」と主張している。彼にとっては、満州の張学良政権が正式に蒋介石の国民党政府に従属したことは認めたくない事実なのだろう。
どうも、渡部君はこういうことをする人らしい。
他にも、日本とシナ―1500年の真実/渡部 昇一 とかで、自らのトンデモを披瀝しているようですが(おさかな日記/『日本とシナ』とりあえず感想 で紹介されてます。)
そういったことを踏まえて、1月9日の産経・正論(笑)を見てみよう。
【正論】上智大学名誉教授・渡部昇一 先祖の恥をそそぐ意志持て
上智大学名誉教授・渡部昇一氏
■東京裁判の不当さなぜ認めない
≪チャーチルの偉業≫
チャーチルについては少しばかり複雑な感情をもっている。何しろ日本を望まざる大戦に追い込んだ張本人の1人である。憎しみの感情を抱かざるをえない。と同時に、一個人として見る時、20世紀第一級の人物の1人として尊敬せざるを得ないからである。この人の言行や伝説から教えられることは実に多いが、特別に私に感銘を与えたのは、彼が自分の先祖のモールバラ公の汚名をそそぐために、約5年の歳月をかけて、各巻600ページの大冊4巻の歴史的伝記を書いたことである。
★「何しろ日本を望まざる大戦に追い込んだ張本人の1人である」はぁ?さすが渡部氏、最初から飛ばしている。一体どんな妄想を抱いているんだろう?
モールバラ公は17~18世紀の天才的軍人でブレニムの戦いで大勝し、ルイ14世の野望を挫(くじ)くのに力があった。しかしフランスに逃亡していたジェイムズ2世と連絡し、祖国イギリスを裏切る行為があったとされていた。マコーレーの『英国史』の中で、モールバラはコテンパンに批判されていた。何しろマコーレーは蓋世(がいせい)の大歴史家であり、その『英国史』はイギリスの読書階級の必読の書とも考えられていたから、チャーチルは自分の先祖を恥じながら成長したわけである。ところがチャーチルは還暦を迎える少し前に、父の友人であったローズベリー伯爵(首相でもあり読書人でもあった)から、モールバラ公の裏切り説を否定する文献がフランスにあることを示唆された。チャーチルは躍り上がって喜び、若き俊秀モーリス・アシュレーらを助手とし、リンデマン教授らの助けを得て、自国とフランスの文献やヨーロッパの戦跡を徹底的に調べ上げ、見事に先祖の恥をそそぐことに成功したのであった。4巻二千数百ページに及ぶ大著はその結果である。1953年(昭和28年)に政治家として最初のノーベル文学賞を与えられたのには、この著述が大きな役割を果たしたといわれた。
★文献を発掘し真っ当に研究した結果として、恥をそそげたなら重畳なことですがね。恥をそそぐこと自体を目的として、都合のいい文献だけを集めるのでなければよし。
≪自衛のための戦争≫
さてひるがえってみると、日本国民も長い間、侵略国として東京裁判により断罪されたために、肩身の狭い思いをしてきた。しかしその東京裁判なるものは、国際法には一切関係なく、マッカーサー司令部の決めた条例(憲章)にもとづき、ポツダム宣言の条件を無視して行われた占領行政であった。
★肩身が狭いのは、旧日本軍を実情以上に美化しようとしている人たちだけじゃん。侵略の歴史を反省して60年間おおむね平和であったし、平和のための活動の実績は誇っていいわけだし。
しかも東京裁判の法源ともいうべきマッカーサー元帥自身がアメリカ上院の軍事外交合同委員会という公式の場で「従って日本が戦争に突入した目的は主として自衛(セキュリティー)のために余儀なくされたのであった」と証言している。これはチャーチルが「カーマレー湾書簡」が偽書であることを発見して、先祖モールバラ公300年の恥をそそいだのにも似た証拠で、戦後60年の日本の恥をそそぐに十分な証拠であると考えられる。
★別エントリ
で指摘したが、securityを「自衛」と訳すこと自体、誤訳。原文はこれ。
「They feared that if those supplies were cut off, there would be 10 to 12 million people unoccupied in Japan. Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security.」前半で国内の失業者に対する懸念を述べていることを考慮すれば、後半のsecurityは国内の治安悪化の防止、という意味でのせいぜい「保安」程度の訳しかできないだろう。大体、警備会社だってSecurity Serviceと訳すけど、これを自衛なんて言いません。まして国家間の安全保障みたいなのって深読みのしすぎ。
★「戦後60年の日本の恥をそそぐに十分な証拠であると考えられる」なんて言ってると恥かくよ。
★100億光年ほど譲って、マッカーサーがそう言ったとしても、それが事実とは限らないし。
≪「裁判」と「判決」の間≫
ところが、このマッカーサー証言が報告されても喜ばない日本人、また無視し続ける日本人有識者が多いのはどうしたことだろう。チャーチルが先祖を愛したほどの愛を、自分の国の歴史に持たないのであろうか。
★こたえ:誤訳だから。
★しかし渡部君、英語学が専攻のはずなんだが。
それどころか「日本はサンフランシスコ条約で東京裁判を受諾して国際社会に復帰したのだから、その第11条を守る義務がある」という詭弁(きべん)を弄(ろう)する大新聞や学者や政治家がうようよいるのはどうしたことか。例の第11条には「東京裁判の諸判決を受諾し実行する」とあるが、日本はその諸判決は忠実に実行して片づけている。しかし日本は「裁判」などに納得したとは言っていないのだ。「判決」には敗戦国だから従わざるをえなかっただけである。「裁判」と「判決」を混同するのは敗戦利得者たちの悪質な詐術である。有り難いことに最近戸塚ヨットスクールの戸塚宏氏は「裁判」とその「判決」の違いを誰にもわかるように示してくれた。
★うわ・・・、「裁判」と「判決」は違うとか言い出したよ。すると、日本政府は「裁判」に納得してないのに、刑を執行した、と。死刑だっているのに・・・。無罪で法的根拠がないのに、殺したんだ・・・。って、本気で考えているのかね?
★「「裁判」と「判決」を混同するのは敗戦利得者たちの悪質な詐術である」裁判認めずに判決認めるってのは、日本政府は無罪の日本国民を殺害することを認めた、ってことだよ。わかってんのかしら?
戸塚氏はスクールの生徒を死なせたということで傷害致死罪という告発を受け、それにもとづく裁判の判決を受けて服役した。刑務所に入る時、戸塚氏は「懲役判決を受けたので国民の義務を果たして参ります」と言った。刑務所の中で彼は規則をよく守る模範囚だった。当然、刑期を短縮して仮釈放されるはずであった。しかし戸塚氏は仮釈放されることをことわった。というのは仮釈放されるためには罪を認めて「悪うございました」と言わなければならない。戸塚氏は業務上の過失致死でならいくらでも謝ることができたが、傷害致死や監禁致死という裁判を認めることはできなかったのだ。東条英機被告たちも東京裁判を否定し、あれは自衛戦であったと言いながら(後のマッカーサーの意見と同じ)、判決には服したのである。(わたなべ しょういち)
★「東条英機被告たちも東京裁判を否定し、あれは自衛戦であったと言いながら(後のマッカーサーの意見と同じ)、判決には服したのである。」いやだからマッカーサーのは誤訳だって。ところで戸塚氏の「傷害致死や監禁致死を認めない」言や東条英機の「あれは自衛戦であった」言を支持して擁護するのなら、オウムの麻原だって擁護できちゃうよな。「あれは宗教活動であったと言いながら、判決には服した」とか。
★結論としては、渡部氏のトンデモ史観炸裂が面白いとしか言えない。しかし、これだから産経は止められない(既に中毒症状が・・・)。
(2007/01/09 05:12)