産経症・産経の読みすぎはあなたの精神の健康を損なう恐れがあります | 誰かの妄想

産経症・産経の読みすぎはあなたの精神の健康を損なう恐れがあります

産経新聞の購読は、あなたに判断力の低下をもたらす危険性を高めます。
データに基づかない筆者の直感的な推計によると、重度の産経症患者には産経新聞が中道に見えてくるなどの症状が現れます。
精神衛生のため、産経新聞以外の新聞もバランスよく購読することをお勧めします。
まあ、最近は全体的にちょっとおかしい気はするんだけど・・・


今回の話題

核論議、二階国対委員長が首相の責任論に言及(産経2006/11/5)  

しつこく核論議を語る中川昭一政調会長や麻生太郎外相のような奴らに対して、二階俊博国対委員長がたいがいにしとけよ、というようなこと(「非核三原則は国是だ。日本は好戦的な国ではないとようやく理解されるようになったのに、国会中に急にこういう議論を持ち込むことについて少し考えてほしい」)を言ったわけだが、それに加えてろくに窘めもしない統一協会安倍晋三に対しても苦言を呈したわけだ。


非核3原則に異議唱える人いない 安倍首相(産経2006/11/6)

統一協会安倍の首相になってからの立場はこんな感じだが、核武装の是非が「作らず、持たず、持ち込ませず」という非核3原則の是非と同じであることは、日本語が理解できる人間には誰でもわかることである。(まあ、産経も統一協会安倍も切り離そうと必至のようだが)


とすると形式上は、自民党政調会長や外務大臣は、自民党総裁であり内閣総理大臣である統一協会安倍をないがしろにした発言を続けていながら、それを統一協会安倍はなんら掣肘できていない、ということになる(ま、実際は自身も同意見だからであろうが・・・)。形式上の話を続けると、統一協会安倍は閣内党内を統率する指導力に欠けており、かつ統率できない人間を政調会長や外務大臣に任命した目先の利かない愚者、ということになろう。

「任命権者の責任を問われる事態になりかねない」という二階発言は至極当然である。

二階の「国会議員に言論の自由が保障されるのは当然だが、何を言ってもいいわけではない。まあ賢明なリーダーたちなので心配ないでしょう」には疑問だが(「えっ?賢明なリーダー?誰が?そんなのいたっけ?」という意味で。まあ国民を欺くという意味では狡賢いのかも知れんが、「狡猾なリーダー」といった方が適切だと思う。永田町方言かな?)。


さて、問題はこれらに対する産経の姿勢だ。

2006/11/7産経抄・主張で、二階批判を展開し、2006/11/7正論(防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛)では核論議と非核3原則は別だという主張を行っている。
面白いことに、二階は批判するが、「非核3原則に異議唱える人いない」という統一協会安倍は批判しない。安倍の本心は違うということを確信しているのだろう。

もう一つ面白いのは、中川昭一も麻生太郎も自分は核武装論者ではない、と言っていること。じゃ、議論しなくていいじゃん!何が不満なのよ!
核武装の是非について議論が発生するとしたら、核武装すべきと主張する議員がいなきゃ始まらない。みんながすべきでない、と考えているなら、議論する必要がないんだから
で、誰が核武装すべきと主張しているの?中川?麻生?安倍?いないの?
ミステリーだ・・・


順に見ていこう。★~は筆者の突っ込みです。
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平成18(2006)年11月7日[火]
 日曜日のNHK討論番組での、自民党の二階俊博国対委員長の発言には仰天した。中川昭一政調会長や麻生太郎外相が提起した核論議に対して、「任命権者の責任を問われる事態になりかねない」と、安倍晋三首相まで持ち出して“封殺”するかまえだ。

★こんなもんで仰天するのでは、書いてる人の精神状態が心配になってしまう。ところで「富田メモ」のとき議論を封殺しようしたのは誰だっけ?

 ▼北朝鮮の核の脅威が現実のものとなり、海外では、日本の核武装の可能性が取りざたされているのに、国内では論議さえ許されない。このギャップはどこからくるのか。比較文化論が専門だった鯖田豊之さんは、かねて欧米諸国と日本の「平和観、戦争観のくいちがい」を指摘していた。

★中川とか麻生が核武装発言をするから、海外で「日本の核武装の可能性が取りざた」されるんでしょ。原因と結果を入れ替えないでほしい。そんなに議論したいのなら、「自民党は非核3原則の放棄とNPTからの脱退を検討しています」と宣言して総選挙をおこなってみたらどう?

 ▼鯖田さんは、鎖国を例にとって説明する。徳川幕府は、イスパニア船やポルトガル船の来航を禁止すると同時に、国内で大船の建造を禁止した。本来なら海軍力を増強して、これらの船に備えなければならないはずなのに。

 ▼「相手がどうでるか考えないで、一方的宣言だけでことがかたづくとするこのような発想は、欧米諸国にはとうていみられないのではあるまいか」(『日本人の戦争観はなぜ「特異」なのか』主婦の友社)。なるほど「非核三原則」は、その最たるものだ。

★なるほど、産経が非核3原則放棄を主張していることはよくわかった。

 ▼日本の「核兵器を持たず、作らず、持ち込ませず」の政策を、いつか核保有国が見習ってくれる。こんな幻想を持つ国は、確かに国際社会では、「特異」に違いない。夕刊フジの4コマ漫画「ヘナチョコおやじ」で、作者のしりあがり寿さんは先週、「核を論議しない」を加えて、もはや「非核4原則」だと風刺していた。

★「いつか核保有国が見習ってくれる。」なんて幻想ではなく、核不拡散体制を国際的に広めていくのに効果的だったんですが。北朝鮮が言うこと聞かなかった途端に、「やーめた」って感じになるというのでは、飽きっぽい子供と同レベルです。

 ▼笑い事ではないが、幸いにも、きのうの小紙に載っていた世論調査によれば、「政治家は議論すべきか」の問いに50・8%が「はい」と答えている。国民の多くは、現実的な安全保障論議を求めているのだ。

★「議論すべきか」じゃなくて「日本は非核3原則を放棄・北朝鮮同様にNPTを脱退して核保有すべきか」で聞いたら、結果は変わるでしょうね。


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平成18(2006)年11月7日[火]
■【主張】「核」論議 理解に苦しむ二階氏発言

 自民党の中川昭一政調会長が核論議を提起していることが、野党だけでなく、与党内からも非難されている。

 自民党の二階俊博国対委員長は5日、「誤解を招きかねない発言であり、重要な立場の人は慎むべきだ」と批判したうえで、「やがて任命権者の責任を問われる事態になりかねない」と述べた。これは理解に苦しむ発言といわなければならない。

★それはあなたの理解力が足りないせいだと思います。


 中川氏は先月15日以来、「日本が核をもたずに北朝鮮にどういう対抗措置ができるのか真剣に議論しなければならない」「この時期にしなければいつするのか」と語っている。

★現に持ってないんだから、今できることを考えれば言いだけの話。「核をもたずに」なんて余計な表現ですね。「この時期にしなければいつするのか」に至って、まるで今までずっとタイミングを見計らっていたみたい。


 北朝鮮の核・ミサイルの脅威に対する日本の抑止力を論じようという中川氏の発言は当然そのものである。

★だから、最初から核なしで今何ができるかを考えればいいだけじゃん。核云々っていうこと自体、日本が核武装する選択肢を取りうるという表明であって、これが日本の外交をいかに損ねるか考えれば麻生や中川は批判されて当たり前。現に核開発が問われているイランや北朝鮮以外にも、仮に南米や中東などで核開発が始まっても日本は何ら説得力ある交渉ができなくなる。


 二階氏はなぜ問題視するのか。国会対策上の問題ではない。日本の平和と安全をどう確保するか、それを考慮するのが責任ある政治家として問われていることを忘れてはなるまい。

★産経はなぜ問題視しないのか?公権力拡大と軍需拡大による目先の利益ではなく、日本の平和と安全、国民の権利をどう確保するか、それを考慮するのが責任あるメディアとして問われていることを忘れてはなるまい。ま、国民の権利なんてはなっから考えてないんだろうけど。


 ライス米国務長官が即座に「あらゆる抑止力で日本に対する安全保障を約束する」と表明し、中国も北朝鮮の核保有阻止のために強く圧力をかけたことは、中川氏の問題提起と無縁ではないだろう。

 民主党の鳩山由紀夫幹事長は3日、核保有論議を容認した麻生太郎外相に対し、「世界中から核をなくす運動のトップリーダーとして動かなければならない日本の外相発言に心から怒りをもつ」と述べ、罷免を要求した。

 だが、鳩山氏は党代表だった平成11年、西村真悟元防衛政務次官の核武装発言に関連、「議論すらいけないという発想もいかがか。非核三原則と対比しながら、日本はどういう防衛をすべきなのか、本質論をえぐる議論をしていきたい」と語ったのを、まさか忘れたのだろうか。

★これについては全くその通りだと思う。ところで産経新聞は核武装発言をした当の西村真悟が防衛政務次官を辞任したこと(1999/10/20)を忘れたのだろうか?また、それだからこそ、鳩山由紀夫幹事長はフロッピー麻生の罷免を要求したのだろう。

 5日放映されたフジテレビ系の報道2001世論調査は「核保有について議論すべきだ」が51%で、「議論すべきでない」43%を上回った。国民の意見が奈辺にあるかを示している。

だから、なぜ「核保有すべきだ」「すべきでない」で世論調査を行わないの?議論したいのなら、まさにこれこそが主眼じゃん。


 国会は核保有のメリット、デメリットを議論すべきだ。米国の核の傘が機能しているのか、日本の抑止力をどう考えるべきか、などを国政調査権を発動して検証することこそ、国権の最高機関の責務ではあるまいか。

★まず、産経新聞が旗幟を鮮明にしてはいかがかな?日本は非核3原則を放棄して核武装すべき!というのが産経の意見でいいのかな?しかし、その場合北朝鮮と同様にNPTを脱退することになるけど、それは構わないの?


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まあ、なんというか、統一協会安倍にせよ産経新聞にせよ、表向きは「非核3原則に異議唱える人いない」なんて言いながらこうした表向きの公式発言で時間稼ぎしている間に、なし崩し的に核保有OKの方向に世論を誘導していこうとしている。なんとも姑息で卑劣な連中だ。
「日本人はお人よし過ぎる」なんて言ってる人、少なくとも権力者やその御用メディアは、十分過ぎるほど国民を騙す手段に通じてますよ。ある意味、安心してください。騙される国民がお人よし過ぎるってのは、同意できますが。


そして産経は、非核3原則放棄の下準備にも余念がない。

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平成18(2006)年11月7日[火]
■【正論】防衛大学校名誉教授・佐瀬昌盛 「吾輩は非核三原則である」
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 ■神格化をやめ、今こそ核論議を

 ≪「議論せず」含めば四原則≫

 吾輩(わがはい)は非核三原則である。生まれは1967年、生みの親は佐藤栄作首相。政治が生みの親なのに「唯一被爆体験国民」の「国是」とやらで、吾輩は神棚の御神体よろしく40年近くを過ごしてきた。

★憲法は60年も変わってないとか非核3原則は40年変わってないとか、そんなに変えるのが好きなら、自称2600年も続いた天皇制を変えればいいのに、とか思う。


 最近、吾輩の周りが騒がしい。北朝鮮の弾道ミサイル連射、核実験という暴挙で、日本は核保有論議をやってみるべきだとの声が政府与党に生まれたからだ。中川昭一自民党政調会長と麻生太郎外相が代表格。するとどうだ。連立与党代表が吾輩に言及し、麻生、中川発言を強く牽制(けんせい)した。報道機関がこれに追随、とくに外相発言は閣内不一致の証拠だと論じた。慌てたのかどうか、官邸は「非核三原則は堅持。政府としてそれ以外のことを議論することはない」と1度、幕を引いた。

 吾輩にも言わせろ。非核三原則とは、日本は核兵器を「作らず、持たず、持ち込ませず」というものだ。中川、麻生発言を問題視する勢力は非核三原則を、「議論せず」も含む「四原則」だと勘違いしている。とんでもない拡大解釈だ。吾輩は「議論せず」原則なぞを含まないから、核保有論議をなんら禁じていない。理屈上は、政府部内の議論さえ禁じていない。

現に核兵器を保有していない状況で議論が発生する、ということは、誰かが核兵器を持つべきだ、と言ってるんだよね?誰かって誰だ?中川か?いや奴は「核武装反対だ」って明言しているよな(「私は核武装反対」と中川政調会長 核議論発言で釈明 (産経2006/10/16) )。麻生か?いや奴も「非核三原則維持は政府の立場として変わらない」と言ってるよな(核保有「議論は大事」 麻生外相、国会で発言 (朝日2006/10/18))。
結局、誰も核兵器を持つべきなんて言ってないじゃないか。なら、そもそも議論の必要がないだろう。


 ≪拡大解釈の前歴もあった≫

 繰り言めくが、吾輩は昔から拡大解釈されやすかった。「持ち込ませず」とは、吾輩の誕生当時には米国核兵器を日本領土上に配備、貯蔵させないの意味だった。が、数年すると、核は米艦艇に積まれる時代になった。そこで核搭載米艦艇の日本一時寄港や領海通過も「持ち込み」だと野党が騒いだ。国会審議での事なかれ主義に徹した政府は屈従、それも「持ち込み」だから許されないと拡大解釈を採用した。そして米艦艇は一時寄港、領海通過の前に核兵器をどこかへ降ろしてくるので、非核三原則は守られる、と説明した。噴飯ものだ。

★まあ、実際守られているかどうかはわからんが、核搭載艦艇の寄港だって「持ち込み」とみなすのは当然だろう。「吾輩の誕生当時には米国核兵器を日本領土上に配備、貯蔵させないの意味だった。」こんなけったいな解釈は始めて見るぞ。核搭載艦艇の寄港が「持ち込み」にならないのだったら、核搭載爆撃機が日本で燃料補給して攻撃に出かけるのも「持ち込み」とみなせなくなる。こっちのほうが噴飯ものだよ。


 いま、吾輩の横で居眠りしている男、当時は防衛大学校にいた佐瀬という男だ。この男がそれは拡大解釈で、非核三原則の「三・五原則」化だから「三原則に戻せ」と論じた。防大教官が政府見解に異を唱えたので国会でも問題化した。だが、米国の〈核の傘〉の信頼性を高める見地からは正解だったはずだ。

★なんだ、佐瀬の寝言か、道理で。


 誕生当時、吾輩は日本の安全保障政策上、重要な役割を担った。NPT(核拡散防止条約)以前の時代、日本、西ドイツ、スウェーデン、スイスなどの核武装が国際的に噂される中、国民感情への配慮優先の第三原則はさておき、「核武装せず」が日米安保強化の適策だと結論されたのだ。が、時の経過につれ、安保政策的見地からの検討は失せ、拡大解釈された吾輩は不可触の御神体と化した。

 ≪〈核の傘〉の信頼性向上を≫

 今回、北朝鮮の暴挙がきっかけで、この御神体は日本の安全にとり本当に御利益があるものなのか、いっぺん自分の目で確かめ、議論してみたいという動きが現れた。興味ぶかいことに、中川政調会長も麻生外相もともに「自分は核武装論者ではない」と言い、ただ、議論の上、それを納得できることが重要なのだと語っている。吾輩としてもその方がうれしい。結局、政府や党として以外の核保有論議は自由で、言論封殺はできないとの、穏当な安倍首相発言となった。

★いや、だから「中川政調会長も麻生外相もともに「自分は核武装論者ではない」」し、他の議員も核武装論者でないのなら、そもそも議論の必要性がないだろう。皆反対なら、議論の結果も核武装しない、になるに決まってるわけで、貴重な審議時間をこんなバカなことに使うこと自体無駄だろう。


 が、気掛かりがないではない。ひとつは、麻生外相同席の場で久間防衛庁長官が、核保有論議そのものに反対しないが、「静かなタイミング」で「静かに」議論しないと、米国なぞでは誤解されると、外相とは「若干のニュアンスの違い」を語ったことだ。気持ちはよく分かるし、「静かな」議論には吾輩も大賛成。外相や政調会長も異存あるまい。けれども、議論なしの「静かな」状態に40年ほども付き合ってきた吾輩としては、では一体、いつ議論を始めるのかと反問したくなる。きっかけなくしては、議論は始まらないからだ。

要するに、本心は核武装したいけど、海外から批判されないようにこっそりやれ、とこういうことか。何だ、北朝鮮と一緒じゃん!


 もう1点の気掛かりは、核保有論議と非核三原則論議の重要な違いに気付いている人間はどれだけいるか、だ。前者は「持ち込ませず」原則とは直接には関係がない。が、吾輩はそれを含む。今日、北朝鮮の核を前に米国の〈核の傘〉の全面的信頼性が疑われ、核保有論議必要論が日本に台頭した。この疑念解消の1つの道は、米国の同意を前提に、寄港、領海通過をも含み米国核の日本「持ち込み」を図ることである。この場合、無論、日本は核保有しない。佐瀬という男は20年以上前、ほぼそれを主張していた。

「核保有論議必要論が日本に台頭した。」だから、誰が言ってんだよ!具体的な名前を出せよ!あんたの脳内だけだろ!


 あ、佐瀬が目を覚ましそうだ。起きると、うるさい。だから今日はここまで。(させ まさもり=拓殖大学海外事情研究所客員教授)

★「起きると、うるさい。」起きてても寝言レベルのことしかいえないんだから大丈夫だと思うぞ。


やっぱり産経は侮れん!どっからこんなトンデモの逸材を見つけてくるんだろう?