HEROに反論する② | 空気を読まずに生きる

空気を読まずに生きる

弁護士 趙 誠峰(第二東京弁護士会・Kollectアーツ法律事務所)の情報発信。

裁判員、刑事司法、ロースクールなどを事務所の意向に関係なく語る。https://kollect-arts.jp/

ほんの出来心ではじめてしまったのに、思った以上の反響があったので続けます。。

第3話より。

今回の久利生検事の名セリフ。
"(覚せい剤を使ってしまった女性被疑者に対して)甘く見ない方がいいですよ。今までもたくさんそういう方たちたくさんいらっしゃいましたけど、覚せい剤を断ち切るのってめちゃくちゃ大変なんです。強烈に中毒性のある薬物ですし、あなたが思っているように簡単にはやめられないんじゃないですか? あなたはちょっとつまづいたって言っていますけど、あなたは大失敗やらかしたんですよ。自分は大丈夫だって、すぐに立ち直れるって、強がっている場合じゃないんですよ。初犯ですし、反省もされてますから、裁判では執行猶予がつくと思いますけど、でもお願いします、気ゆるめないでください。あなたには心から心配してくれる人たちがたくさんいるんです。そのことだけは絶対に忘れちゃダメなんです。お願いします"

さて、犯罪捜査を行う検察官の役割ってなんだろうか?
被疑者を裁判にかけるか(起訴)、裁判にかけないか(不起訴)を決めることか、それに留まらずその被疑者のその後の人生にも何かしらの影響を与えることなのか。
久利生検事は、他の検事ならば事情聴取をしないであろう被疑者の知人などにも話を聞いて、被疑者のキャラを知った上で、このような言葉を被疑者にかけた。
普通の検事ならばそのようなことをせずにあっさり起訴しそうなところを、久利生検事は被疑者のキャラを見極めて、このような言葉をかけた。
このような言葉をかけずにあっさり起訴すれば、自分がやったことの重大さを感じていないこの被疑者は薬物を断ち切れずに再犯をしてしまうが、久利生検事の言葉によってこの被疑者はがんばって覚せい剤を断ち切れることを伝えたかったのだろうか。

この話だけを見れば、この久利生検事はすばらしい検事ということになるのだろう。

ところで、私は、この話を見ながら、実際に接したある検事のことを思い出した。
この検事は久利生検事を地で行くような検事だった。
とある事件の裁判で、この検事が証人として出てきて、私はこの検事に尋問をした。
ちょっと再現してみよう。

私:「捜査をしている検察官の役割は、被疑者を取り調べて、最終的には起訴するのか起訴しないのかを決めることですよね。」
検事:「私はそう思っていません。」
私:「どういうことですか?」
検事「起訴、不起訴を決めるだけではないんです、検事は。その人の人生を背負っていると思っています。ですので、起訴、不起訴は当然職責として決めますけれども、捜査というのはそれだけではなく、取調べの時にはきちんとこの人がどういう生き方をしてきているのかというのもしっかりと見極めなければ行けませんし、そして被疑者その人だけではなくて、その家族の生活というのも当然かかっているんです。そういう重い責務を負っているわけで、弁護人の方には分かりづらいかもしれませんが、我々はそういう理想を抱いて仕事をしています。」

彼はこう答えたのだ。
ところで、この検事がこの被疑者の取調べでやったことはこれだ。

彼は、組織で起こした事件の内容について黙秘を続ける被疑者に対して、なんとパソコンのディスプレイに被疑者の子どもや家族の写真を映しだして取調べを行った。
そして、このことについて
私:「写真を見せた意図ですが、家族もこうやって元気だから、もういいかげん事件の内容を私(検事)に話してくださいと、そういった狙いがあったのではないですか」
検事:「まずは、自分に何が一番大事なのか、それを考えて欲しい、それが一番です。きちんと事実を話すことが家族にとって一番大事なんじゃないのかと、あなたにとって一番守るべきものは家族なんじゃないのかと、それを考えれば自分が何をすべきかわかるでしょうと、そういう趣旨です。」
私:「つまり、写真を見せながら事実を話そうよという意味だったのですね」
検事:「いいえ、彼に選択を迫ったんです」
私:「何の選択ですか」
検事:「事実を話さずに服役してまた組織に戻るのも彼の選択です。ただ、私は彼と話をしていいやつだと思いましたし、町で会ったら飲んでみたいやつだと思いましたし、組織から抜けるんだったら今しかないと思っていました。事実を話さずに組織を守るのか、事実を話して組織を抜けて家族を守るのかの選択をさせようと思っていました」
私:「事件のことを話すのか、事件のことを話さずに組織を守るのか選択を迫ったということですが、検事から子どもの写真を見せられて選択を迫られたら、もう事実を話すしかないと被疑者の立場からしたらそのような気持ちになると思わなかったですか」
検事:「家族が大事だと、自分の人生をこれからどういうふうにどっちを向いて生きていくのかと、それは人生の選択の場面ですから。彼には正しい道、自分の信じる道を選択してほしいと思っていました」

この検事がやったことは、家族の写真を見せて自白を迫ったということだ。
しかし彼は悪びれることなく、人生の選択という正しいことをしたのだと証言した。

私はこの検事と久利生検事との間には共通のものが流れているように感じる。
検事が自らの価値観を被疑者にぶつけて認めさせようとする。
これが町の居酒屋でホッピーを飲みながら話すのであれば何の問題もないが、検事と被疑者はそのような関係ではない。ビールもホッピーもない、狭い部屋の中で、検察官と被疑者という圧倒的な力の差がある関係で、片方が片方を起訴するか不起訴にするかを決める関係にある。全く対等ではない。
このような関係にある検事が被疑者に対して、自らの価値観をぶつけて認めさせようとすることは暴力に他ならない。私は卑怯だと思う。

今回の久利生検事の場面は、罪を認めている被疑者に対するお説教のようなものなので、これはこれで賛否両論あるだろうが、これが罪を認めていない被疑者となればお説教でもなんでもない。自白の強要以外の何物でもなくなる。
その極端なのが、私が尋問をした実在の検事だろう。

検事が被疑者にお説教をして改心させるというのは、なんとなく美談のように思えるが、決してそうではない。とても危険なことなのである。