絵コンテから本を書く作家。そう思わされたのは『曽根崎心中』中の段。天満屋でお初が徳兵衛を裲襠に覆い縁の下にかくす場面です。
生玉神社で徳兵衛と九平次の喧嘩から逃れるように天満屋へ戻ったお初は徳兵衛の苦境を案じていました。と忍び姿で訪れてきた徳兵衛。みつからぬよう徳兵衛を裲襠に覆い縁の下へ。お初は上がり口に腰かけ煙草盆をひきよせそしらぬ顔。勝気で一途なお初の魅力が光ります。そこへ訪れてきたのは九平次。あんな弱っちい男はやめて俺とねんごろにならへんか、と口説く始末。
「そこな九平次のどうずりめ、あはう口をたゝいて、人が聞いても不審が立つ、どうで徳様一所に死ぬる、わしも一所に死ぬるぞやいの」
お初が足でつつけば、縁の下の徳兵衛、涙をながし足とって押しいただき、膝にだきつき焦がれ泣き…
歌舞伎で三ど観られた水上勉氏は、
「徳兵衛が足に頬ずりするくだりで、涙をおぼえた。お初の心意気が、なりゆきから死の道行にいそがれてゆくかなしみとなり、それをうけた気弱男のしぐさが、ありなんふぜいとなってふかくわかり、またその意志が頬ずりされる足を通して、お初のからだへ這いあがってくる現実性に『劇』を感じた」と。
「色気狂い」ととらえる方も居るなかで、涙をおぼえられた水上氏は純粋な方と思いました。
中で中山。ラストに大山。プロデューサーが求める構成ですが、この場面、意表を突き、不思議な世界観に誘われる中山として秀逸です。
元禄時代は木版印刷術が発展した時代。作者は浮世絵のイデアから創作の火を灯し萌えさからせ、絵コンテを描いたのかもしれません。