一心寺のとっても奇妙な骨佛と呑兵衛本田忠朝 | 誰も行かない観光地をめぐる奇妙なトラベラーたかぼんブログ

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奇妙な物、奇妙な出来事に会わずして旅行といえない!!人は旅に行くことによって、自分と違う土地、違う食事、違う習慣、違う考えを見て、それらを認め合うようになるのです。あるいは、自分を発見するのかもしれません。人類の平和のためにLet's go トラベル

四天王寺から500m西にあるのが一心寺です

山門びっくりびっくりびっくりびっくり
 
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このブロンズでできた、巨大な仁王像が一心寺の入り口です

本当に斬新な仁王像で下の門に天女が描かれて浮き彫りになっているが

少しエロい!!ラブ
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平成29年5月に骨佛造立の高札
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10年に一度、一心寺では納められた遺骨にセメントを混ぜて、仏像を作っている、そいを骨佛と呼んでいる。これは1887年(明治20年)から始まり、10年毎に創られている。戦前までの6体は米軍の空襲で失くなった。

今は、7体目から13体目が残されており、14体目が平成29年5月に創られるようだ。

お骨佛堂ニヤリ
 
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戦後の昭和22年の7期から10期までの仏様が並んでいる
 
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納骨堂ガーン
 
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11期から13期の仏像が並んでいる
 
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ここのお寺の特徴は
年中無休
宗派を問わず納骨してくれる
お盆以外でも施餓鬼供養(追善供養)をしてくれるということです


ご先祖が亡者になって、地獄を彷徨っていても、年に一度のお盆だけでなく、年がら年中子、孫に供養を受け付けてもらえるので、極楽に行きやすい

念佛堂びっくり

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納骨、施餓鬼供養のひとは引きもきれずに、ここで受付しています

池には、淡水魚の供養塔もありおねがい
 
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お魚にもちゃんと供養するこの気配り

もちろん3.11の供養像も置かれているおねがい
 
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通天閣が見えるところには、有名無名の多くの墓がずらりガーンガーンガーン
身ぶるいするくらい霊が豊富に居ますガーンガーンガーン
 
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一心寺の始まりは、1185年(文治元年)法然上人がここに草庵を作って、日想観という修行をした場所だったのです。その当時は源空庵と呼ばれていました。
 元祖廟びっくり

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法然上人の御霊廟です

その後、1596年(慶長元年)家康公と同郷三河の僧本誉存牟(ほんよぞんむ)上人が法然上人の旧跡で一千日の念仏修法を行い、寺を再興したそうです。一心に称名したので、一心寺と呼ばれるようになった

そして、酒封じの神様
本田忠朝の墓びっくりびっくり
 
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徳川家の猛将、本田忠勝の次男坊、本田忠朝は大阪冬の陣の時、酒を飲んでいて大敗し、徳川家康から叱責された。そして、見返そうと夏の陣で奮戦したが討ち死にし、死の間際に「酒のために身をあやまる者を救おう」と遺言したことから、酒封じの神様になった
 
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禁酒したい人しゃもじに祈願を書いて、ここの墓の周りにかけるのである
飲酒にドクターストップがかかった場合はここに来て祈願してください

虫歯、歯周病にドクターがストップをかけるのがここ
しゃもじは要りませんウインク

http://takasaki-d.jp/