再熱宣告から程なくして入院となった母。

2012年12月4日。
また抗がん剤の治療ということで
母は切角生え揃った髪の毛がまた抜けてしまうと嘆いていた。

本当はそんなことはどうでもよくて
再熱した現実を何かで誤魔化そうと
そして心配かけないようにと
明るく振舞っていた。

入院当日はもちろん私が有給とって一緒に。

初めてR-CHOPをした時に入院した病棟。
そして担当看護師も前回と同じTさん。
・・・よかった。
母も心強い。

で、すぐに主治医の先生の説明があるということで
私は呼ばれた。

前回の先生だったらどうしようか・・・と
正直思った。
あまりいい印象を持っていなかったし
質問もしづらいというか
とにかく自分に合わなかったという印象が強すぎて(失礼(;´д`))
ちょっと・・・ね。

そしたら主治医は知らない名前。
先生は二人。
そして研修生。

それはそれで初対面だし
知らない先生だし
不安だったけど・・・

その後、この主治医の先生には
心から感謝することになるとは
全く想像していなかったわけでして・・・

でもこの入院当日は
主治医の先生は他の病院に当番で留守にしており
その下についている女医先生が説明にあたってくれた。

母の病状はR-CHOPの最中に再燃してしまったことが
一番のネックで
これからの治療は確立されたものではない。
でも何もしないわけには行かない。
そして何よりも高齢なだけに
抗がん剤治療も慎重にしなくてはいけないと
先生方がいろいろと議論して
DeVIC(デビック)療法(カルボプラチン/イホスファミド/エトポシド/デキサメタゾン)
を提示してくれました。

でもあくまでもこれで完全に大丈夫というわけではなく
いろんな状態を配慮して決定したと。
もうハッキリ言ってイチかバチか・・・的な。

女医先生は、何度も高齢ということが
一番気をつけなければいけない
そして再燃という現実も・・・と。

とにかく何も分からない素人の私には
お任せするしかないと
お願いしました。

でもこの時の先生の話は
母は同席しませんでした。

「今までより厳しい治療になるので治療の最中にトラブルも十分考えられます。」

その言葉だった。
それは母の死を意味する言葉。
そんな言葉を母が聞いたら
きっと治療することを拒否するのではないかという
病院側の配慮。

きっと母にはこのことは伏せたかったんだろうと。

それはありがたいことだった。
希望がなかったら
もしも・・・?なんてことが可能性としてあるのなら
再燃で身もココロもボロボロになった母には
あまりにも残酷な現実。

部屋を出て
どんな顔して母に会おうか・・・
そんなことを考えながら病室に。

母はそんなことはつゆ知らず
また来ちゃったよ風にパジャマに着替えて
看護師のTさんと話をしていた。

なんだろ、この妙な不安感。

治ると思って入院したR-CHOPの時とは
全く違うこの感情。

ひたすら不安だった。


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