生まれて初めて長い間家を空けた今回のこと。
離れて初めて自宅にいられる幸せを感じていたのか
不調より喜びが先行していた様子でした。

幸い、会社帰りに実家には毎日立ち寄ることが出来るので
毎日毎日、母の様子を見ることが出来る・・・
それは私にとっての最大の喜びでもありました。

とにかく母は治ると信じていた。
だから通院治療もその身体で誰もが大変だと思うことも
「お母さんはなんでもないよ!」とケロリとしていたのが
私にも頼もしかったし、安心でもありました。

退院して1週間で次のR-CHOPが始まることになっていました。
病院へは車だと高速使って1時間強。
交通機関を使うと電車とバスを乗り継いで2時間。
でも本当は付き添って行かなくてはいけないと思う中
私も仕事をその度に犠牲にすることが出来ない現実。
そしてそれを母も望んでない。

頑張り屋なんです。どこまでも。
自分で出来ることは何でもしたい。
病気になってもその気持ちは変わることなく
甘えることは一切自分からしようとしない母。

その母の娘を40年もやっていると
いつもと変わりないその母の言葉と姿勢が
まだまだ大丈夫!と過信してしまうことになってしまいました。

母は抗がん剤治療の時は最後まで自分ひとりで
病院に出かけることになったのです。

朝、7時過ぎに歩いて最寄りの駅まで20分。
電車に乗って途中特急の止まる駅まで15分。
特急に乗り換え30分。
バスに乗り換え40分。
ようやく病院に着いた頃には9時半過ぎのこの過酷な道のりを
とにかくこの悪性リンパ腫を治したい一心で通うことになったのです。
そしてそれは最後まで続けました。

さすがに帰りは治療後ということもあって
毎回、私は会社を早退して車でお迎えに。

そのサイクルをふたりで頑張りました。

初診で不安に押しつぶされそうになりながら
私の長男を付き添わせて踏み込んだ大学病院も
その頃にはすっかりシステムも把握して
お得意様のような感じになってました(笑)

受付もスムーズ、採血もスタスタ歩いてとっとと済ませ
待合室でもデーンと構えている様子。
付き添ってはいなかったけど話しっぷりで想像できました。


採血でゴーサインが出て、治療を始めるのが大体お昼前。
終了するのが夕方5時前。
初めての通院治療も事前に電車の時刻、バスの時刻など
しっかり伝達してメモも取らせていたので
病院まではしっかり行けたことで
更に続けて頑張れると思ったようです。

田舎者の母も大したモノ。
70歳のおばあちゃまがスーパーあずさに乗って通院!
カッチョいい~かも?!って(笑)

通院では最初にリツキサン、二日開けて抗がん剤というサイクル。
治療の週は体も大変です。
週二回のスーパーあずさですから。

そんな母に外来の主治医の教授は
「●●さん、スーパーあずさで来たの?本当にご苦労さまね。」
と毎回労ってくれると喜んでいました。

それだけ治りたかった。
ただそれだけでした。

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