えータイトルに経済学通と書いてるからと言って自分は経済学通ではない沢蟹です。

なんせ、タイトルに「我輩は無敵」と書いたら沢蟹=無敵と解釈する方もいるようですので、念のため。
さて、本題。本日2つ目のエントリーですが、一つ前のエントリーで書いたように私はフリードマンさんを高く評価しています。何故評価するのかといえば、当時の経済を分析し予測して的中させたからです。その後、先進国はフリードマンさんの提唱するマネタリズムを金融政策に選択しますが効能を得られず転換します。これはフリードマンさんが間違っているわけではなく、経済モデルがフリードマンさんの前提条件を満たさなくなっているからです。責められるべきはフリードマンさんの前提条件の成立を疑わなかった人なのです。このことは経済学は現状の経済を分析し仮説を立て、未来を予想する。この部分は自然科学と全く同じですが、明確な違いがあります。物理法則は決して破ることは出来ません(破ることを発見できればそれはノーベル賞の対象です)が、経済学の仮定は物理法則ではありませんので経済的に合理的でも不合理でも自由に振舞えます。そうなると。経済理論は成立する前提条件を失います。

この前提条件の崩壊を分析し、新しい理論の展開を考えるのが経済学者な訳ですが、所謂経済学通はこのことを問題にしません。習い覚えた経済学を(前提が崩れているのに)正しいといって理論を展開します。結果、現在の経済実態を説明できないのに、理論を理解できない馬鹿と他人を侮蔑することになります。おかしいのは経済通のほうです。
現在の実体経済を説明できない経済理論は無意味というより害悪でしかありません。

私は。そういう考えからデフレ環境下においては公共投資が必要であるという三橋さんの提唱に賛意を示しているのです。


と、書くと格好良いんですが。

 なんで自分は三橋さんに賛同したかを今考えただけです  沢蟹