去年の今頃は、図書館にこもってひたすら勉強しつつ、


夜はバーでおっちゃん達の処世術を聞いていたはず。


先週位にやっと就職先を決めました。


さらば東京。



バイトはモー○ラに戻りました。


夏はガッツリ働いて、残りの学生生活を謳歌したいと思っています。



2年越しの就職活動でしたが、たくさんの人にお世話になりました。


本当にありがとうございました。


学校って何のためにあるのでしょ。

先生は何のためにいるのでしょ。


なかなか前に進めない問題だが、

考えてるとおもしろい。


あと、就活、終わったわけじゃありませんが、

終わったと思ってもらって大丈夫です。

あー長かった。


ホタルが飛ぶ季節らしいですね。

見に行こうかと思ってます。

“友達が一番大切だよ。”


様々な場所で何度も聞く言葉。

自分も何度も思ったことがある。


ただ、昨日は人生でもっともこの言葉の重みを感じた。


久しぶりに、どん底まで落ち込んだ僕を助けてくれたのは、

友人からの電話だった。


もちろん励ましの言葉をかけてくれた。

でも何より、自分の話を親身になって聞いてくれたことが本当にうれしかった。

悩みを、悔しさを口に出した瞬間、

自分の肩から何かがとれた。


本当にありがとう。

友人が会社選びの決め手としてアドバイスしてくれて以来、

僕はこの“ワクワクする”という言葉を毎日の生活の中で多用している。

今の僕、これまでの僕が求めていたのは、

この一言に集約されているような気がするからである。


今日読んだ本の中に、少し似たようなことが書いてあった。


“自分自身への自信から、人に対する優しさもわいてくる。

もしかしたら子供にとって、自分という存在に対する自信、

つまり存在感(Selfesteem)が一番大事な財産かもしれない。と、ふと思う。”

(『母にできること、父にしかできないこと』 藤原和博)


子供だけじゃない、大人だってそうだ。

自分という存在(生き方)に自信を持たなきゃ、

人(他者)に対する本当の優しさはわかない

僕の場合、自分に自信を持てている時はワクワクしている。

これから読もうとしている小難しい本に対しても、

次の日のたいしたことのない予定に対しても、

そしてこれらの将来の自分に対しても。

ワクワクする気持ちを失ったら、全てがつまらなく、くだらなく感じる。

例えば人に対して優しくなりたいと思ったら、まずは自分に優しくなること。

自分に素直にワクワクしながら生きるには、

自分をどうしたらいいのか、

そのことを考えることがとても大切だと思う。



それにしても、久々にジョギングを再開してみたら、

次の日に筋肉痛がきた。

ジョギングなのに。

こんな状態では、自分の将来にあまりワクワクできないので、

ちゃんと続けていこ。

4月22日はEARTH DAY。

→http://www.earthday.net


このEARTH DAYに合わせて、昨日、今日と代々木公園で行われているイベントに、

インドに一緒に行った友人と出かけた。


イベントの内容は、

①NPO、NGO、企業、個人などの出展

②ステージ

がメイン。

昨年は10万人が足を運んだという。


様々な人達が、それぞれにユニークに活動していた。


オーガニック商品の販売、

渋谷に花を植える活動、

下北沢を救う会、

よくわからないが楽しそうに踊る集団、

素敵な唄を唄う親子、

などなどなど。


皆色々やってるんだなあと驚くとともに、

何よりその空間に溢れていたほどよくゆるい、ピースフルな空気が心地良かった。

誰も、やらされていないからってのも1つの理由だと思う。


年齢、性別、国籍。バックグラウンドはそれぞれに違っている人達が集まってはいるが、

多分、代々木公園を空から眺めたら、

なんとなーく皆が似たようなことを考えているように見えただろう。

別にそれは、

「武器撲滅!!戦争反対!!環境保護!!だーー!!」

とかの強い何か1つの決まった思いではなく(別にそれらを否定しているわけではない。)、

なんとなく、同じ方向を向いているという感じ。

テーマは、

“皆、地球でつながっている”

だしね。


このイベントで印象的だったものの1つは、

出店の食べ物を買うためには、マイ食器を準備するか、

イベント運営側が貸し出している食器を借りて、

それを食事を販売しているお店に持っていかなければならないこと。

これだけ読んだら、もちろん面倒くさいと感じると思う。

でも、皆が同じ食器を持って、お店に並んでいる様子は、

眺めていてとても良かった。

まるで給食を待つ小学生みたい。


何をすれば環境を守れるとか、貧困がなくなるとか、

そういう答えとか意味を求めるのは相当難しいと思うし、

もしかしたら根本的に無理なのかもしれない。

でも、こういう活動に限らず、仕事でも勉強でもなんでも、

自分が興味のあることを、

一生懸命に頑張ること。

そのためには楽しむこと。ワクワクすること。

いい仲間がいるともっと楽しくなることが多いから、

一緒にできたらいいね。

そういうことがまずは大事なのではないかな。

誰(何)にとって大事なのだろうか。

”自分のために大事”で良いと思う。

あとはそれから。

500ページ強ある本。


終章だけでいいので読んでみてほしい。


特に昔の僕のように就職活動(人生)に思い悩む人達に。


“意味から強度へ”


“社会は無意味だ、でもそこそこに楽しい。”


“成熟社会”


[よのなか]を考える道標を与えてくれた。

門出の季節は寂しいこともあるけど、いいこともある。


うちの兄が、芸術系の学校に通うことしたという。

母からメールが来た。

きっとうれしかったことだろう。


おそらくこの兄弟は、迷うことが好きなのだと思う。


そしていい友人達にも恵まれるようだ。



昨日、配属で金沢に行く友人と少し飲んで別れた。

実感は特にない。

こういう時って見送られる方がやっぱり寂しいのかな。

見送った経験は多いけど、

見送られた経験はあんまないからな。


頭で考えてみれば、高校1年生からずっと一緒だから、

7年間を共に過ごしたわけだ。


7年間ね。


この時期、大学のベンチに座っていると、新入生とおぼしき学生がたくさん歩いている。

4年前、同じベンチに座ってそいつとしょっちゅうグタグダしていたことを思い出した。


大学で知り合ったかわいい女の子に、

いつも一緒にいるよねーと言われた。


「いや、そんなことないって!他にも友達いるよーたまたま!」


懐かしい。



最近、思う。

人の人生は鮭の一生にちょっと似ている。

それぞれがそれぞれの川の上流から、色んな経験しながら、海に向かってくる。

それで、海にたどりついたらあとは自分で方角を選んで泳ぎだす。

同じ川を下った鮭はいないから、同じ鮭はいなくて、

それぞれに向かう方向、向かい方は違うし、どれも正しい。

だから、それぞれの人に運命とか使命があると思う。


とか、こんな話を就活のグループワークの時にしたら、皆が?って顔をしてた。

大丈夫、その後はちゃんと協力していい結果出したから。



皆の船出に乾杯。


先日の卒業パーティーで流したメッセージの一部。



「私達はこれからそれぞれの道を歩み出す。


 辛い時もたくさんあるだろう。


 そんな時に、


 ”皆もどこかで頑張っているんだ。”


 そんな風に思える仲間がいたら、

 

 とても素敵なことじゃないだろうか。」




皆との別れを繰り返していく中で、本当にその通りだと思いました。


次に飲む時を楽しみにしてます。


俺も、頑張ります。

昨日はとても素敵なパーティーだった。

今日、池袋への道を一人で歩きながら思い出してみた。

ちょっと前にアイポッドが壊れて少しへこんだが、

音楽をかけずに歩くのも悪くないかもしれない。



パーティーのフィナーレ、飲み会、朝、

なぜか思った以上の達成感を感じなかった。

皆の笑った顔はとてもうれしかったし、

仲間との握手はとても気持ちが良かった。

でもなぜだろう、何かしっくりこない。


うーむ。


そんなことを考えている時に、一緒に会を作ったメンバーの一人からメールが来た。

「つくりあげたプロセスが宝です。」

と。


ストンと落ちた。

そういうことだった。


準備している時はもちろん、会そのものも、

その後の打ち上げも、今こうして思い出している時も、

全部がプロセスだった。

高校の文化祭とか、巻々もそうだった。

新しいことに挑戦して、

新しい何かを知って、新しい仲間に出会って、また考えて、

前とちょっと違う自分になる。


仲間が増えて、経験が増えて、自信も増して、

それでまた新しいことができるようになる。

そういう自分に気づいた時、

達成感を感じた。



本当にやって良かった。

これからはしばらく就活に専念します。


皆、卒業おめでとう。

お疲れ様でした。

別に内定が出たわけでもないけども、就活には満足できた気がする。


今日、実家から送ってもらった昔の自分の通知表やら文集やらを読んだ。


そんで実家に電話して、親父と兄貴とおかんとちょっと話した。


別にたいしたことを話したわけではなくて、いたって普通の会話ね。


俺の友達が配属で金沢飛んで大変でさーみたいな。おっと笑えない。



うまく言えないんだが、ちょうど一年位前に就活に挫折して、


無理矢理見つけた目標としての国Ⅰの勉強もあっさりやめて、


何度か泣いて、俺終わってるって思って、いや大丈夫だって思い直したりして、


そんで今、妙に落ち着いた気持ちになっている。


何が変わったの?って言われても困るのだが、なんか変わったな。


いや、もしかしたら小学生の頃の自分はこんな感じだったのかも。


どんな感じでしょうね。



さて、冒頭に満足したって書いてしまったが、もちろんまだまだですよ。


走り回る次のフィールドを探さないとね。


この1年は助走の一年だったな。


その分、高く跳べるぜ。みたいな。



このブログ恥ずかしいなー


でもいいや、載せちまおう。