0283 おでん
バッテリーに蓄えるようなことはできず
ただただスイッチ的なごく簡単な装置としてしか
先々にまで持っていけない。
なにか正しいこと
というのにまとまろう収束させようという
ある種の成長の証と言う名の弊害が
あるらしい。
つくってこわしてが続く
日々を送りながら日々を過ごさないことが
課題。
0266
弾丸、東京出張であれだけのコーヒーの中、
感じたことは自分とのずれであった。
クリアになった部分と宿題となった部分を持ち帰って
さてさていかがいたしましょうをするしかない。
郡家でも鹿野でも第一商品はコーヒーではないのだと
自分で改めて感じた。
しかしながらコーヒーの質を高めていくこと
How Toは多種多様なれど
当店のそれを追い求めていくこと。
産地の景色がまだまだ見せれていない。
これとあれとの違いをカップに出し切れていない。
それらを消化、いや昇華させつつ
いかに「おいしく飲める」空間を作っていくか。
そのことにより重きを置きたい自分を再確認。
場所ありきの弱さと
人ありきの自由度と・・・
0236 写真だけでお許しを
「行く」と「帰る」と「立ち寄る」と「通り過ぎる」と・・・
が人生には多々ある。
大袈裟にいってそれが旅。
この7日間の話を報告する体力をいまは持ち合わせていないけど
(と言っても次の予定があれこれつまっているから)
(しかも、旅先であれこれ自分のこれからの動きのイメージを浮かべたから)
それをリアルに落とし込んでいく作業に自分を向けたいと思いますので。
今日から通常営業に戻っております。
が、9月に入りますとまたあれこれイレギュラー営業ですので
後日アップしますカレンダーをご確認の上
ここぞとばかりに狙ってご来店くださいませ。
0225 お抱えの
お察しの通りブログの更新頻度がガクッと減ったのは
日々の大なり小なりの機微をこちらにではなく
フェイスブックに吐き出してしまうからです。
以前、それをまだ我が物としていなかったころは
日々のネタとも言うべき喜怒哀楽をしばし仕方なく持ち歩いて
腰を落ち着けたときにようやく吐き出せるのであったから
それはある意味熟成し、それはある意味消化され、
そしてある意味昇華もされてあげられることとなる。
そこにあった説得力(自己評価的に)を今
持ち得ていない。
とは思っていないが、ブログを書く
という行為のポジショニングは確かに一段あがって
ブログに書くまでのことではない症候群が発病するに至る。
しかしふと、流れていく(少し邪気を込めれば垂れ流れていく)FBでは
どなたかのわたしには用のない要件が
我が愛すべきつぶやきの上にまたがって笑うのだ。
と被害妄想を展開。
大事なのは関わりながら関わらないこと、とも言えて
わたしをとりまく110数名すべてにいつも素敵なマスターあるいは僕個人を
演じてしまっているのではないか症候群も併発しているらしい。
以下、省略。
お抱えの、
と一度言ってみたかった、
絵描きと写真家を当店は持っている。
かのような日々、
その筋の人でもないわたしが
そのまぁまぁ鋭い感性を持って彼らを育てたいだなんて
恐れ多くも自意識過剰な役割分担を勝手に担ってみている。
ひとが前を向くとき
それにいくつ立ち会えるだろうか
いや数は問題ではない
そういう場所に
そういう人に
なれるだろうかという自分への淡い期待
40歳になったときに
そういう人たちと現在進行形で関わりあって
そのことが作る目じりの皺をわたしは望んでいる。
(柴田恭平になる)