「ニンギョウがニンギョウ」 西尾維新 2006-010
戯言シリーズの文体とはうってかわって、レトロな文学の匂いがします。
といっても根本にあるのは「戯言」。
語る言葉も、進む物語もすべてが「戯言」であり、「記号」。
「現実逃避」を無自覚のうちに欲している大人達(もちろん、私も含みます)の童話といったところでしょうかね。
といっても根本にあるのは「戯言」。
語る言葉も、進む物語もすべてが「戯言」であり、「記号」。
「現実逃避」を無自覚のうちに欲している大人達(もちろん、私も含みます)の童話といったところでしょうかね。
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出版元 |
講談社ノベルズ |
初版刊行年月 |
2005/09 |
著者/編者 |
西尾維新 |
総評 |
18点/30点満点中 |
採点の詳細 |
ストーリ性:3点 読了感:2点 ぐいぐい:3点 キャラ立ち:3点 意外性:3点 装丁:4点 |
あらすじ |
映画を見に行くことになったのは妹が死んでしまったからだ。私は平素より視覚情報に関しては淡白を貫く主義なので、映画を見るのは実に五年振りのこととなり、妹が死んだのも、矢張り五年振りだった。回数を勘定すれば、共にこれが四回目である。映画を見るのは妹が死んだときだけと決めているのではなく、逆であり、妹が死んだからこそ、映画を見るのだ。そうはいってもしかしこうしょっちゅう死なれては私としても敵わない。日頃大きな口を叩いている友人達に合わせる顔がないというものだ。私には合計で二十三人の妹があるけれど、死ぬのはいつも、十七番目の妹だった。<<紀伊国屋BOOKWEBより抜粋>> |
”文字フォント”から”わら半紙に近い紙の質”に至るまで、幻想的な雰囲気の本書。
読み始めて思ったのは、まったく脈絡もなく『ドグラ・マグラ』でした。
チャカポコチャカポコ。
ですが、決して「ドグラ・マグラ」ではありません。
あれほど強烈な作品では当然なくて、ただ、なんとなく思ったのです。
十七番目の妹の四回目の死に至り、『私』が映画を見に行く。その映画のタイトルが「ニンギョウがニンギョウ」。その後、腐乱した右足は妊娠し、5年振りの目覚めで気がつく、熊の少女との関係。
なんだか、夢を見ているような感覚。
否、夢を聞かされて、その夢の話にうなされてしまう感覚。
幻想小説みたいなものに慣れていないと、まったく持って無意味な作品なのですが、それなりに経験されている方であれば、それなりに楽しめます。
意味のない作品に意味を見出すのは読者の役目ということです。
加えて、西尾氏ならではの『私』ではじまる一人称は、やっぱり『戯言』風であり、ドライブ感はあります。
こういった趣(おもむき)の作品ですが、ちゃ~んと西尾作品になっております。
このあたり、知った著者という、安心感というかミーハー感というか。
とにかく(あぁこれも西尾維新氏の作品なのよなぁ)と思うわけです。
ちなみにこの本、購入すると1,500円。
なんだか図鑑のようなカバーがあります。
いわゆる「箱入り」と言う奴ですな。
・・・そんな高級仕様の本なのですが、図書館ではすっかり「箱無し」で借り出されておりました。
ということで、図書館から借り出した、この「ニンギョウがニンギョウ」の装丁は4点ということです。