№133 「アレルヤ」 桜井鈴茂 | 流石奇屋~書評の間

№133 「アレルヤ」 桜井鈴茂

「主を讃えよ」という意味の「アレルヤ」。
とはいえ、宗教本では決してなく、今の時代を生き抜く、軽快な敗残者の物語です。
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桜井 鈴茂
アレルヤ
出版元
朝日新聞社
初版刊行年月
2002/10
著者/編者
桜井鈴茂
総評
18点/30点満点中
採点の詳細
ストーリ性:2点 
読了感:3点 
ぐいぐい:4点 
キャラ立ち:3点 
意外性:4点 
装丁:2点

あらすじ
印刷会社を辞めた30ちょっとの主人公吉永シロウは、昔のバンド仲間であるプロドラマーの「ドラム」と二人暮らしで、虚脱な毎日を過ごしている。ジャスをかけないジャズバー「アラバマ」のヒロ子さんや、突然やってくる久美、クスリの本締めであるキース三浦など、個性的な脇役と織り成す現代の敗残者の物語。シロウはそのヘリ(水際)から生還することができるのか?でも一体何処へ生還するのか?


まったくもって、前提知識なし読み始めてみましたが、意外によかったです。

ほぼ同世代(30代)の仕事を辞めてしまった主人公の自分探しという、使い古されたテーマだったりしますが、その過程が、いちいち共感できちゃったりしちゃうんですよね。
で、こちらだって、たまたま仕事を続けているだけだったりするので、かえってこういった生き方も羨ましいなぁと思ったりします。
明るく楽しくそして、ちょっとだけ人生の渋みに触れちゃうような「その場限りの生き方」。
これって、偏差値50くらいの若者達が憧れちゃうような、(世間的には)だらしない大人の生き方
だったりします。

加えてこの本の面白さは、文体や日本語の言い回しの妙。

句読点「。」の間隔を、無理やり伸ばし、息が続く限り語りつくすような特徴的な文体なのです。
これって初期の村上龍作品に通じるところがあります。
ま、現代の若者(といっても30代)の、虚脱なスタンスを虚脱な文体で表わすあたりも、村上氏の印象があったりします。
で、そんな語り文章のちょっとしたところが、日本語の言い回しとして、詩的表現だったりするので、ちょっと(ホントにほんのちょっと)格式が高い感じも受けたりします。

そういった前置きもあって、本文のストーリ自体はあえて本文を抜粋引用してみます。

日に日に日が長くなるように、日に日に脳が騒がしくなってきており、これは私にとってあまり馴染み深い状態ではないので、いささか辟易している。いつからだろうと思い遡れば、ことの始まりは、多分、野良猫の鳴き声が私をおぞましいヘリへと追いやったあの早朝だろうが、それからというもの、私が遭遇するほとんどすべての出来事が、まあ水から飛び込んだこともあるのだけれど、ぱっと思いつくのを列挙するだけでも、ギムレット、ドラムの<<小説書くんだ>>、パンク少女と自己啓発本、求人情報誌と急性腹下り、ドラムの失恋とイズミちゃん宅奇襲未遂、草売人への閃き、久美ちゃんと黒猫デミニャンの登場、六角鮨と節分、ドラムとカモフラージュ取引、ドクロ社会成立、キース三浦と売人稼業本格化、アラバマBGMトラブル、と、これらすべてが、私の脳を煩雑にさせる直接の原因になったり、触媒の役割を担っている。<<単行本P112~P113>>

この長ぁぁい文章に、句読点「。」が、2つ。
ま、この文章自体が、今までの状況を説明するという性質もあるので、紹介するにはやや弱いですけど、通常の物語を進める文章もこれくらい、句読点「。」がありません。

こういうのって、読みづらいくせに、個人的には意外に好きなのです。
こういう文章を見ると、昔、小学校でやっていた『「。」までを輪読』する国語の授業を思い出します。
まったく小学生泣かせの「アレルヤ」です。

ということで、氏の別作品を読んで見たいと思います。