
「(この映画で)わたしは自分が
リスクを冒していることを承知していた。
ストーリーも気にいっていたし、
撮り甲斐のある映画だと思っていた。
わたしの映画のファンの一定の人が
わたしに期待するのはアクション・ヒーローものだ。
そういうファンはこの「センチメンタル・アドベンチャー」にがっかりするだろう。
いま映画を撮るなら、何が何でも撮りたいと思わなければだめだ。
ヒットするかどうかなんて考えちゃだめだ。
わたしはけっして考えない。
わたしの映画なら何にでも観客が飛び付くと思うほど
自惚れちゃいけない。
毎回、不安でびくびくものだ。
最後の最後までね。」
イーストウッドインタビューより
前回の「ハートブレイク・リッジ」と同様に
「グラン・トリノ」との関連を指摘する声の多い映画がこれです。
まず
息子が出ている。
イーストウッドが歌っているし、
病弱。
ただ
この映画での音楽の中心は
ジャズではなく
カントリー音楽です。
この映画で
イーストウッドが、
他の作品と著しく違うのは
よく笑うという点です。
ゲラゲラではないけど
ニコニコしています。
自分の好きなストーリーを
なじみ深いキャストと
スタッフで作っている
おまけに
共演が息子である。
自然とニコニコしてしまうのはわかる。
しかし
この映画は、コケた。
それは
冒頭のインタビューにあるように
この映画のイーストウッドは
大多数の観客が観たいイーストウッドではなかったからだ。
この映画を観ている僕の頭に
ある映画が浮かんだ。
マックインの「華麗なる週末」だ。
クラッシックなオープンカーに乗って
少年が、
大人になる旅に出る。
その少年に
大人を教える中年男に
普段は、
アクションヒーローを演じている役者が扮する。
この物語の骨格は
昔から
よくあるパターンである。
旅することによって
少年が、大人になる。
変則的だが
「スタンド・バイ・ミー」もそのパターンである。
「ハートブレイクリッジ」の時も同じだが
この映画も
ひねった展開などなにもない。
クラッシックなパターンを
そのまま進んでいく。
それを退屈と思うか、
心地いいと思うかはひと、それぞれだ。
撮影のブルース・サーティーズの映像がいい。
本当に
このひとのカメラは大胆というか
恐ろしいほど極端である。
特に夜のシーンの極端な暗さは
驚くほどである。
夜のシーンで
中心となるモノ以外は
ほとんど照明が当たっていない。
つまり写っていない。
極端なまでに
対象である現象に
観客の神経を集中させる。
その変わり
昼間のシーンは
一見すると無神経なほど
ベタの照明である。
この極端さが
ある時期のイーストウッドの映画の映像の哲学を作り出していた。
しかし
余談になるが
この映画だけ
山田康雄氏が
生前に声を当てていなかったというのは
何故なんだろう。
イメージが違うって言っても
イーストウッドが別の声を出しているわけではないんだから、
これだけ変えるというのは変な話である。