
このレビューは、
ネタバレをしますので
鑑賞後に読んでください。
鑑賞前に読むバージョン

本来なら
ヘンリーフォンダーが演じるギルが集団リンチに暴走していく街の人々に
正義を説き、
法とは
人間とは
なんてのを
説教する・・というのが
本来のハリウッド映画である。
しかし
そんな映画なら
監督が自ら原作権を買わなくてはならないほど
もめなかったであろう。
とても後味の悪い、
それゆえに
リアルにこちらの感性に響く原作ゆえに
監督は
一切の妥協を許さなかった。
主人公のギルは
ある意味、
とても冷静に見えるかもしれない。
しかし
原作ではもっと冷徹に
ことの成行きを見守っているだけらしい。
街にきたギルの目的は
ローズという女だった。
しかし
女は街にいなかった。
どうやら
あまり素行の良くないローズという女は
街の人間から追い出されたようだ・・。
そこはかとなく
街に流れるいやな保守の匂いが感じられる。
ファーンリーの親友が牛泥棒に殺されたという知らせが入る。
ここで注目したいのは
追跡隊を結成する街の人々の
生き生きとした表情である。
正義の名のもとに行われる
集団リンチの高揚感ほど
人々を酔わせるものはない。
他人事ではない。
僕たちだって
どれだけの人間を集団リンチにかけたか・・
自己責任という名のもとに
若さゆえの軽率な行動を責め続ける。
根拠もなく
サリンをばらまいた人間と決め付ける。
そして
なぜ、あの頃、
ユウキナエはあんなに嫌われなくてはならなかったのか・・。
答えは簡単である。
人間は、
集団リンチが大好きなのだ。
集団で、
寄ってたかって弱い人間をいじめるのが
大好きなのだ。
だから
この映画の中で
唯一
正義の心を持ちちゃんとした法のもとに
3人の容疑者を裁こうという
デイヴィスが、
どんどんとその力を失っていく。
どれだけ
正義を説いても
リンチ大好きな街の人間たちに
聞く耳などないのだ。
そして
ギルは最後まで決定的な行動は起こさない。
あくまでも
最後まで
よそ者の観察者として
街の人々の行動を観ている。
観客という冷静な目でみれば
つかまった3人が
無罪なことは明らかだ。
しかし
彼らに不利な証拠が
次々に示されると次第に
絶望的な彼らの運命に
気分は暗くなる。
観客は
アメリカ映画らしい
正義の暴力を望む。
この気の毒な容疑者3人を助けてくれる暴力を・・。
正義の保安官に銃を抜いてほしい・・と。
しかし
そこには保安官はいない。
無能なくせに権力を持ちたくてしようがない
保安官助手や、
偉そうに軍服を着た街のリーダーがいるだけだ。
最後に、
容疑者のひとりが手紙に書き残す言葉
「無実の人間を殺した罪の意識に一生苦しむがいい」
まもなく
陪審員制度がはじまります。
みなさん
覚悟はできていますか?