
現在、理想主義であることは
とても難しい。
それでもやっぱり、わたしは理想主義的なところのある夢が好きだ。
「なすべきことをなす」というあくなき意志を持っているからこそ、
わたしは「ブロンコビリー」やハリーキャラハンを好きになったんだ。
朝鮮戦争やベトナム戦争で、たくさんのアメリカ人が命をおとしたわけだが
戦果に見合った犠牲であったかは疑問が残る。
しかし
忘れてならないのは
ハイウェイのような人たちは
いつの世にもいるということだ。
戦争の理由がどうであれ
戦う覚悟でいる人たちだ。
こういう態度には気高いところがあるが
少々悲しい気高さだ。
こういう人たちはいつでも命をなげうつことをいとわない覚悟でいる。
もっと生産的な活動に身を捧げる生き方があることを
考えてもみないでね・・。
イーストウッド、インタビューより
少々悲しい気高さ
軍人としてしか
生きられない男をこう表現する
冷静な視線があるから
たとえ
娯楽戦争映画であっても
イーストウッド映画は
一筋縄ではいかない。
この映画と「グラン・トリノ」を
比較する映画評は多い。
戦場の英雄
頑固
口が悪い
女に不器用で純情
「グラン・トリノ」の脚本を読んだ時に
このキャラなら
出来ると感じたイーストウッドの頭には
このハイウェイの姿があったに違いない。
「グラン・トリノ」が
このハイウェイの後の姿と言っても
不自然さはない。
kazzpさんのブログでも指摘していますが
この映画、本当に無理やり盛り上げるための
派手な戦闘シーンとか、
異常な火薬の量を使った爆発も
もちろん
CGなどない。
戦闘も、
淡々と進む。
戦場における仲間の死も
拍子ぬけなほど
淡々と描かれる。
部下の死を悲しむ上官に対して
「寿命なんですから、しょうがないです」と
言いきる。
ここでも
「投名状」でジェットリーが演じたキャラが持っていた
軍人の倫理観、
兵隊は、死も仕事の一部・・という独特だが、
当たり前の理屈が出てくる。
イーストウッドが、インタビュアーに
サミュエル・フラーの「最前線物語」「折れた銃剣」、アンソニー・マン「最前線」などの
作品を出されて
「ああいう映画が懐かしい。この映画が、そういう系統の映画に入ってくれればいいけどね」と、
言っている。
ああいう映画というのが
どういうものかは、
ひとりひとりが観てもらって感じてもらいたいが
それが
時代遅れなどという一言では
片付けてもらいたくはない。
イーストウッドは
時代遅れという批判を受けながらも、
そういう映画を愚直に淡々と作り続けて
「父親たちの星条旗」「硫黄島からの脱出」
そして
「グラン・トリノ」の大ヒットにつながっていった。
この映画は
気楽に観れる娯楽戦争映画であります。
サラッと見れば、見れてしまう映画です。
コケ脅しのめちゃくちゃなオチもないし
残酷な描写もない。
お気楽、娯楽、
でもそういう見方をしてほしい
映画というのはそういうものである。
ダンスパーティの途中で
出撃命令が来るところなんて
戦争映画や西部劇好きなら
もう何十回も観ている
おなじみのシーンだ。
そういう娯楽のツボを押さえながら
リアルであろうとする努力、
それはイーストッドが
尊敬し
そういう映画を撮りたいと思ってきた
アンソニーマンやサミュエル・フラー
そしてもちろん
ドンシーゲル、セルジオレオーネの
諸作品の魂が
イーストウッドの映画に
現代においては
彼の映画にだけ息づいている
映画の心です。
それにしても、
やっぱりイーストウッドの声は
山田康雄であります。
こういう映画だと
もう乱暴な言い方をすれば
本人の声よりも
山田康雄の声のほうが
ぴったりくる。
ほんと、
TV東京のお昼のロードショー万歳!!であります。