172 「グラン・トリノ」 鑑賞後に読むバージョン Ⅱ  変わることの感動 | ササポンのブログ

ササポンのブログ

映画、音楽、アニメにドラマ
そしてサントラなブログ
ひとを観ていないものを観ます

ササポンのブログ
イーストウッドは

残り少なくなった自分の出演映画において

自分が演じるようなキャラを
本当にリアルな形で葬るにはどうしたらいいのか?
現代において
自分が作り上げてきたキャラを一体、どういう風に葬ればいいのか?


そう考えていたのかもしれない。

残念ながら
「ラスト・シューティスト」は
リアルな葬られ方ではなかった。
どこか
儀式のようで
ジョンウェインは最後まで
やっぱりそれまでのジョンウェインだった。
当時も
いまでも
それはリアルではなく
儀式だった・

もしかしたら
またここから僕の妄想が入るが、
ドン・シーゲルはもっと違う形で
ジョンウェインを葬りたいと思っていたかもしれない。

そして、
それをイーストウッドに語っていたかもしれない。

いや、
イーストウッドは
それを聞かなくても
その時にドン・シーゲルがどうやって
葬りたかったか・・知っていたかもしれない。

あくまでも僕の妄想ですが・・。
ササポンのブログ
ササポンのブログ

教会の牧師に対して
「死についてお前になにがわかる」と
喰ってかかったウォルトが
逆に、
牧師に生について聞かれたときに口ごもる。

彼の口から出たのは
妻と結婚したこと・・

それだけだった。
彼にとって生とはそれだけだった。
世界一の女と結婚したこと。
それだけだった。

それだけでも幸せなのかもしれない。
この映画は
その世界一の妻の葬式のシーンからはじまる。

生を失い
それでも
まだ生を全うしなくてはならない男。

それはそれはあまりにもリアルな歳老いた男の姿だった。
ササポンのブログ

残された息子たちと
理解し合えないのも自分の頑固さ故と
わかっていた。

それでも
自分を変えられない男。

これもまたどこにでも居過ぎる年老いた男だ。

こんな男のリアルな死に方など決まっている
アル中になってボケて、
野垂れ死にだ。
誰も観たいなんて思わない。

でも
結局、この映画の
彼の死にざまを
たくさんの観客が涙した。

いままでの
イーストウッドの映画で最高の興行成績。
誰が観ても
感動できる男の物語となってしまった。


どうして?

ウォルトが
隣人のモン族や牧師と接することで
変わっていくからだと思う。

人は歳を取れば取るほど
変われない。

大したことのない自分の人生に
なぜか
固執して
頑固になっていく。

ただ
ウォルトは徐々にだが
静かに変わっていった。
その変わっていく過程が
本当に見事に描かれている。
リアルに
そして
ユーモラスに描かれる。

これは並大抵の技量でできるような
演出ではない。
脚本も見事だが
やはり恐るべきは
イーストウッドの細やかな奇跡の演出である。
ササポンのブログ
ササポンのブログ


どうしてこんなイーストウッドが
こんなに細やかな演出ができるようになったのか?

わからない。

「センチメンタルアドベンチャー」や
「愛のそよ風」や
「マディソン郡の橋」など
ノン・アクションの監督作はあったが、
ここまで
細やかではなかったと思う。

僕は
「ミスティック・リバー」辺りから
また別のイーストウッドに生まれ変わった・・・と思っている。

そして
また
生まれ変わるかもしれない。


つづく

ササポンのブログ