
まずイーストウッドは、
すでに
「ミリオンダラー・ベイビー」の役を
「役者として最後にするにふさわしい役だとおもった」と語っている。
つまり
いま、巷で言われているような引退宣言を
すでに
前回の出演作で行っている。
なのに
なぜ、この役をやったのか?
答えは明快です。
「自分がこの役を一番うまくやれると思ったから」だ。
つまり
この後も自分が一番うまくやれる役があれば
演じるということで
引退というのは
ほとんどデマである。
僕は
この映画があるシーンに差し掛かったところで
ある映画を思い出した。
ある映画とは師匠であるドン・シーゲルの「ラスト・シューティスト」であり
あるシーンとは、
戦いの前に
正装するするシーンです。
ジョン・ウェインも
最後の戦いの前に
正装していた。
「グラン・トリノ」と「ラスト・シューティスト」には
共通点が多い。
昔、人をたくさん殺したという贖罪の念
そして
病気による死を前にして
殺しのむなしさと意味のなさを
自分の死を持って次の世代に伝える。
イーストウッドはこの映画を
「当時としてはおもしろかった」と言っているが
僕は
「グラン・トリノ」の脚本を読んだ瞬間に
この映画のことが、頭に浮かんだに違いない・・・と妄想します。
イーストウッドは、
ジョン・ウェインの西部劇とは
真逆な西部劇世界を作り続けた人です。
イーストウッドは、
正義とは無縁な
アウトロー世界を漂う男を
演じてきました。
「ダーティハリー」においても
ヒーローとは縁遠い
差別的な人間嫌いな
ダーティヒーローを作り上げた。
そんな彼が
最もジョン・ウェインに近づいたのが
この「グラン・トリノ」であると思う。
しかし
その近づき方は
いかにもイーストウッドらしい
ひねくれた、素直じゃないやり方だった。
つづく