153 「ブルースブラザーズ」 この映画は、ランディス本人を体験する映画!! | ササポンのブログ

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ジョンランディス
あらゆる世界の人たちから
愛され続けた
稀有な映画監督
名監督といわれる人たちは
みんな
ロクでなしで
嫌われ者。

愛すべき
人格者でありながら
名監督などいないという
常識を
唯一、
覆した男。

その男の事務所には
あらゆるジャンルの監督が集まったという。

どれほど
気難しいミュージャンも
彼の映画で
おふざけ演技を繰り広げる。

それを見ながら
一番、
笑い転げていた男。
ジョン・ランディス

その彼の、最も彼らしい傑作。
「ブルースブラザーズ」



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ムショを出たジェイクを
パトカーで迎えるエルウッド。

ふたりは
自分たちが育った孤児院に行き
そこのデブペンギンから
孤児院が5000ドルの税金を払えないため
立ち退きの瀬戸際にあることを知る。

「そんな金、おれたちが稼いでやるよ!!」

「そんな汚れたお金はいりません!!

ふたりを椅子ごと
階段から叩き落とすと
デブペンギンは
移動する床に乗って
神々しく
部屋に戻る。

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そんな昔ながらの
愛情のこもった突き落としで
愛を思い出したふたりは
金の工面する方法を
考えた。

教会に行き
ジェーーームズブラウン牧師の
「光が見えたか!!」
言葉に
「バンドだ!!」
と返答。

ふたりは、
バンドをやって金を稼ごう!!と
思いつく。
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まずは
昔のバンドメンバーのところを
訪ねて
なだめてすかして
脅して
踊って歌って
全員を参加させて
コンサートを開いてお金を集めて
めでたしめでたし。


それで終わりです。


・・・・・。
嘘ではない。
ストーリーはそれだけの映画です。

それで2時間強です。

それで
傑作を撮るのが
ランディスです。

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善良なふたりを
なぜか
ネオナチ
警察
そして
謎のウェポン女が

追いかけ回します。

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どれだけ
周りから
追っかけまわされ
破壊され
ぶつけられても

ふたりの頭の中には
バンドと金しか
ありません。

その辺の感覚は
実のところ
ランディス独特のものがあります。

「アニマルハウス」や「ケンタッキーフライドムービ」などで
ナショナルランプーン一派と組んでいた
ランディスならではの、
物語から
浮遊した
破壊ギャグの連発。






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まわりがどれだけ
大騒ぎ崩壊を続けようと
ただもう
淡々と
行動するふたり。

この映画も
僕の映画評で
以前からよく出てくる。
「不思議の国のアリス」構成です。


ただ
この映画が
特異なのは
ふたりのアリスたちが
不思議の国で起こる
ドタバタにまったく無関心ということです。

そこに
ギャグを感じるひとは
この映画をもう病的に好きになる。

しかし
そこを退屈と思う人は
きっと寝てしまう。



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このネオナチに関するドタバタは
もう最高であります。

彼らの首領に対する
部下の最後の一言は
悶絶ものでした。

そこは
是非、
日本語で観てほしかった。
日本語のほうが笑えます。


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レイちゃんをここまで愛らしく
ここまで楽しく表現できるひとは
ランディスしかいません。
さらに
2枚目の写真のような
マニアックな映像をさりげなく入れたりする。



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ラストで
展開される
この群衆シーンの
「はっはっはっ」もランディスギャグであります。

普通に撮れば
なんの変哲もない
このモブシーンも
ランディスの手にかかると
ギャグシーンに変貌してしまう。

「はっはっはっ」と掛け声をかけながら
壁を伝わり下りる兵隊たち

「うわわわわわわわ!!」言いながら
階段を駆け上がる警官たち

そして
役目を終えて
見事に分解するパトカー。

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ランディス映画は
一見
とても単純で
イージーに見えます。

とても
真似しやすく見えます。

だから
ランディス映画からのパクリは
異常に多いです。

ただ
ランディス映画を簡単に真似られると思って
真似てしまう人は
自らの才能のなさを痛感するに違いない。

ランディスという人は
理論で映画を作っていない。
本能でもない

ランディス自身が
映画であり
彼の映画を見るということは
彼をそのまま体験するということなんです。

だから
どんなに破壊があっても
どんなに皮肉があっても

全然
不快にならない
すべてが
楽しい世界になっていく。

これがランディス映画の素晴らしさ。
そして

ランディス映画の限界でもあります。

ランディス本人が
本当に楽しくなければ
もう
彼の映画は
楽しさと輝きを失ってしまうんです。


だから
僕の心の師であった
ジョンランディス映画が
再び
復活することは
ありません。
悲しいけど・・。

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