
僕が大好きな言葉に、
作家はデビュー作に向って成熟していく・・とういうのがあるが、
これは映画にも、音楽にも、他の創作活動にも言えることで、
作り手のすべては、デビュー作にあると言っていい。
この北野監督のデビュー作には、
その後の作品のすべてがあると言ってもいい。
この映画の内容自体は、
知る人ぞ知るフリードキンの「LA大捜査線/狼たちの街」のパクリである。
特にラストなんかそのままである。
僕は、
昔から、パクリ結構、
どうせもうオリジナルなどない、
でもどうせパクルならみんなが知らないような作品をやれと思っているから、
これは別に気にならない。
この映画が、パクリの部分など、どうでもよく、
物凄いパワーで迫ってくる理由は、
その独特の「間」がある。
芸事のすべては、
間、
であります。
芝居も、間、であります。
でも映画も、間、であることを教えてくれたのが、
この映画であります。
いろいろなひとがこの映画に衝撃を受けたようですが、
一番、ショックを受けたのは、
アクション映画を撮っているひとだと思う。
この映画の暴力は、いままでの映画と完全に違っていた。
独創的だった。
ある程度、アクション映画を見ていると、
暴力シーンにもリズムというものがある。
殴るタイミングや、
銃を撃つきっかけなど、
大体、パターンがある。
しかしこの映画は、
そのタイミング、きっかけ、パターンを
完全にはずされているのだ。
なんだろうと思うと、それが間なのだ。
詰問する刑事が、
ヤクザを殴る、殴る、聞く、殴る、
また殴る、
大体、そこで終わる。
ところがまた殴って、
笑って、また殴る殴る。
間があって、また殴る。
この執拗と、はずされた間。
アクションというのは、
バイオレンスシーンは
基本
気持ちよくなければならない。
これが不思議だが
バイオレンスシーンが
痛いのはだめなのだ。
ところがこの映画のバイオレンスは
徹底的に、とにかく
痛い・・。
銃撃もそうだ。セリフの途中で、平気で撃ち殺す。
あのオカマが撃ち殺されるところで驚かない、アクション監督はいないだろう。
この映画の後の、
タランティーノ映画や、ジョニートーの「ザミッション」は、
完全に北野監督の間のアクションの影響下にある。
「ブラザー」辺りになると、
アクションも、かなり洗練されてしまって、
少し物足りない。
この映画の、荒々しい、どちらかと言えば本能的な間のアクションがやっぱりいい。
この映画の間が、銃撃戦の歴史を変えたと言ってもいい過ぎではないと思う。
ちなみにフリードキンと北野武の共通点が
TV業界から
映画の世界に来たことだ。