
ヴィト・コルネオーネが、狙撃されたときに一緒にいたのは
次男のフレドこと、フレデリコ・コルレオーネ。
父親が撃たれてもなにもできず
ただ、震えて泣いているだけの男。
暗黒世界ではなんの役たたない男。
しかし、
もし普通の世界なら
彼の反応は自然なものとして映るだろう
父親を突然、撃たれたら、
震えて泣かないやつがどこにいるだろうか?
もし突然の凶行に対して
冷静に対処して
相手に撃ち返すなんて所業は
冷酷で、冷静で、非情なやつにしかできない。
それが
ソニーとマイケルには出来る。
だからこそ
父親の作り上げた世界で生きることができるのだ。
はたして
人間的にはどちらが立派であろうか。
世間の物差しから見れば
ソニーもマイケルもクズである。
最低の人間である。
しかし
この映画は暗黒世界を描いている。
だからこそ
ふたりはかっこよくさっそうとしていて、
フレドはいくじなしなのだ。
ヴィトが撃たれたことを
ソニーが母親に伝えるシーン。
さりげないけど、
とても心に残るシーンだ。
暴力の世界に生きる夫を
常に支え続けた妻。
ソニーから、
夫が怪我をしたと聞かされて
「誰かに撃たれたんだね」
と聞き返す妻。
その言葉のなかにあるのは、
何十年もの間に作り上げた
血まみれの覚悟。
愛するひとがもしかしたら
弾丸を浴びて死ぬかもしれないという日常に生きるという覚悟が
そのセリフに込められています。
とても地味な役だけど
こういうひとたちをきっちりと描くことで
映画はより深くなっていく。
ヴィトを襲撃すると当時に
ソロッツォは
トム・ハーゲンを拉致。
麻薬の取り引きを開始するようにソニーを説得しろと命令した。
そして
ヴィトの命令で
ソロッツォたちに近づいていた
コルネオーネ配下一番の殺し屋、ルカ・ブラージを
殺して、海に沈めていた。
このルカ・ブラージ殺しのシーンがまたすさまじい。
アイスピックを突き刺し、手をカウンターに固定
後ろから絞殺する。
このときのどアップになったルカ・ブラージの口から
舌が突き出る。
飛び出そうな目玉・・。
もうなんともいえず苦悶の表情が本当に凄い。
ソニーが
父親のオフィスに座り、
電話帳をめくりながら次々と指示を出していく
短気で感情的な男が
本当なら兵隊の陣頭指揮をとり
ソロッツォたちを皆殺しにしたい!!
その気持ちを抑えて、
淡々と事務処理をする姿。
父親を売った男をいち早く見つけ出し
処分の命令まで出す。
その姿はすでに
二代目のドンの風格すらある。
しかし、そんなソニーより
冷静かつ、沈着、そして残忍だったのが
三男のマイケルである。
マイケルが
その冷静さを発揮するのが
父親の入院している病院に行くシーンである。
ソロッツォと組むタッタリアの息がかかったマクルスキー警部によって
無人と化した病院を観たマイケルは、
あわてることなく父親のベッドを移動させ、
見舞いにきたパン屋のエンツォと一緒に入口に立ち、
誰もいないと聞き、
襲撃に来た男たちを立ち退かせた。
このパン屋のエンツォとのシーンも好きである。
まったくの素人であるエンツォが、
殺し屋たちの目の前に立つ。
これがどれほどの恐怖か計り知れない。
しかし
日ごろ世話になっている
ヴィトのためにその恐怖に耐えて
たち続ける。
世間に数多ある凡庸なギャング、やくざ映画とは違う次元に
この映画がある理由は
こういうシーンの存在である。
本当にさりげないシーンだが
簡単に書けるシーンではない。
そして
マイケルが
父親の手を握り、囁く。
「僕がいるからだいじようぶだよ。僕が絶対に守ってあげる」
父親の眼から涙が流れる。
やがて
生まれて初めて
マイケルの心に、
父親の、コルネオーネ・ファミリーの敵に対する怒りがこみ上げる。
それは
ソニーとは違った冷たい怒りだった・・。