「砂漠の流れ者」(2) 愛するがゆえに、ひとりが寂しいホーグ | ササポンのブログ

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灼熱の砂漠の真ん中で探鉱試掘稼業のケーブル・ホーグ(ジェイソン・ロバーズ)は
仲間のタガート(L・Q・ジョーンズ)とボーエン(ストロザー・マーティン)に
ライフルとロバと食糧を奪われた。
やがて仲間と食糧と水を失ったホーグは
彷徨った。
彷徨った果てに見つけたのは、
砂漠のオアシス、水場だ。

ほんの偶然に
水源を見つけたホーグは、
同じように
砂漠を彷徨っていた
牧師姿の男ジョシュア(デイヴィッド・ワーナー)の言葉に従い、
この給水所の所有権を正式に登録した。

ホーグは、
この登録の金を銀行に金を借りるのだが、
普段のペキンパーなら
銀行のやつなど
屑のいやな野郎として描くであろうが
この映画に出てくる銀行屋は
男気のあるいいやつで、
怪しげなホーグに
希望以上の金を貸してくれるのだ。

このシーンを観た途端、
この映画は暴力と復讐の物語ではないな・・とわかる。
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そして
この町で
ホーグは、
運命の女、娼婦ヒルディ(ステラ・スティーヴンス)と出会う。

出会いの場面で
やたらにこの女の豊かなバストが
強調される。
もう
ひつように胸をアップにする。
文字通り
バストアップだ。
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この映画を
ペキンパーは、
ラブストーリーだといった。
愛の物語だ。

ただこのヒルディと過ごす幸せなシーンと
同じぐらい描かれるのが
ホーグの孤独だ。

ひとりでいるというのは
人ごとに言うほど
悲しくはない。

楽である。
とにかく
好き勝手生きたいひとにとって
ひとりでいることは必須だ。

そんな気楽なひとり暮らしが
辛い孤独の日々に
変わるのは
恋をしたときだ。

好きなひとと
一緒に住みたい
いつも一緒にいたいのに
それが叶わないとき
人間の心に強烈な孤独が襲いかかってくる。



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ソフトなフォーカスに包まれたような
ホーグとヒルディの日々。

ふたりで
歌なんか歌ったりして
ペキンパーは恥ずかしいぐらいに
愛の日々を楽しげに描く。

それらのシーンは、
そのあとに続く
ふたりの別れと
ホーグの孤独を際立たせる。



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サンフランシスコに一緒に行こうというヒルディの誘いを
裏切ったふたりへの復讐を理由に断るホーグ

でも
それが嘘なことは丸わかりである。

ただ
思いきれないだけである。

ただの
意気地なしなのである。

それに
ホーグは知らなかったのだ。
ヒルディと別れた後の
ひとり暮らしは、
前の気ままなひとり暮らしとは違う。
孤独という名の恐ろしい空虚であることが・・。

ヒルディが去った後は
ライフルを膝の上に置いて
ぼんやりとイスに座る時間が多くなるホーグ。

やってくる駅馬車の客に
まずくて怪しい肉料理を食わせ
水を飲ませて
送り出す・・だけの日々。

ジョシュアには
復讐すべきふたりの男を待っているのだ・・・と
言っているが
誰の目にも
ホーグが、
ヒルディを思い
ヒルディを待っているのは
わかる。


昔、リチャードマシスンの短編で「蒸発」というのがあった。
煩雑な人間関係が面倒臭くなった男が、
もっと人生が単純になればいいんだ・・と願った途端に
まわりから知り合いがどんどん消えていく・・という話。

どうしてひとは、
ひとを求めるのだろう?
答えは簡単。

寂しいから。


やがて寂しいホーグの前に
あのふたりの男が
姿を見せた。

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