97 「許されざる者」 イーストウッド最後の変態暴力西部劇 | ササポンのブログ

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最近のイーストウッドは、とても普通だ。
普通の凄い監督になってしまった。あの年まで現役で監督を続けるんだから、
それはそれで化け物なのだろうが、
初期の作品の、
あれに感動していたオールドファンには寂しい。
あれ、とはなにか?

イーストウッドの映画の、とても変なところだ。
前に「荒野のストレンジャー」のところでも書いたが、
イーストウッドの映画は、とても変なのだ。

特に監督した作品に
その変が多い。

そして、
その変の頂点がこの映画だ。


この映画のまず何が変かと言えば、
まず街の保安官である。
演じるのは、ジーン・ハックマン。
このひとは、
知る人ぞ知るが、
突然、キレる。
そしてキレたら死ぬほど怖い・・。
それも
ニコニコ笑っていたと思ったら
突然、
無表情になってキレて、
暴力男となる。
リアル・大魔神のような役が
大得意である。
実際のハックマンは、
とてもいいひとらしいが、
映画で、
この手の役をやらせたら
世界一である。





このハックマンが、
街に来た人間を、
全員、ずたぼろにするのであるが、
ずたぼろにする理由がよくわからない。

特にわからないのが、
街に来た伝説的殺し屋のリチャード・ハリスを
ドガボガバカっと殴って追い出すのであるが、
これがよくわからない。
一緒についてきた伝記作家の男に
自分が一番凄い男であることを自慢したい・・・というのが
理由なのか?

それだけの理由で
あそこまでカギドガズゴゴと殴って
こんな素敵なリチャードハリスを

ここまでぐちゃめちょにするのか?

ま、
そのおかげでこの後に「ハリーポッター」に出られたのだから
殴られがいがあったか・・。



要するに
ジーンハックマンを殺す価値のある男として描きたかったのだろうが
その残忍さは異常である。
ハックマンがまた見事に演じるから
その残忍さがさらに浮き立つ。


僕は
モーガンフリーマンというひとの魅力がいまいちわからなかった。
嫌いではないが
なぜ、そんなに人気が、特に俳優仲間に
人気が高いのかと・・。

その理由は
この映画と「ミリオンダラー・ベイビー」を観てわかった。

受けの芝居が異常にうまいのだ。
我を張るのが当たり前のアメリカ映画、
その中でも
特級の我張り俳優、イーストウッドにとって
受けの芝居がうまい
フリーマンは
絶好の相手役なのだ。

とにかくこの人は、
受けの芝居が死ぬほどうまい。

しかし
我を張るのが死ぬほど苦手だ。
主役など絶対に出来ないタイプだ。
そういえば最初に評価を受けた「ドライビング・MISS・デイジー」も
完全に受けの芝居だった。



イーストウッドというひとは
異常に暴力的だ。

暴力を描くのがうまい監督は
いくらでもいる。

ただ
イーストウッドの場合は
その暴力に抒情というか哀愁がないのだ。
暴力に抒情や哀愁・・というのも変な話だが
ペキンパや師匠のひとりでもあるレオーネと比べると
あまりにも直接的で直情的なのだ。
そういう意味で言うと
もうひとりの師匠、ドンシーゲルに近いが
彼よりもさらに生々しい
簡単に言うと
えげつないのだ。





イーストウッドの映画には
やたらにレイプシーンがある。
「荒野のストレンジャー」「ガントレット」「ダーティハリー4」に至っては
レイプそのものがテーマである。

この映画には、
ナイフで娼婦の顔を切り刻む男まで
でてくる。

これもまた殺す価値のある男として出てくるのであるが、
どうにもその表現が
極端に暴力的なのだ。









さて、この映画の最も重要な変、
それはもうイーストウッド演じるウィリアム・マニーである。

はつきり言って
この男、生活に困った、ただのおやじである。
それも
昔は残酷と人でなしで鳴らした
恐ろしい、ただのおやじである。

ラストには
酔っぱらった勢いで
酒場で銃をぶっぱなしてぶっ殺しまわった
挙句に
街で大声でわめきまわる、生活に困った、ただの酔っぱらいおやじである。

僕はこのキャラが
大好きである。
なにかイーストウッドそのひとを観ているようで
イーストウッドの映画そのものを観ているようで
とても好きだ。

そうなのだ。
イーストウッドの映画というのは
この登場人物のように
はた迷惑な、変なやつが一杯でる変な映画なのだ。



ところがこの映画
賞をたくさん取っている。
人間の本質を描いた見事な映画だと
みんなが、ほめる。
普段、イーストウッドの映画なんか
観もしない
芸術的な人たちがほめる。

わからない。
不可解。
思考停止。

どうしても僕はイーストウッドがアカデミー常連の巨匠には見えないのだ。
変な映画を撮るB級映画の監督に見えるのだ。
この映画を捧げた
レオーネやドンシーゲルのように
どんなに製作費をかけようが
大物スターが出演しようが
どこか胡散臭さが抜けないB級映画の監督


そして
誰がなんと言おうと
この映画はイーストウッドが手がけた
最後の
変な・・あえて変態と言おう
変態映画です。

この映画に充満した
変態なパワーは
もうきっとイーストウッドの新作映画のなかからは
生まれないと思うし
他の人には作れないと思う。

僕は、イーストウッドの
変態暴力パワーが大好きです。