
「ワイルドバンチ」の次がこれである。
どういう性格だと問われれば、
こういう性格だと答えてやる。ふん。(ぶりぶりざえもん風受け答え)
もういまさら語るのも恥ずかしいほど
話題の名作、
観た人はまず100パーセント感動し、
感心するという名作。
どんなにひねくれた眼で観ても、
どんなに素直に観ても、
大人は泣いて
子供は、笑える。
もちろん、僕もいつも通りほめます。
ちなみにこの映画にはぶりぶりざえもんは出ません。
昔懐かしいテレビ番組や映画、暮らし等が再現された「20世紀博」というテーマパークが
日本各地で開催されていた。
毎日つき合わされ、
いい加減に飽きて辟易しているしんのすけら子供達を尻目に、
ひろしやみさえら大人達は、
懐かしさに触れて20世紀博を満喫する。
街中でも昔の車やレコード、
白黒テレビといった古いものが売れるようになり、
帰宅しても大人達はビデオの懐かしい特撮番組やアニメ番組に、
取り付かれたかのように夢中になる。
ある晩、
テレビで『20世紀博』(モデルは大阪万博)から
「明日、お迎えにあがります」という放送があり、
これを見た大人達は突然人が変わったようになり、
すぐさま眠りについてしまった。
ウィキーさんより
この映画でまず衝撃を受けたのは「20世紀博」の毒気に犯された
しんちゃんの父親と母親、ひろしとみさえが
子供化するシーンだ。
朝の支度もしないでいつまでも寝ている。
仕方がないので
しんちゃんたちが自分で朝の支度をしてでかける。
大人たちは
スナック菓子を食いまくり
玩具で遊び、特撮ものを観ている。
ぞっとする。
これはきっといまの日本の若い夫婦の姿、
そのままではないか・・。
それをいやらしいほどに徹底的に描く。
もう残酷なほど徹底的にだ・・。
未来の子供たちに美しい地球を残したい・・なんて
白々しいコピーがTVから流れるのを聞きながら
ガキな大人たちの子供の虐待はなくならない・・。
やがて『20世紀博』からのお誘いに
大人たちは、
取りつかれたように引き寄せられる。
街中に沢山のオート三輪が「証城寺の狸囃子」の曲を流しながら現れた。
それを見聞きした大人達は皆それに乗り込み、
子供達を置き去りにしてどこかへ走り去ってしまう。
乗り込む大人たちを追いかけるしんちゃんたちの姿は
強烈に悲しい・・。
ノスタルジアに取りつかれた大人たちに
子供などなんの力もない。
いや
ノスタルジアの病に取りつかれた人間に
つける薬などないのだ。
それは
取りつかれている僕がいうのだから
確かだ。
“ケンちゃんチャコちゃん”をリーダーとする秘密結社「イエスタデイ・ワンスモア」の、
大人を子供に戻し、
「古き良き昭和」を再現し、
未来を放棄するという、
恐るべき“オトナ帝国”化計画の始まりだった。
ノスタルジアに取りつかれた情けない大人たちを
助け出すべくしんちゃんたち「春日部防衛隊」の活躍が開始された。
ここからは、
もうしんちゃん世界でおなじみのドタバタ追跡劇!!
「ブルースブラザーズ」のごとき、クラッシュから、
おなじみの下品な、小便攻撃まで。
子供アニメとしての楽しみは押えつつ
物語は
異様なハイテンションに突入する。
大人達は『20世紀博』のタワーから発せられる「懐かしい匂い」の虜になってしまったのだった。
この「懐かしいにおい」とは、
当然今の子供達には通用しないものであった。
これがこの映画の最も優れている点であろう。
大人たちに懐かしさを認識させるのに、
「匂い」を使っている点だ。
「匂い」というのは、
最もダイレクトに、人間の記憶を引き出す。
「匂い」によって人間は、
一瞬のうちに、
懐かしい昔に戻ってしまう。
匂いによって
子どもになってしまった父親のひろしを
現実に引き戻すために使ったのが
強烈なひろしの靴の匂いというアイディアも見事だ。
その靴の匂いを嗅がされたひろしの脳裏に浮かぶ
ここまで生きてきた人生の回想。
子供に付き合わされて観に来たおとうさんたちが
おもわず号泣。
別の日に一人で見に来てまた号泣したという回想シーン・・。
子供時代の父親の思い出から
上京
会社に就職して
奥さんと出会って恋愛、結婚。
そして
子供が生まれる。
誰でも当たり前に経験した人生が
描かれる。
これこそが、
のちに「河童のクゥと夏休み」で
僕を死ぬほど泣かせた原恵一監督の丁寧な日常描写だ。
いまの日本の実写の監督には
絶対に出来ない実感のこもった日常の描写・・。
現実に帰還したひろしとみさえ
そして
しんちゃんたちが
自分たちの未来を取り戻すために
タワーを駆け上がっていく・・。
もうすでに
色々なところで取り上げられている
しんちゃんの階段、駆け上がりシーン。
そしてあの、あの
いやいや、もう映画史に残るあの名ゼリフ
「オ、オラ、父ちゃんと母ちゃんとひまわりとシロと、
もっともっと一緒にいたいから。
けんかしたり、
頭にきたりしても、一緒がいいから。
・・・あと、オラ、オトナになりたいから!
オトナになっておねいさんみたいなきれいなおねいさんと、
いっぱいいっぱい、おつきあいしたいから!」
ああ・・だめだ。泣けてきた・・。
昔、BS夜話で立川志らく氏が、
スピルバーグの「AI」を
オスメントくんみたいな優等生がやらないで
しんちゃんみたいなのがやればもっと泣けたのに・・と言っていた。
見事な見解です。
しんちゃんみたいな下品で
世の母親たちから子供に観て欲しくない見習って欲しくないと言われている
しんちゃんが
母親を求めて何百年も走りまわる話なら・・もつと感動しただろう。
そして
この映画は
それをやってしまったのだ。
「オ、オラ、父ちゃんと母ちゃんとひまわりとシロと、
もっともっと一緒にいたいから。
けんかしたり、
頭にきたりしても、一緒がいいから。」
この言葉を
子供に言われて泣かないなら親などやめたほうがいい。
この映画が存在するのに
いまだに
しんちゃんを子供に見せたくないという親がいることが
日本の未来を暗くする。
確かに
しんちゃんの下品な真似をされれば困るかもしれないが
そういう時は
みさえのようにぶん殴って、
ぐりぐりすればいいのだ。
まったく
自分たちはもっと下品なもの、観てきた癖に・・。ふん。
この映画を作った原恵一監督は
この後、
この映画より凄いと言われ
なぜか実写化される予定の(なぜ、なぜ、なぜでしよう?)
「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ アッパレ!戦国大合戦」を、
そして、さらにそれより見事な
「河童のクゥと夏休み」を作った。
これらの作品は
また別の講釈で・・・。