「スローターハウス5」というベストセラーを映画化。
原作者のカートボネガットより「原作よりおもしろい」とお褒めの言葉をいただいた
ジョージロイヒル監督が
そのボネガットの弟子、ジョンアーヴィングのベストセラーを映画化した。
それがこの「ガープの世界」だ
出演は、ロビン・ウィリアムズ。
これが映画デビューのグレン・クローズ
そしてジョン・リスゴー
ジョンアーヴィングは、
映画化された自分の作品が
あまり気にいっていなかった。
だから
「サイダーハウスルール」で自ら脚色して
アカデミー賞を取った。
そちらのほうの監督は、
傑作「マイライフアズアドック」のラッセ・ハルストレム。
さて
アーヴィングがこの「ガープの世界」の映画を
気に入っているか、いないかは知らない。
ただもし
気にいっていないなら
映画的感性がまるでない・・と言わざる負えない。
この映画が
彼の原作の映画化のなかで
群を抜いて傑作なのは
ロイヒル監督の
類まれなる映画感性の賜物である。
映画の冒頭
ゆっくりと宙を舞う赤ん坊のガープ。
そこにビートルズの「ウェン・アイム・64」がかぶさる。
歌詞の内容も含めて
これほど
この原作にふさわしいオープニングがあるのか・・。
そして
その奇妙な名前「ガープ」を連呼する、このふたり。
ヒューム・クローニンとジェシカ・タンディ。
このオープニングを映画的と言わずして何と言うのだ。
徐々に明かされる看護婦グレンクローズの恐るべき正体。
世間では、
グレンクローズの怖いイメージが定着した映画として
「危険な情事」を上げるが
僕は、
この映画の看護婦役、ジェニーのほうが怖い。
女として、母親として
この女性ほど怖くて、強いひともいない。
「ガープの考えでは、彼の母親はずっと昔から看護婦をやってきているように思える。
スティアリング学院時代はガープの看護婦役を果たしてきたし、
自分の書物に関しては自ら不器用ながら産婆の役を務め
そして最後には悩める女性たちに対して一種の看護婦の役を務めるにいたった」
原作「ガープの世界より」
その圧倒的なキャラに対して
ガープはあくまでも優しくあろうとする。
周りの人々に対しても
暴力的な世間に対しても
やさしくあろうと・・。
そんな彼が
エレン・ジェームシャンなる奇妙な存在を知る。
12歳の時に強姦され、
犯人について話せないようにと舌を切りとられたエレン・ジェームズの事件に怒り、
彼女たちはみな自主的に舌を切り取っているのだ。
それに対して
ガープは激しく怒る。
そんな
非人間的な運動は認めない・・と。
そして抗議の意味を込めて「エレン」という本を書く。
常に
ガープの周りには暴力が満ちている。
暴力なしの世界などない。
それが十二分にわかっているから
ガープは優しくあろうとしている。
それが
恐ろしく強い、生れながらの看護婦である母親に
守られた青年の生き方である。
さて、もうひとり、強烈な優しさを発散する男・・いや女がいる。
フットボール選手から女性に性転換したロバータ(ジョン・リスゴー)だ。
外見からすれば
絶対に女には見えない。
ところが
観ているうちに誰よりも女性に見えてくる。
物凄いごっついジョンリスゴーが
女の服を着て、女の仕種をしても、
自然に映る。
これはもう演技力以外、なにものでもない。
彼女のまわりに対する優しさ
そして
ジェニーたちに対する献身。
それらはすべてジョンリスゴーの演技から発散されている。
ガープやロバータが優しく見えるのは
この映画における女たちが
みんな一様に強くて怖くて、わがままだからだ。
ガープの母親も
ガープの奥さんも、
そして
舌を切り取った女たちも
とにかく
強くて怖くて、わがままだ。
それは
ジョンアーヴィングの世界でもあるが、
もしかしたら
ロイヒル監督の女性感であるかもしれない。
どうもロイヒル監督作品に出てくる女性は
知的なんだけど
どこか冷たい。
こんな暴力な男世界で女が生きていくためには
ここまで
強くて怖くてわがままにならなくてはならないということか・・。
ただ
ガープの母親、ジェニー以外の女性が
魅力的な観えないのは
僕が男であるせいなのか・・。
ま、プーは好きだが
あれはあれで女というよりは
珍獣だから・・。
ちなみに
ガープたちが買おうとした家に
飛行機で突っ込んだおじさんを演じていたのは
ロイヒル監督です。