64  「フィールドオブドリームス」 本当の郷愁は、失った痛み | ササポンのブログ

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昔住んでいた横浜の、平日、昼間の映画館。
大体、空いている。
この映画を見た時も空いていた。
観終わった後、立ち上がって、中央通路を歩いて行くと、
まだ座っているひとが、目に入った。
彼は、立てないのだろう。
なぜなら、号泣しているから。
明るくなったガラガラの場内、
背広を着た中年の男性が、クレジットタイトルが終わっても、
涙がとまらず、立てない。


この映画、
もちろん、だれでも感動できるものではあるが、
男性、特に中年以上の
野球が遊びの全盛であった時代に生きた男性にとっては、
もう胸が張り裂けるような気持ちになる。
この頃を生きたひとにとっては、
誰にでもあるであろう記憶。
父親とのキャッチボール。
そんな少年時代が過ぎ、
青年期がくるとお決まりの、
父親のようにはなりたくないという、理由なき反抗。
映画の中で描かれる息子の、父親に対する反目は、
全世界共通のモノだ。

それを作れば、彼はやってくる。



封切り当時に、
おすぎさんと淀川さんの対談で言っていたが、
ケビンコスナー演じる困った男の、奥さんがとてもいい。
エイミーマディガンの演じるこの奥さんは、
夫の衝動的な行動を理解し、
時には慰めながら、見守っていく。奥さんでありながら、母親であり、教師でもある、
よき時代のアメリカの女房。

この夫婦が、経済的なことで、口喧嘩している。
グランドを作ったことで
困窮する生活費・・。
現実的な議論をしているときに
娘が気がついた。
「パパ・・」
「ちょっと、いまは忙しいから・・」
「誰かいる・・」
「え・・」

グランドのライトに火が灯る。浮かび上がるグランド。

一人の男が立っている。
レイリオッタ演じるシューレスジョー

この呼吸、流れ。
若き日、痩せているレイリオッタが、美しい。

グランドに立ったシューレス・ジョーが聞く。
「ここは天国か?」
「アイオワだよ」



天からの言葉に
導かれて
レイ・キンセラは、
作家の60年代の作家テレンス・マンに会いに行く。
このはJ・D・サリンジャーをモデルに作られた作家と
レイの会話が楽しい。
社会や親たちに対する反抗を
全部、自分の書いた本のせいにされたときの
テレンスマンの反応は、
笑える。


これが遺作となったバートランカスターの医者との
静かな出会いと別れ。
そして
ヒッチハイカーの少年。
普通のヒューマンドラマのトーンのなかに
静かに流れ込む
ファンタジー。

理論で映画を見るひとには
変な映画に見えるけど
心で映画を見る人は
すべては自然の流れと映る。


車の中で
レイキンセラが
淡々と語る。
死んだ父親との確執・・
バックに流れるジェームズ・ホーナー の音楽・・。
胸がズタズタに切り裂かれるような気分になる。
男の子なら
程度の差こそあれ
誰にでもある後悔の念に
胸が苦しくなる・・。

やがて
さらに不思議で美しい奇跡が
訪れる。



子供の頃、
生まれてはじめてナイターに行った日の、
野球場の美しさが蘇る。
ナイターの野球場は
なんで
あんなに美しかったんだろう・・・。


もう絶対戻らない日々、
どんなにCGを使っても、再現できない、
確実にそこに生きた者の郷愁。

最近ある、古きよき時代の日本を描いた映画に、
いまいち、素直に感動できないのは、
あの頃の空気を知っていて、
すでに失ってしまったものの痛みを、心が知っているから。

昼間の映画館で、
号泣する中年男性にとっても、
失ってしまった、
あの時代の父親との野球の思い出は、
もう戻らない日々の痛みだったのかもしれない。



本当に心が感じる、あの日々の、映画です。