44 「いまを生きる」 感情が誘う至福のラスト | ササポンのブログ

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世の中には、驚きのラストと、銘打った映画が氾濫している。
実際、もう驚きのラストなどないのだが、百歩譲って、驚きのオチがあったとしよう。
でもそれは一度、見れば終わりである。
なんと貧しい、なんと寂しい。
頭をこねくりまわして一生懸命考えたオチも、一度見たらオークション行きである。

さて、この映画が上映していた日本の映画館で、ラストに拍手が起こった。
先行オールナイト上映ではない。普通のロードショーでだ。しかしこの映画を見たひとは、不思議には思わないだろう。この映画のラストは、思わず拍手したくなるような驚きのラストなのだ。何度でも観れる、観たい驚きのラストなのだ。
なぜ何度でも観たいのか? それは感情を伴ったラストだからだ。感情を描いて、その感情の動きが、驚きであり、感動でもあるのだ。






監督は、ピーターウィアー。
「マッドマックス」のジョージ・ミラーなどと共にオーストラリアムーブメントのひとりとして、ハリウッドに招かれた監督。
「刑事ジョンブック・目撃者」「ピクニックアットハンギングロック」「ライトウェーブ」「モスキートコースト」
偉大なる自然の前に、無力となる人間を描き続けた監督が、恐らくはじめて自分のこだわりから、離れて、職人として監督したであろう、この作品。
それでも相変わらず、自然の中にいる人間の撮り方は見事に絵になっている。



主演は、ロビン・ウィリアムズ。
「ガープの世界」以来のシリアス演技を披露した、この映画。
まず彼をキャスティングしたひとのセンスに感心する。
彼の演技を超えた、人間的な温かさを見つけ出したその眼力を敬服する。
この映画の成功の一因は、ロビンウィリアムズの人間的な魅力であることは間違いないだろう。
どんなに演技がうまくても、この人間的な温かさというのは、出せない・・というよりか、それはもう天賦のもので、演技で増幅させることはできても、元々、持ちえないひとは、どうあがいても無理なのだ。
デニーロとか、ハリソンフォードがどれだけ演技を磨いても、出せないものなのだ・・。
それは演技がうまいとか、ヘタとかいう領域ではないのだ。

彼の演じる教師、キーティングの最初の授業で、生徒たちに、詩の感情をグラフで表すという理論を破り捨てろという。
ここで、もうこの映画のシナリオは、勝ったのである。
このシーンだけで、この映画のすべてが表現されてしまった。
感情は、グラフや記号や数字で、表わすもんじゃない!!
こういうシーンを見つけ出すのがシナリオライターのお仕事。








さて、この映画を観たひとのなかには、この青年の顔を見ただけで涙腺が緩んでしまうひとがいると思う。
彼がどういう運命の役を演じたかは、書かないが、
この映画は、泣ける。

でもいま、世の中に、特に日本には、泣ける映画が、氾濫して、溢れて、
異臭をはなち、下水に流れ込んでいる。

そんな携帯小説泣ける映画と、
この映画の違いはなにか・・。

本当の感情か、
記号の感情か・・。

それだけ。

何年か、いや何か月かすれば、そんな映画あったのかどうかも忘れられる映画。
自分の恋人を「マイダーリン」と呼んでいる松任谷由美の歌のようなもの。
それは見事に記号の感情・・。

でもね、そういう小説を書いているひと、それを映画にしているひとに、
少し大きな声で言わせてもらうよ。


いいかげん、人間を、
記号で泣かせようとするのはやめろ!!
そういうのは、うざい!! 
本当にうざいんだよ!!
人間の感情を愚弄するのも
たいがいにしろ!!






誰もが持つような、ほんの個人的な夢とか、希望とか、そういうものが、
それを思っていた、
その時期のかすかな不安を、
ほんとうに丁寧にすくい上げ、心の言葉で、描く・・。

やがては
それが驚きのラストに
泣けるラスト

何度でも見たくなるようなラストになる・・。