今さらですが、北京オリンピックの話題です・・・
開会式をTVで観た直後、行きつけの中国整体へ行ったところ、
施術をしながら先生が
「あんな開会式が出来る国はどこにもないね、中国だけね」
と自国を自賛していたが、私はそれには素直に同意してしまった。
確かにあれだけの人海戦術を使った演出は他国には不可能だろうし、
(拳法が出来る人間があれだけの数いる、なんて国は他にないしね。)
開会式を、巨大化したSHOWという定義として捉えた場合、
ひとつの頂点を極めた作品であったことは確かだと思う。
このあとのロンドンはあれを越えようと思えば大変だ!
もうコンセプト自体を違うところに持っていくしかない。
2016年に日本が開催国になるとしたら、日本はもっと大変だ!
なんてったって日本の文化といわれるもののほとんどは大陸伝来なのだから、
どうしても諸外国から見るとそれは中国のと同じに見えてしまう。
しかも、日本独自のオリジナリティーというものは、
あいまいさ、うすぼんやりとした空気感、漂い遷ろうもの、
そんな色付けにあるのだから、他民族に分かりにくいこと甚だしい。
誰が演出担当になるにせよ、胃が痛くなるぞ~
興味津々、楽しみである。
と、まあ、話がそれたが、やらせの問題多々を差し引いたとしても
高い評価に値すると思う北京オリンピック開会式。
もちろん、チャン・イーモウ監督にとっても最高傑作だったと思う。
映画より大変だった、と、本人が言っているが、
あれだけの規模で自分の美意識を完遂するには想像を絶する労力が必要だったろう。
その人間離れした意志の力、監督力には感服。
心から敬意を称し拍手。
実は、私はこの監督の映画作品がそんなに好きではない。
作品のクオリティーは認めているが、感心するけど感動しない・・・そんな監督。
「紅いコーリャン」は確かに良かったし世間が衝撃を受けたのも分かる。
大好きなジェット・リーが出ている「HERO」はやはり美しいと思ったし、名作だと思う。
だが、心の底から大好きと言えない、何かがそこにずっとあった。
その原因が北京オリンピック開会式で分かったのだ。
と、いうか、あのやらせ事件によって。
チャン・イーモウ監督は口パクも、少数民族の衣装の件も、自分が演出上の効果から指示をしたことだ、と言っていた。
嘘をつくとか、そんなことはShowなのだからどうでも良い。
『美意識の違い』・・・私が彼の作品を心から好きになれないのはそこなのだ。
私は美しい少女が口パクで唄っているところを見るより、
ぶっちゃな少女がリアルに唄っている姿を観るほうが感動したと思う。
あれだけ大規模なことを成し遂げる力があるなら、
少数民族のパレードについても、全労力を投入して絶対に本物を探してくる。
その結果見た目がバラバラになろうが、行進が少し崩れようが、
絶対に、そのほうが感動的だと思う。
香合師は、香水を作るときほんの少しだけ、悪臭に分類される香りを混ぜるそうな。
毒をもたない名香は存在しない。
自然界もその通りだと思う。
光には影、老いや死、残酷さを併せ持ってかつ世界は美しい。
美は自分がコントロールできる範疇にある、
そう捉えているところにチャン・イーモウの弱さがある気がする。
彼の映画もそうだった。
細部まで、熱意を持って良くコントロールされているが、
そこにエネルギーのほとばしりが感じられない。
どこか予想の範囲内なのだ。
あの『紅いコーリャン』の名シーン・・・
紅い布がドサドサ落ちてくるあのシーンも、
何故かそれほど心躍らなかった。
多分、びっくりしなかったのだ。
そしてそれは、映画というものに対する捉え方の違いでもあると思う。
映画はもちろん、舞台なんかに比べると、監督がコントロールできる部分が多いジャンルだと思う。
ただ私は、全ての映像にはドキュメンタリーの要素を抜きにしては存在しないとも思っている。
役者が偶然かもし出す演技、天候、クルーの作り出す雰囲気、
もっと言えば関わる人々が背負ってきた人生、それぞれの時間が今の一瞬へと繋がっている奇跡・・・
それを思うと、ある意味自分の能力以外、神様とでもいうべき存在に委ねる部分がなんと多いことか。
人事を尽くして天命を待つ・・・
ではないけれど、映画は精緻な作り物ではなく、
偶然が織り成す生き物だという捉え方をしている監督の方がやっぱり私は好きだ。
例えばフェリーニや、そして多分宮崎駿(ポニョ以降ここに仲間入りした)など。
彼らはたまにとんでもなくトホホな作品も創り上げる。
でも、神が味方したとき、想像を絶する名作も生まれる。
それは生命の神秘を目の当たりにしたような驚きと感動を与えてくれる。
監督というちっぽけな一人の人間の頭の中で予測した反応なんかではなく・・・
北京オリンピック開会式・・・
チャン・イーモウの最高傑作を堪能するとともに、
長年の疑問をすっきりさせてくれた機会であった。