僕は、ホラーが嫌いだった。
「エクソシスト」も「サスペリア」も「オーメン」も封切りのときは観ていない。
理由は、怖いから。怖いの嫌いだから・・。
ただこの映画を観て認識が、コロッと変わった
「ホラーっておもしろいや・・」
この映画のヒロイン、キャリー(叫ぶっていう名前も凄いな。別の意味があんのかな)を演じた、シシー・スペイセク。とにかく彼女と母親役のパイパーローリーの演技が、この映画に、息吹を与えた。
ともすれば必要以上に、大げさになってしまうデパルマの映像(まあ、それが好きなんだけど)は、どちらかといえば人間の体温というか、感情を薄めてしまう。
この映画でも、演技が並み以下の共演者(新人のトラボルタとかナンシーアレンとか)はどこか漫画チックで、ペラペラだ。
それに比べてシシースペイセクと母親のパイパーローリーは、見事に肉体を持った人間であった。
とにかくこのふたりの演技のおかげで、この映画に感情が生まれた。
もちろん悲しみの感情だ・・
話題になった最初のシャワーシーンから、もうすでに、シシーの演技は神がかっている。
シャワーを浴びている最中に、生理がはじまったキャリー。しかし生理がなにか知らなかったキャリーはパニックになってまわりの女の子に助けを求める。
このときのシシーの演技を、一体、誰ができるだろう。
当時、彼女は、新人だったのだ。恐ろしい。
そんなキャリーにいじめっ子が、なにをやるか・・。
笑いながら生理用品を、ぶつけるのだ・・。
凄いシーンだ。今見ても、慄然とする・・。
これがいじめ。アメリカのいじめ。でも日本でもありそうだ。
生理がはじまったキャリーを母親は、不浄の娘と決めつけ、祈りの部屋に引きづっていく。
もうパイパーローリー、演じるところの狂気の母親、「ワイルドアットハート」に繋がるその殺気に、観客は釘付けである。
ところがである。
この後に、物語を引っ張るトラボルタやナンシーアレンの演技が、まあーーーー見事なぐらい、薄っぺら。
元々、何も考えてないバカないじめっ子なんだけど、もう少しなんとかならなかったのか・・。
薄っぺらで、バカを演じているのならいいのだが、もう完全に演技自体が、それなので、最低である。
だからこそ、ラストが生きてくる・・というのが、デパルマの計算なら凄いが・・まあ、そこまで計算できるほど、デパルマという監督は緻密ではない・・ので偶然だろう。
ラストは、あまりにも有名であり、
あのシーンの写真が、堂々と、ジャケに使われているわけだから、書いてもいいと思うのだが、
ここでは具体的には書かないでおこう。
この映画は、
キャリーと母親による悲しみの物語です。
とにかく、僕は、このふたりが悲しくて仕方がない。
たとえ偏執していようとも、
母親は母親である。
キャリーも、最後に頼ったのは、
母親であった。
しかしすでに母親は、
人間として生きていく正気が残っていなかった・・。
残される子供がかわいそう。
自殺する母親の身勝手で、バカ野郎なあの理屈である。
本当に、このコメントをニュースで聴くたびに、
頭にきて、テレビを蹴り壊したくなる。
ホラーは、堂々と、死と悲しみが、扱えます。
だから僕は、ホラーに興味を持ちました。
人に必ず訪れるのに、避けられないのに、なぜかそれを迎えると
人が怯え、悲しむもの、それが、死。
僕は、死と悲しみを見つめない限り
人間の感情は、嘘でしかないと思っています。
ニューヨークのOLの仕事とセックスライフのなかにそれを見つける人は
そういうジャンルを見ればいいと思う。
ホラーの本質は、死と悲しみです。
これがないホラーのことを
「スプラッタ」といいます。
「キャリー」はまぎれもなく本物のホラーです。
血がどれだけ出ても、「スプラッタ」ではありません。
これを読んでいる、
誰でもいいです。
ひとりでも、いいです。
ホラーを勘違いしないでほしい。
スティーヴキングを読み違えないでほしい。
キングの根底にあるのも、死と悲しみです。痛切なまでの死と悲しみです。
呪いビデオテープを観た人のドタバタ喜劇と一緒にしないでほしいんです。
彼の小説を読んだ人には、わかると思うけど・・・
一応、書きました。
久々のおまけの画像です。Tシャツの図柄です。誰も着ないつうの・・。これ着てどこに行けっていうのだろうか?