監督のリチャードドナー。
このひとの出発は、テレビ「ミステリーゾーン」。知る人ぞ知るSF傑作シリーズ。そのなかの一編で「600万フィートの恐怖」というのがある。
映画版では、「マッドマックス」のジョージミラーが演出したあの話、飛行機嫌いの男が、自分の乗っている飛行機の翼を、ゴブリンが破壊しているところを見てしまう・・でも他の乗客には見えない・・という考えようによっては、笑える・・でも演出の仕方によってはすげえ怖い話のTV版は、リチャードドナーが演出した。
しかし、この作品、原作脚本のリチャードマシスンに、「これを演出したやつは、へたくそだ」と言われてしまった。
そして月日が流れ、いまや、娯楽映画のプロフェッショナルとなった彼のなかでも一番、彼らしいのが、この映画だ。
製作のジョエルシルバーの部屋のごみ箱に捨ててあったのを、彼がたまたま読み、日の目を見たこの脚本は、バディムービィーの大傑作となった。
とにかくふたりの性格設定が秀逸だ。
自殺志願の分裂症、でも銃の腕はピカ一の白人刑事リッグスと、退職前でこのまま無事平穏に過ごしたい黒人刑事マータフ。とてもじゃないが、ソリが合うわけがないふたりが、ある事件を契機に友情を深める。
これはもうほとんどのバディムービーのパターンだが、この作品が他と一線を画す点は、ふたりがお互いに不足している部分を、相手から強力に補う点だ。マータフは、恐るべき敵と相対したときの人間離れした戦闘能力をリッグスから、そしてリッグスは、マータフから、失った家族という安息の場を。
この「家族」というのが、リチャードドナーの作品の根底にいつも流れているテーマなのだ。
あのホラー映画の代名詞ともなった「オーメン」
そして製作総指揮の「Xメン」にもこの「家族」というテーマが貫かれている。殺しと喪失で荒みきったリッグスの心を、リハビリしてくれるのは、暖かな家族という集合体でしかないのだ。
リチャードドナーにとって恐怖は、その家族が崩壊することである。その家族の存在が、根底から崩される恐怖を描いたのが「オーメン」であり、異端の能力というキーワードで家族を築くことに命をかけて戦うのが「Xメン」である。
この映画で、個人的に死ぬほど好きなシーンが、ある。
マータフの娘が誘拐されて、相手からの電話を待っている時
リッグスが言う。「生きては返すまい。こちらから乗り込んで奪い返すしかない。殺して殺して、殺しまくれ。狙いをはずすな」
マータフが言う「狂ってないな。殺しに自信はあるか?」
「トラストミー(信用しろ)」リッグスが言う。
かあっこぃぃぃぃぃぃぃ!!!!
最も大切な家族が浸食されたのだ。こうなったドナー作品に、歯止めはきかない。ただもう破壊と暴力のクライマックスに向って突っ走るのみだ。
表面では、派手な娯楽を装いながら、根底で、その作家性を育んでいる、したたかな職人監督たち。彼らを、侮るなかれ。娯楽として喜んで彼らの映画を楽しんでいるうちに、したたかに彼らのの思想を吹き込まれてしまうぞ。そんな監督は、世界中にいる。日本にも・・昔・・いた。いまはアニメの世界にしかいない。
