くらやみの囁きとひかりの歌

くらやみの囁きとひかりの歌

日々のこと、たまにささやかなお話をのせていきたいと思います。

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ぼくの海は、窓をすべて開け放すと、聴こえてきます。

家のすぐ前を通り過ぎる車は、寄せては返す波の音。

10分に一度は通過する電車は行っては戻る定期船に。

遠くでは飛行機が海鳴りを奏でます。


窓をすべて開け放して畳の上に寝っ転がって、好きな本を読んでいると、ゆっくりと家の外には海が広がっていきます。


それはホンモノの海とは比べるべくもないほど歪で無骨な姿ですが、それでもこれはぼくの海です。
つかみかけたら、すぐ見失う。

ここは、どこだろう。

まったく見知らぬ風景がまわりをとりかこんで、みんな僕に知らんぷりしてる。僕が居ることにすらまったく気付いてないみたいに。

ここはいままで来たこともない場所。

よく馴染んだ世界、いつもの道からはまるで外れたはじめての場所。

すべてがめあたらしく、よそよそしく映る。まるで買ったばかりの礼服みたいに。引っ越してきたばかりの部屋みたいに。

ここには僕の匂いがない。僕の痕跡はひとつも落ちていない。

もしかしたら見たこともない誰かがついさっきまでここにいて、その人に誘われるようにしてこの場所にたどりついたのかも。

何もわからない。

わかるのは、しばらくは元の場所へは戻れないということ。この場所で、一から生活をはじめて行かなきゃならないってこと。


帰れる日はいつか来るのだろうか。

でもそれを当てにせず、今はここで生きていくことに全てを注ぎ込まないと。

生きていれば、また辿り着ける日もくるだろうから。
シルヴァン・ショメ監督の、「イリュージョニスト」を観てきました。

最高でした。

ちょっとおかしくて、ほろ苦くて、せつなくて、でもそれらをつつみこむ暖かい空気。それが全編を通じてとぎれることなく流れていました。

主人公のたちの言語が違うこともあって、(フランス語と、スコットランド語?)セリフはほとんどでてきません。でも、全部伝わってくるんです。動きやしぐさだけで。

なので主人公(タチシェフ)はかなりの年ですが、教訓めいたことは何も言いません。彼が少女(アリス)に見せるのはささやかな、でも少女にとっては魔法のような手品。そして見えない所で、お金を稼ぐために慣れない仕事を少しずつすることになります。

この二人を中心にゆっくりと物語りは進んでいくのですが、その時間がものすごく幸福なんです。サブのキャラもそれぞれすごく立っていて、彼らの中には時代の変わり目の中で、先行きの見えない未来に絶望して自殺しようとしたり、芸でいきていくのをあきらめて酒浸りになったりする人もいて、それには主人公も決して御多分にもれず、ラストで彼も生き方を変えることになります。


それでも全くえぐさやつらさを感じさせず、あたたかな気持ちで観ることができたのは、音楽のすばらしさゆえかもしれません。というか、バグパイプが街中で響き出したときにすでに心をもってかれました。(あそこらへんの伝統音楽が好きなんです、はい)おちついた音楽の後ろで溶け込んでいる環境音の絶妙さ。前作の「ベルヴィル・ランデブー」のときも思いましたが、この監督の音楽のセンスすごいですね。


ものすごく作り込まれているので、いろんなキャラの視点で楽しむことができ、何度でも観れる作品です。あえて言うなら、時代の変わり目に生きた普通の人たち、でしょうか。

まるで古典のような完成度でした。


最後に。「魔法使いなんていない」、でも人は、小さな奇跡を起こすことができます。誰かと関わりあって生きていく中で、その中ですこしづつでも小さな努力を積み重ねることで。

それが、「イリュージョニスト」なんですね。

その意味で、アリスは「だまされる才能」を持った、彼の最後の観客だったんだと思います。