理学療法士 ささやんのブログ

~人間を本質的に捉え、治療できるセラピストになるために~


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「視野を広げなさい」という言葉をよく聞く。

 

僕自身もよく言うし、これまで自分に言い聞かせてきたことでもあるのだけど。

 

小学生から始めたバスケットで、コーチから「視野を広げろ!」と言われ続けてきた。これはコート全体を見回してバランスを考えるとか、全体を把握した状態でプレーを選択するとか、色々な意味が含まれていたのだと思う。

あとコーチがよく言ったのは「保護者が体育館に入ってきたらすぐに椅子を出せ!」であった。

 

 

「視野を広げる」という言葉はとても抽象的な言葉である。それは「視野」という言葉に多くの意味が含まれているから。

 

 

 

状況を把握することも「視野」と表現される。

 

固執された考え方も「視野」と表現される。

 

物事の捉え方も「視野」と表現される。

 

保護者が入ってきたことに気付けるか?も「視野」と表現される。

 

 

 

 

多くの「視野」が存在する。

このような抽象的な言葉を扱うときは慎重になる必要がある。

言葉に対して問いを持たずに囚われると迷子になりやすい。

 

 

 

 

 

 

臨床でも「視野を広げなさい」という言葉はよく使われるものだと思う。

 

 

 

患者さんがなかなか良くならない時に先輩から「〇〇という問題点もあるんじゃない?もう少し視野を広げると良いよ」と言われたりする。

 

 

 

そして「視野を広げなければ!」と思い込む。新たな分野を勉強する。幅広くヒトについて知ろうとする。

 

 

 

 

 

これについて、決して悪いことだと僕は思いません。

 

ヒトを相手にする以上、ヒトについて幅広く勉強するのは悪いことではありません。

 

 

 

 

だけど、こんな可能性もあるのではないでしょうか?

 

 

見立ては合ってたけれど、詰めが甘かった・・・

 

 

 

つまり、視点は間違っていないのだけど深いところまで追求できていなかっただけである。ということ。

 

 

 

 

こういう場合、「良くならない」と言って視野を広げて視点を変えても、改善からは遠のいてしまうこともある。

 

 

 

 

「視野を広げる」という選択肢は、「視野を狭く、そのことだけを深く考え続けた後に生じるもの」である。

 

 

 

 

井の中の蛙は、井の中の問題をすべて解決することができるから、外の世界を知る必要性を感じ始めるのだ。

 

 

 

井の中の状態すら知らず、「外に出た方が良いよ」と言われるがまま外に出ても何も知ることはできない。

 

 

 

 

 

「視野を広げる」という選択は、一つの物事に対して深く深く考えた結果、自分の中から生じる選択なのであるよ。

 

 

 

周囲に「視野を広げろ」と言われて「はい〜そうですかぁ」ではきっと迷子になってしまう。

 

 

 

 

結局は主体性。

 

 

自分でどれだけ考えられるか。

自分でどれだけ深く問いを持てるか。

 

そういう人間になっていく。

そういう自分を育てていく。

 

 

そこにしか成長の道はないのではないか。

 

そんな風にも思ったりします。

 

 

 

 

 

 

 

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 

・5/11

 Presents Study Group 勉強会

「痛みの捉え方」

 

 

主体性を育てる勉強会です。

 

ここに答えはありません。

テーマに関する情報はありますが、その情報をどう扱うかを学ぶ場にできればと考えています。

 

 

キャッチーな甘い言葉を使わず、厳しいことを書いているからか、あまり参加者が集まっていません!w

 

だけど少人数の方が来てくれた方々と向き合って進行できるので問題なし!

 

 

即時的に使えるテクニックよりも、本当に自分自身と向き合って今後成長していきたいと考えているセラピストに参加していただきたいと思います◎

(和やかな雰囲気でワイワイ進めていきますので、ご協力ください^^)

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グルグルグルグルグル

 

思考を巡らせる。

 

 

そこに価値はない。

 

 

 

 

価値は結果にある。

 

 

 

「このような企画を考案しました!」

 

そこで価値は生じない。

 

 

その企画を実際に行った時に価値が生じる。

 

 

 

価値とはあくまでも「結果」であり、個人の思考ではない。

 

 

 

 

 

 

 

「〇〇理論で考察して、アプローチしました」

 

「で、良くなったの?」

 

 

 

というケースだと、考察に価値はなくて、やっぱりアプローチした結果にしか価値はない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最近は研究に取り組もうと思っている。

 

これからの自身の臨床テーマとして「これまで自分が感じてきたデータを、少しでも人に伝わるカタチで残す」と課してみた。

 

 

 

 

そのような意識が芽生えることで、少しずつ自分の生きる世界が規定されていくような感覚を覚える。

 

 

患者さんの身体から感じれる情報が少なくなっていることに気付いた。

 

 

無意識に。人と共有出来る記号に自分のアンテナが規定されている状況だった。

 

 

 

世界が退屈に感じていた。

 

 

 

 

 

 

 

人の身体が発している情報も「結果的」なものだ。

そこに価値があり、その情報を私がどれだけキャッチできるのかが大切である。

 

 

 

しかし

 

 

「なぜこうなっている?」

 

「症状とどう関係している?」

 

「どんな繋がり?どのような理論?」

 

 

 

こんな言葉が頭をグルグル・・・

 

 

それじゃあ何も感じれない。キャッチできないよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原著論文を読んでいても思うのだけど、大切なのは「考察」よりも「結果」である。

 

その結果を受け入れること。事実を受け入れること。

 

考察なんていうのはあくまでもそれっぽい説明を人が勝手に付け足したものに過ぎないのだから、それは事実とは関係ない。結果が事実だ。

 

 

 

 

 

人の身体もそう。

 

まずはそれっぽい説明はいいから、事実を捉えられるアンテナを磨くこと。

 

既存の理論に当てはめようとしないこと。

 

 

 

「全体」を感じる。「全体」の情報を受け取ること。

 

 

 

 

既存の理論というのは「部分」である。

 

科学とは「部分」を取り扱っているに過ぎない。

 

 

 

そして「部分」を足しても「全体」にはならない。

 

 

※ここで「全体」と書いているけれど、全体ってなんだろうか?どこまでが全体?それもまた自分のアンテナが限界を決めるのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

科学的に物事を解釈できるということは、科学を基盤に発展してきたこの世界では必要とされることなのかもしれない。

 

 

 

しかし、その科学もまた「思考」であり「結果」ではない。

 

 

 

価値は結果にしかない。

 

そう考えた時、やはり磨かなければいけないのは自分の感性なのだろう。

 

 

 

それを留めておきながらも、見解をカタチに残すという取り組みを行っていきたい。

 

 

 

 

 

俯瞰することの難しさを思い知らされた今日この頃

 

 

 

 

 

 

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横浜で平日勉強会やります。

 

セミナーではなく、参加者主体の勉強会

皆でいろいろ感じたり、考えたりする場にできればと思います!

 

Presents Study Group

 

 

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この仕事をしていると様々なタイプの患者さんと出会う。

 

その中でもあるあるなのが“テレビで言ってる情報をすべて自分に当てはめる患者さん”

 

 

このような患者さんは運動習慣などないにも関わらず、健康情報には敏感。「これで私も治るかも」と期待に胸を膨らませ、テレビを見ながらやってみる。

 

しかし良くならない(そもそもやり方を間違っている場合も多い)し長続きすらしない。

これは情報が悪いとか、情報に敏感であることが良くないと言っているわけではない。

 

では何が良くないのか?

それは“その人の考え方であり、物事に対する捉え方であり、在り方そのもの”であると僕は思う。

 

日頃の運動習慣がない人は、運動しないことが当たり前である。

そのため運動すること自体が努力を要するものであり、長続きしないケースが多いように思う。

 

それに対して日頃から運動習慣のある人は、運動することが当たり前である。当たり前に運動しているので継続できる。歯磨きと一緒だ。

 

 

大切なのは、その人にあった運動を適切に継続することである。

自分に合っていない情報を鵜呑みにして、それを自分なりにやってみて、しかも継続しない(継続したところで、自分なりのやり方で継続していると逆に痛めることも多い)

 

 

 

そしてこのリハあるあるは、決して患者さんにだけ当てはまるものではない。セラピストも同じ状況にあるのではないだろうか。

 

 

大切なことは“明日から結果の出せるテクニック”を学ぶことなのだろうか?

 

そのテクニックは自分の臨床に必要なものなのだろうか?

 

明日から本当にできるのか?そんな簡単なものなのだろうか?

 

 

 

「楽して治したい」と思う患者さんは多いけど、セラピストも同じように考える人が多いのではないだろうか。

 

そりゃ簡単に治れば良いでしょうけど、果たしてそんなおいしいテクニックが存在するのだろうか。

 

 

それよりも大切なことは“在り方”である。

 

 

 

当たり前に患者さんの身体で起きている現象について考えを深めること。

 

当たり前に患者さんの話を聞き、表情を見て察すること。

 

当たり前に自身の身体に対しても気を配り、ベストな状態で臨床に望むように努めること。

 

 

 

こういう「当たり前」の在り方を作っていくことの方が、長い目で見た際に目先のテクニックよりも遥かに大切なことだ。

 

 

 

1GBの容量しかないHDDにはアプリも全然入らないけど

 

50GBの容量があれば、多くのアプリが入る。

 

 

 

結局はテクニックよりも人間としての器量なのだよね。

 

当たり前のことを言っているのだけど、SNSでくだらないセミナー広告を見るたびに、この当たり前も分からなくなってしまうほどに迷いがある人が多いのかなと思うのです。

 

 

 

 

 

テレビの情報を鵜呑みにして、それを自己流で自分に当てはめてやる患者さんも

 

セミナーの情報を鵜呑みにして、下手な技術で適応でもない患者さんに施すセラピストも

 

構図は同じようなものに思う。

 

 

 

 

 

一側面だけを見て全てを分かったように思いこむこと。

 

形の違うピースをはめ込むように、自分本位な選択を押し付けること。

 

 

それらは多くの争いの原因にもなるし、そして成長の妨げにもなる。

 

 

 

 

在り方を変えていく。

 

それは終わりがないものでもあり、手応えなど感じれないものだろう。

 

 

薄っぺらい褒め言葉や、高揚感を感じさせる演出は疑うべきもの。

 

 

 

それよりも、相手の表情をよく見ること。

そこに言葉がなくても感じられる感性を養いたいものです。

 

 

Presents Study Group

 

 

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