【未視聴者 注意】The LAST MISSION 感想【H×H映画第2弾】 | ばんぶーのブログ

【未視聴者 注意】The LAST MISSION 感想【H×H映画第2弾】

一昨日公開のHUNTER×HUNTER映画の第2弾、『The LAST MISSION』早速見て参りました~。

一応初めに言っておくと、今作もオリジナルストーリーのパラレルです。

(強いて言うならNo.186とNo.187の間のパラレルかな)


第一弾(緋色の幻影(ファントムルージュ))の時は、

やれ冨樫さんが制作に関わっているんじゃないか(面白いんじゃないか)

やれクルタ族惨殺の真相が明らかになるんじゃないか

やれヒソカの前の旅団メンバーが描かれることで、(作中の進行状況的に)回収されていない伏線が拾われるんじゃないか

と、色々な期待を寄せていたので見に行って本当に落胆してしまったのですが今回は、

冨樫さんは関わってない

何やら「怨」なる、念能力の対極の力を創出している

ネテロはろくに抵抗も出来ずに捕まるらしい

と、見る前からアカン空気を醸し出してくれていたので、安心して見に行けた。


見に行った率直な感想としては第1弾よりは大分マシ、と言ったところ。

相当ハードルを下げて見に行ったのも大きな要因ですが、(脚本の岸間さん曰く)制作サイドからゴンとキルアをベッタリな話にはしない要望があったことも幸いしてか、脊髄反射的に嫌悪感を抱くようなシーンが激減した事が大きい。


ただ、全体的に設定がふわっふわっしていたかな…(笑)

まぁ、追々その話にも触れていくつもりですが、まだご覧になって居ない方には…正直そこまで見に行くのはお勧めはできない。

“ハンタの同人が映画化した”くらいの感じで「キャラを見に行きたい」という気持ちならいいかもしれない。

参考までにキャラの活躍具合。


ゴン…概ねの念を習得済 一番頑張る

キルア…概ねの念を習得済 二番目に頑張る

クラピカ…概ねの念を習得済 三番目くらいに頑張る

レオリオ…纏を習得済 お得意のナイフや励ましで頑張る お笑い要員

ヒソカ…遠くから上記4キャラを見守るキャラ 相変わらずそのお力は披露せず(脚本の1稿、2稿目では活躍シーンがあったようだがカットされたらしい)

ネテロ…基本はりつけ状態だが、アニメではまだ見せていない百式観音を一足お先にお披露目(個人的に百式観音の頭上で祈りを捧げる小さな観音様の造形に不満)

ズシ…いつまにやら天空闘技場のフロアマスターに ボコられ役+α

ウイング…描写外で戦闘有

ビスケ…ゴリラ化せずに、若干戦闘あり

ゴレイヌ…えげつねぇ男の色気をガウンで醸し出す チラ出

パリストン…ご尊顔のみ2度チラ出 声も出さず

ビーンズ…ナメック星人バリの顔色の悪さに驚愕


ジェド…大ボス 白髪のお兄さん 終始登場  声は中村獅童さん

修羅…黒髪ロン毛のお兄さん 概ね登場 声は天野ひろゆきさん 

餓鬼…ゴリラお兄さん そこそこ活躍はするものの声に芸能人が起用されていないため各所での紹介が薄い

煉獄…小柄な少女  出オチ 声はCamCamの専属モデル・山本美月さん


※私の後方に居た、小説もしっかり読んできたと息巻くお姉さん曰く修羅・餓鬼・煉獄の3キャラには深い設定があるのらしいのだが映画内では全く活用できておらず、そこそこプンプン丸だった。


それではそろそろまだご覧になっていない方には例の如く「アレ」になるのでこれ以降はスクロールにご注意をば。


◇もくじ

・ストーリー

・怨とは

・敵の怨とその“せいやく”

・題目の意味

・感想


◆ストーリー

半世紀以上前の事、ネテロにはジェドという名のライバルが居た。

二人は今のゴンやキルア達の様に切磋琢磨し合っていた。

そんなある日のこと、ひょんなことからジェドは自らの意思でハンター協会のを担うこと、そしてネテロにはを担うよう告げ、二人は袂を分かつこととなった。

ネテロは「清凜隊」を率いて八面六臂の活躍をする一方、ジェドは暗殺や破壊工作といった裏ミッションを担う「影」を率いた。


しかし時代は移り変わり、秘密を知り過ぎた「影」達はむしろ邪魔になったのか、彼らは危険視されるようになったのだった。

それにも関わらず「影」達の活動は一層過激化し、ついにはネテロに「ジェドをハントせよ」との指令が下る。


(この時点でジェドは右の発を使っていなかったかも?忘れた)


本来、ハンターはハンターを標的にできない。できるとすれば例外規定にあたる場合である。

 ※ハンター十ヶ条

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 【其乃四】

 ハンターたる者 同胞のハンターを標的にしてはいけない

 但し甚だ悪質な犯罪行為に及んだ者に於いてはその限りではない


ジェドは自分を裏切ったハンター協会やネテロに強い恨み膨らませ「怨」に目覚め(?)復讐を誓うも、ネテロの百式観音の前に敗れ去った。これが数十年前のことである。


多くの「影」達はその戦乱で命を落としたが、わずかに生き残った者達も、“秘密を隠し通したい大人達”の罠にかかり収容所にてその人生の幕を閉じた。

どうにかしてそれを逃れた修羅餓鬼煉獄兄妹だったが、

言われなき迫害や生涯身を隠さねばならないことに復讐心を募らせた。

そして、そんな彼らのハンターへの復讐心(怨念)が、ジェドをこの世に蘇らせることとなる。

蘇ったジェドの目的は、隠された「影」達の歴史を刻んだブラックレコードを世に公表すること。

そして、すべてのハンターを抹殺すること。


―ハンター協会の闇を知ったゴン達は何を想い、どう彼らと向き合うのか。


…みたいな話だった気がする。


◆怨とは

今作品を語るにはまずはこれになるのでしょう。

「怨」って何よって話。


怨とは―念能力の対極にあり、怒りや憎悪を源とする力。

念よりも強大な力を得ることができるが、とても厳しい“制約と誓約”を結ばなければならず、命を落とす者が後を絶たなかった。そのためはるか昔に封印された禁断の能力。


◎怨の特徴

・怨を習得すると念が使えなくなる 

・怨で気配を消すと、円でも感知できない

・怨に目覚めると“せいやく”を結ばないと死ぬ

・念と違い六相図で示された様な得手不得手がなく、全系統の能力が自系統の様に使用できる


◇念の対極

当初、念能力がオーラ(生命エネルギー)を自在に操る力なのだから、その対極の力である怨能力は死者(の残した?)エネルギーを自在に操る力のようなものだろうかと思っていたのだが、怒りや憎悪を源とする力とのこと。

しかし、そもそも念の源は生命エネルギー(オーラ)で、

歓喜、狂気、悲哀、恐怖、憎悪、油断、忠義、激昂、疑心、愉悦、羞恥、覚悟

ありとあらゆる心の動きが作用して念を加減するものなので、の言うところの怒りや憎悪を源とするの意味がよくわからない。


念の対極に位置するというよりも、念の中でも強力だがひどく不安定で歪な極地、という表現の方が近い気がする―が、どうしても制作サイドは念とは対極に置きたいらしい。


そしてそのスタンスに乗っかるなら、念は愛やら慈しみを源とするのかと思ったら、本当に百式観音は慈愛の心を源とするらしい。

百歩譲って、百式観音は感謝の正拳突きの精神が根本にあろうからわからなくもないのだが、クラピカの蜘蛛特化の念や、犯罪に走る念能力者の念の源ってなんなのでしょうかね。


◇その他念の特徴
・円で察知できない

 BLEACHでいうところの、崩玉を取り込んだ愛染のように別次元の存在になったから感知できないとかそうゆう類なんですかね。

 その理論(?)で霊圧、もといオーラの様子が察知できないのはいいにしても、ネテロは自身に近づく怨能力者の存在に気付いていた。

 特段円をしている様子もなかったんですが、どうやって気づいたんでしょ。

 気配や音なんですかね。

 オーラが察知できなかったとしても何かよくわからん奴が自分に近づいていることくらいは察知できると思うんですがどうなんでっしゃろ。


・六相図の概念がない

 全てが自系統になる、というべきなのか

 クラピカの「絶対時間(エンペラータイム)」は簡単に言えば

 

 どの系統の能力も100%引き出せるものだが、正確に言えば

 

 “覚えた能力であれば”いかなる系統のものでも100%の精度・威力で使用できるというもの


 怨はどっちなんでしょうね。そのあたりの言及はありませんでしたが、怨をとにかく持ち上げる流れがあったので全系統100%使えるっていうノリなんでしょうか。


 しかし第1弾と同じで、強化系の強力な攻撃を防ぐ力があるかと思えば、レオリオの纏は突き破れない攻撃力。なんでや。


・怨を覚えると念を使えない

 ジェドの血が体内に入ると怨に目覚めるんですが、何故か念が使えなくなる。

 しかし、いざ怨を習得すると使っているのは結局のところ念の時と同じ技(発)なのだ。

 何がどう違うのか、全くわからない。とりあえずは威力は上がってる様だった。


・せいやく

 “せいやく”、つまりは「制約と誓約」なのだが、どうも意味が違うように思われた。

 原作では制約(ル―ル)を誓約する(守ると誓う)ことを指すが、
 映画では自分との約束というよりも、「ジェドに忠誠を誓う」というものに思われた。

 映画内で誰かさんが怨に手を出すのだが、怨は“せいやく”しないと死ぬため、誰かさんは“せいやく”をすることになるのだが、

 

 せいやくっ!!!

 という姿には思わず笑ってしまった。

◆敵の怨とその“せいやく”

映画内でその内容を言っている者も居たが、中には言っていない者も居たため、パンフレットの情報を元に一部補完。


◇ジェド


・血の忠誠

 血を与えることで、相手を怨能力に目覚めさせる

 通常注射器のようなもので血を抽入するが、出血を浴びせることでも有効


・百鬼呪怨・羅刹(ひゃっきじゅおん・らせつ)

 ネテロの百式観音の影響をモロに受けたかのような能力。

 能面のような顔をした具現物(?)。

 フォルムとしては、ドラクエ6のラスボス・デスタムーア(第三形態)がマントを羽織っているような感じ。

 手が伸びたり、口からレーザー飛ばしたり、手からレーザーを出したりする。


・“せいやく”

 制約血の忠誠から、憎きネテロを除外すること(ネテロに効かない)

 誓約復讐心が薄れると命も肉体も失い、血の忠誠によって従えた者たちが解放されてしまう


◇修羅

・機械に巣食う棘(マシンイーター)

 機械を意のままに操ることが出来る


・物真似鳥(シェイプシフター)

 相対する敵を完全にコピーし具現化することができる能力

 相手を構築する際に、その者の情報(記憶)を知ることができる

 またコピーした人形は怨に目覚めた状態のため(全系統100%)、相対する者よりも強い人形が作れる。

 平たく言えば、映画第1弾のオモカゲのソウルドールの上位互換。

  

・“せいやく”

 制約不明 (ジェドに終生の忠誠を誓う?)

 誓約貞操を守らければ死ぬ(パンフのみの情報)



◇餓鬼

・踊る気儘な火人形(ダンシングドール)

 人魂のような複数の念弾を自由自在に操る

  

・“せいやく”

 制約不明 (ジェドに終生の忠誠を誓う?)

 誓約ハンターに負けを自認すると自爆する


◇煉獄

・漆黒の処刑台(オンバサラ)

 念能力を封じ込めた上で、相手を磔(はりつけ)にする能力

 拘束された対象に触れようとした者を自動で攻撃することもできる

 対象から50歩以内に近づいた状態で自ら命を絶つことで発動

  

・“せいやく”

 制約ネテロのみに使用する

 誓約不明 



ただ、ここでも疑問が。

修羅の「貞操を守らければ死ぬ」という“せいやく”は、煉獄のものなのではなかろうか。(作中では一切の言及がなく、パンフレットのみの情報)


漆黒の処刑台の不可侵性は、純潔を守っているが故の神聖さ(?)とも精神的にリンクできるように思われる。

男の修羅が「ヤったら死ぬ!これ“せいやく”だかんね!」というのは、まるで極度の女好きで、女性とその様な関係を持てないことへの鬱憤や悲しみを増幅させ、怨の力を強めているかのようなおかしさを連想してしまうのだが、どうなんですかね。


◆題目の意味

「The LAST MISSION」とあるが、どのような意味だったのかイマイチわかりかねてしまった。


最後に、ネテロがジェドに対してもう恨んではいないのではないか、他の者達の怨念を果たそうとしているだけではないのか、みたいなことを言っていたと思うのだが、今回の事件はジェドの最後の使命ということだったのだろうか。


元々ジェドは「影」として、表立って出来ない任務(裏ミッション)として、各種の破壊活動や暗殺を行っていた。

個人の考えとしてはそれが正しい解決方法ではないと思っていても、任務という名の大義名分の下こなしていたのだろう。


今回の事件は、天空闘技場で行われたバトルオリンピアを襲撃し、

ネテロという生ける伝説を捕えることで自分達の武力を示し、

観客(明確に描かれていなかったが、政府絡みのお偉方も居たのだろう)を人質にとった上で「影」達の“歴史”が示されたブラックレコードの公表を迫る、というものだった。


度重なる迫害を受け、負の遺産を背負わせてしまった自分達の末裔(子や孫の世代?)の怨念に喚び起されたジェドは―正しいやり方ではないとしても―この子らの復讐を果たすこと、それが自分達の犯した任務(罪)に対する使命(罰)と感じる。


ジェドという、心優しくもただひたすらにハンター協会に忠義を尽くした男の最後の“使命”

―的なものが最初のノリだったが、色々な演出上の都合を足したらああなった、という感じだろうか。


とりあえず、私はそう採ってみた。

ただ、もしそうゆうノリの意味だったなら煉獄の能力は、「死」を条件にしてはいけなかったのではなかろうか。

今回の事件自体、ジェドという協会の負の遺産が起こした事件で、修羅・餓鬼・煉獄はジェドに“操作”された被害者だった的な流れをネテロが作ってあげて(ジェドもそれを狙っていて)、最後に3兄妹が完全に自由な身にはなれなくても、“隠れて生きていかずに済んだ”みたいな〆にしてあげれば、かなり違ったように思われる。


◆感想

怨の設定間違えちゃったよね、というのに尽きる。

制作陣の誰も突っ込まなかったのだろうか。


“対極になってないじゃん”


―と。

対極にもなっていないのに対比の関係を作ろうとして、わけのわからない怨の設定を重ねていくものだから、終始ふわっふわっ。

怨はラノベ?とかにありがちな“ぼくのかんがえたさいつよのうりょく”みたいなノリなのだろうが、それをどう崩すかという流れも特になく基本ゴリ押しなので“H×Hの良さ”も捨て去ってしまっている。


そして、ゴンは一体何回ジャジャン拳を放ったのか。

長期戦になるならそれなりの戦法を立て、オーラを節約させるような立ち回りや行動を描きつつ、もはやジャジャン拳を1発放てるかどうかのところで最後のあの流れに持ち込んで行ったらまた違った気もするんですけどね。


また怨なんてふわふわしたものじゃなくて、例の如く特質系能力者というサンクチュアリ使えばよかったのでは?

2作連続でボスが特質系能力者ってのが微妙なら、操作系能力者でもいい。


「影」に自らの血を媒介とする操作系あるいは特質系の能力者がおり、元々は血を固めて攻撃や防御を行ったり、血を相手に抽入することで強度の拒絶反応を起こさせるといった具合に「毒」としても使っている能力者が居たとする。


そしてその発展として“血の忠誠”があり、浴びせたり、抽入したり、血液で作った武器で攻撃した際に体内に侵入させるなどした際、相手が受け入れなければ前述の通り「毒」でしかないが、相手が受け入れれれば=術者に忠誠を誓えば―攻撃できない代わりに―血は毒から一転、強力な滋養効果を持つ薬に変わり力が強まるような効果がある。


しかし、何らの理由で術者は非業の死を遂げる。

術者が死んだことで、“血の忠誠”を誓った者達は力が弱まるどころか逆に力が強まった。

術者が緊急時様に保管していた血液を元に調べた結果、“血の忠誠”は血を媒介として死者の念として遺っていたことがわかった。

「影」達はその死者の念によって強まった“血の忠誠”を「怨」と呼び、さらに強まった力に驕り、自らを念能力者を超えた存在、「怨能力者」と称し、その勢いをさらに増していった。

(死者の念によって死者の恨みの感情をモロに受けることで、徐々に歪んで行った)


結果、「影」達はネテロに討伐されることとなり、「怨」に侵され生き残った者達は治療施設に送られるも治ることなく次第に発狂し自壊していった。

修羅・餓鬼・煉獄は、怨に縁のなかった非・戦闘部隊の者達と暮らしていたため“血の忠誠”は行っておらず、影とハンター協会の戦争も自称被害者の自分達の一族の言い分のみを聞かされていた。


何故自分達が迫害されなければいけないのか。

何故自分達が身を隠し生きて行かねばならないのか。

次第にその感情を膨らませていった。


そんな折、修羅は影の歴史や「怨」について記した手記と“血液”(カートリッジ)を発見。

修羅は“血(DNA)を元にその人物を具現”する“物真似鳥(シェイプシフター)を発現し「影」で語り継がれる伝説のハンター・ジェドを復活させる。

(“血の粛清”は元々ジェドの能力ではなく術者の血を受けた二次母体に過ぎなかったのだが、術者の血と混ざりあって馴染んだジェド自身の血液でも“血の粛清”の効果が生まれた。ジェドが二次母体であること、また修羅・餓鬼・煉獄に分ける事になったジェドの血は、残されたジェドの血(カートリッジ)を元に修羅の能力で創られたいわば“フィクション”であることが鍵になる)


そこから「題目の意味」のところで触れたような流れに繋いでいけば、映画内の「怨」の様にチート性能を付与せずに“ゴン達でも打開できうる強力な敵”を演出できる様な気もする。


また、

怨に目覚めると“せいやく”しないと死ぬだとか

“せいやく”をジェドに交わしているような節だとか

怨に目覚めると念を使えない(血の制約を結ぶまでは強力な毒のため、心身が非常な不安定な状態に陥り念が上手く扱えない)だとか

怨に目覚めることで全系統100%はやりすぎにしても、力が強まることだとか

概ね解決できるのではなかろうか。


―とまぁ、私の大好きな妄想を繰り広げてみたが、上映中どうしたら良くなるのか、こうした方がよくないだろうか、こうすべきではなかった、こう演出した方がよかった、とやたら余計なことを考えていた気がする。


私はレイトショー?(夜8時以降の上映で1200円)で見たんですが、それでも高く感じてしまったかなぁ。

ワンコインなら別によかったかな、と思う部分もあるので自分の中で映画の点数は40点くらいなんですかねぇ。

戦闘シーンの動きの描写は…うん、頑張っていたような気がする。


と、そんな感じでしょーか!


以上。