「犯人を手引きした警備会社の人間が、私が働いているビルの最上階にいる。これは、きっと小笠原君が導いてくれたのよ。」
「そうね。偶然じゃないわ。」
松井節子と高梁真弓の会話を聞いて、コリンは違うと思った。
只、運が良かっただけだ。
3人は最上階でエレベーターを降りると、タキシードを着たマネージャーが待っていた。
高梁真弓とオーナーは知り合いであった。
今回、最上階の裏カジノへ入れたのも彼のお陰であった。
マネージャーは、3人を管理室へ案内した。
今夜、裏カジノに入れない代わりに、管理室に設置されている監視カメラからなら中の様子を見せてくれるというのだ。
壁一面に監視カメラが数十台設置され、裏カジノの様子が克明に映し出されていた。
3人は注意深く見た。
田所刑事から入手した資料によれば、裏カジノに出入りしているのは警備会社の重役であった。
重役は裏カジノに数年前から嵌り、借金を作っていた。
そこに犯人が近寄り、金を出して、重役から警備会社のコンピューターに入るパスワードを聞き出したのだ。
犯人は、ハッキングして、事件当夜に松井節子邸の防犯装置を止めると、侵入して小笠原文武と運転手を殺したのだ。
「せっちゃん、嶋村和一の隣にいる茶色のタートルネックのシャツを着た人が、君津川という男よ。」
高梁真弓が、VIPルームを捉えている1台の防犯カメラに指差した。
国会議員の秘書をしている嶋村和一は痩せこけているので、君津川は余計に体が大きく見えた。
影の仲介人と言われている君津川は、野性味溢れる男でもあった。
君津川と国会議員秘書の嶋村和一が、奥のVIPルームで3人の男を接待していた。
VIPルームには、この5人しかいなかった。
3人共に目付きが鋭く、堅気ではないことは明らかであった。
接客をしているボーイ達は、緊張していた。
コリンは勘で、この男達は殺し屋だと思った。
暫くの間、防犯カメラをチェックした。
今夜の裏カジノは、週末のせいで混んでいた。
皆、着飾っていて、特権階級の人間を思わせていた。
コリンは、警視庁の潜入捜査員を探したが、それらしき人物を見付けることは出来なかった。
客の中で、1人の豊満な男が上機嫌であった。
「あの男、元検事。今は弁護士をして、稼ぎが良いのよ。彼も裏カジノに便宜を図っているんだけど、傲慢で嫌な評判しか聞かないわ。」
高梁真弓は捨て吐くように言った。
時間が経ち、客の入れ替わりがあった。
ようやく、目当ての警備会社の重役が現れた。
妻を伴い、ギャンブルを楽しんでいた。
「あの男よ。」
松井節子は、画面を凝視した。
コリンも後ろから見た。
気前が良く、チップを弾んでいた。
接触した人物を注意深く見たが、妻以外の人間とは話はしなかった。
せいぜい、ボーイにワインを注文する位であった。
2時間すると、妻と共に裏カジノを出た。
そこそこ勝っていた。
「尻尾がなかなか出ないわね。」
松井節子が言った。
「オーナーが協力してくれるって、言ってくれたわ。あの重役が裏カジノで、小笠原君を殺した犯人と接触したらしいと、別ルートで聞いたらしいの。本当に困ったことをしてくれたって、怒ってた。せっちゃんが良ければ、重役に何か動きがあったら、教えてくれると言うけど、どうする?」
「勿論、お願いするわ。まあちゃん宜しくね。」
高梁真弓の提案に、松井節子は即断した。
コリンは、松井節子が裏社会の人間と接触することを心配したが、今はあらゆる手段を使ったほうが得策だと思い、黙って2人の会話を聞いていた。
3人はひとまず、5階の高級クラブに戻ることにした。
管理室を出て、エレベーターホールへと向かった。
エレベーターに乗った瞬間であった。
酔っていた元検事の弁護士が、2人の女性に近づいてきて、倒れてきた。
コリンは、エレベーターの前に立ちふさがり、弁護士を支えた。
豊満な体の為、重かった。
弁護士が長身だったので、小柄のコリンに覆いかぶさる形になった。
「大丈夫ですか。」
「いやあ、色っぽい兄ちゃんだな。」
弁護士がコリンに絡んで、ぎゅっと抱きしめた。
松井節子と高梁真弓は不快感を示し、エレベーターを降りて、人を呼ぼうとした。
「いいよ。僕が呼ぶから。先に戻ってて。後から行くから。」
ウィンクした。
「分かったわ。」と言って、2人は先に降りた。
2人きりになると、弁護士は更に絡んできた。
こうなったら、大人しくさせようと思い、コリンは意識的に色目を使った。
弁護士の顔が紅潮した。
『おかしい。僕はストレートなのに。この兄ちゃん、もの凄い色気を出す。』
弁護士はつばをのみこんだ。
「外に出て、酔いを醒ましましょう。」
色っぽく言って、弁護士を非常口へと誘導した。
外で、弁護士の豊満な腹を、殴るつもりでいた。
すると、君津川が弁護士をコリンから離してくれた。
「先生、何してるんですか。嶋村君がお話したいそうですよ。」
弁護士は我に返った。
「ああ、嶋村君か。今行くよ。」
フラフラしながらも、裏カジノへ戻って行った。
コリンは、君津川に礼を言った。
君津川は流暢な英語で返した。
「お前、生きてたんだな。リチャードのことは残念だったな。」
コリンは硬直した。
「6年前、リチャードの所で、武器の調達を頼んだことがあってね。お前、下働きをしていただろう。お前は覚えていないだろうけど、俺は一度会った人間の顔は忘れないんだ。ここにいるということは、景気が良いんだな。元気でいろよ。」
君津川は微笑んで去った。
コリンは、その場に立ちすくんでしまった。
日本は遠い国だと思っていた。
しかし、来日してから、自分を知っている男が2人もいた。
湧いてくる恐怖心を、必死で抑えた。
アメリカ・アラスカ州。
自宅では、デイビットは影無き男との戦いに向けて、準備を進めていた。
日夜、体を鍛え、武器の手入れに余念がない。
代理人兼情報屋をしている初老の男から、影無き男は当分動かないとの情報を得ていた。
そんなある日、初老の男から連絡が入り、今すぐ訪問すると言う。
2時間後には、初老の男がやってきた。
「いきなりで悪いな。実は、松井節子の方に動きがあったんだよ。」
それは、松井節子が、アメリカにいる小笠原文武の知り合いを呼び寄せたと言うのである。
彼女はその男を信用し、関係各所に連れて行っているとのことであった。
「こいつに、見覚えがあるんじゃないのか。」
初老の男はデイビットに、写真を見せた。
デイビットは驚愕した。
松井節子の隣には、背広を着て口髭を蓄えた青年がいた。
コリン・マイケルズであった。
『影無き男を追わないと約束したのに。』
男の手が震えた。
「どうした。顔が真っ赤だぞ。」
初老の男が言った。
デイビットは、コリンに裏切られた怒りで顔が赤くなっていた。
「確か、この男はお前がカナダで助けたと言ったね。」
「そうだ。『影無き男を殺すのを諦めた。』と言ったから、帰したんだ。信用していたのに。嘘をつかれた。」
初老の男は、デイビットの甘さに失望した。
以前のデイビットなら、コリンを殺したはずである。
この男を生かしておいたら、自分の仕事に足手まといになるからだ。
確か、コリンとかいう男は、バイセクシャルと聞いている。
ニ枚目だし、かなり色気のある男だ。
こいつが本気で色気を発したら、どんな女も男もイチコロなるもの分かる。
だが、前のデイビットだったら、こんな若造の色気など弾き飛ばす、ストイックさがあった。
引退した途端、命を助けた挙句、家に帰すなんて、デイビットはすっかり腑抜けになった。
影無き男をデイビットが倒した後は、現場に復帰させて、仕事を斡旋しようと思っていたが、初老の男は諦めた。
この男は、使い物にはならない。
今のデイビットでは、影無き男は殺せないとも思った。
他を当たるしかない。
影無き男を恨んでいる奴は、星の数ほどいる。
もうこれきりにしようと、初老の男は思った。
「とりあえずは、ここまでだ。影無き男の情報が入ったら、すぐに連絡するよ。」
連絡は二度しない。
永遠の別れだ。
握手をして、初老の男は家を出た。
手を切った所で、こんな状態じゃ何も出来やしない。
絶対、自分に歯向かってはこない。
若造に振り回される弱い男など、消す価値も無い。
このまま、放って置けば良い。
どうせ、朽ち果てるだけだ。
1人になったデイビットは我を忘れて、「畜生!」と叫び、コーヒーカップを床に叩き付けた。
長い間デイビットは考えた。
携帯を取り出し、初老の男へ連絡しようとした。
何と、『この番号は現在使われておりません。』とのメッセージが流れた。
デイビットは更に怒り、金髪を振り乱して、携帯も床に叩き付けた。
倉庫からスーツケースを取り出すと、服を投げ入れ始めた。
日本に行くと決めていた。