と言っても蕎麦の話じゃなくてソックスの話です
最近、私の知り合いが「足利銘仙ソックス」なるものを作りました
なんじゃそれ
って思われる方も多いと思いますが、ようは靴下です
ただ靴下と言っても、そんじょそこらにある靴下じゃ~ごじゃいません
足利銘仙の柄を使用したソックスです
足利銘仙?
なにそれ??
と思われる方に少しだけ足利銘仙について説明しましよう
そもそも足利は織物の町として栄え”東の小京都”とも言われてきました
特に大正末期から昭和の時代にかけて足利銘仙なる織物は一世を風靡し
生産高が日本一位になりました
へえ~
で?
なんなの?足利銘仙って?
だから織物なんじゃよ
どんな織物?
うむぅぅぅぅ~~~?!
そう言われても一言じゃ説明できないと言うか何と言うか
詳しい説明はWEBにて「足利銘仙」で検索して下さい( ̄_ ̄ i)
ここでは簡単な説明だけしておきます。
そもそも銘仙なる織物の発祥は秩父とも伊勢崎とも言われておりますが
確かな発祥地はわかりません、ただ当時(明治・大正)時代に高価な着物
に変わり安価な着物の代表が銘仙でした。
その織物の技法は経糸を並べ、それを軽く借り止めをして、その上から柄をプリントします
その後、借り止めをした糸を解しながら横糸を通し織り上げます
すると柄の縁がかすれ、味わい深い絣調の柄が織りあがります
これを「解し織り」と称し足利では機械化に成功しました。
よって安価で大量生産が可能になり全国制覇をしたわけじゃよ
エッヘン!解って貰えたかな!!
うぅ~~?
要するに着物のカジュアル化ってこと?
そう!その通りじゃ!!
今で言うファストファッションじゃな
なぁ~るほど
だったらそう言ってくれればもっと早くわかったのに!
確かに
そこで足利人は大量生産が可能になった事で着物では考えられないような
大胆でユニークな柄をデザインし人気を得たんじゃ
おお~!つまり斬新なテキスタイルデザイナーが育った訳ね
そうじゃ!
当時、日本は海外の影響を積極的に取り入れる風潮がありその流れを
着物にも取り入れたんじゃよ
凄いぃ~~~~~!!
格好いいじゃん!!
足利人って!!
まぁね
だって当時の流行を作り出したってことでしょ!
そう!当時、東京の銀座では足利銘仙の着物を着た人が半分にもなったとか
言う話もあるんじゃよ
ふっへーーーーーー
そんで、そんで!?
おっ!
少しは興味持ったかな
ところがじゃ
時代と言う大きな流れに人々のライフスタイルが変わり
いつの間にか着物に変わり洋服の時代になり機織の職人さんも
ほとんど居なくなってしまったんじゃよ
それじゃぁ~今では足利銘仙は誰も作ってないの?
いや一人だけいるよ!!
川岸光春さんじゃ
へぇ~
川岸さん(通称:川光さん)多分自分が足利銘仙の最後の継承者だろうって言ってるよ。(´д`lll)
そうなんだ!後継者は居ないの?
残念じゃが後継者はおらんのじゃ
じゃぁ~川光さんが辞めたら二度と足利銘仙は作れないの?
その通りじゃ、これも時代のながれなんじゃ(涙)
そこで少しでも足利銘仙を後世に残せたらと言う事で
ソックスを作ったと言う事じゃよ!
なぁ~るほど、じゃ~その靴下の柄は昔の足利銘仙の柄なの?
そうじゃ
はっきりとした時代は定かではないが、おおよそ大正の末期から昭和の始めに
描かれた図柄じゃよ
昔の柄は大胆で夢があり勢いがあったのぉ~
しかし、よくもまぁ~靴下なんかにプリントしたもんじゃな
ほんとだよね
靴下じゃなくてハンカチとか風呂敷にすればよかったんじゃないの?
わしもそう思って聞いてみたんじゃよ
第一話 終了
※ 銘仙の話は学術的検知からではなく、あくまでも聞き伝えられている話です。
足利銘仙ソックスHP http://www.ashikaga-meisen.com