「誇り高く生きよう」
テーマ:メッセージ勇気が ほら わいてくるよ
朽ち果てそうだった心に
誇り高く生きよう 喜びにあふれ
誇り高く生きよう
君のために
忌野清志郎『誇り高く生きよう』(2006年)より
忌野清志郎が亡くなった。俺の青春のスターがまた一つ消えた。俺は今年38歳だが、清志郎に出逢ったのは音楽に目覚めて間もない中学2年生(1980年代前半)のときだ。RCサクセションはまだ活動していた。ラジオで初めて清志郎の曲を聴いた。
清志郎は、ホンモノのロック=スターだった。
俺らの世代は第2次ベビーブーマーのまっただなかだったが、俺らより上の世代の人たちにとっては、RCサクセションの時代から、清志郎は青春そのものであり、勇気づけられてきた人たちも多かったのではないかと想う。俺らの世代が清志郎と青春が重なり合う最後の世代なのかもしれない。
清志郎の『誇り高く生きよう』は、つい最近発表された名曲だ。彼は死ぬまでホンモノのロッカーだった。亡くなったのは本当に残念だ。冥福を祈る。
俺ら精神病者にとって、もっとも大切なものは《誇り》なんだと想う。それはべつに精神病者でなくてもそうなのだろうが、特に俺ら精神病者にとっては《誇り》は最も大切なものだ。
俺ら精神病者は、人生のなかで、何度も《誇り》を奪われ、《誇り》を手放すことを強要された。家族・親族・近所・学校・職場等のなかで蔑まれ、迫害され、精神病院に閉じこめられ、精神薬を大量に飲まされ、ESをされ、殺されてきたし、いまも殺されている。
だからこそ、俺は、《誇り》を大切にしようと想う。死ぬまで《誇り》を大切にして生きていきたいと想う。なぜなら、本当に《誇り》を大切にしようとしている人間からは、誰もその《誇り》を奪えないからだ。どんな権力も・「専門家」も・しがらみも・ESやクスリのような暴力も、俺から《誇り》を奪うことはできない。
たとえ、殺されると脅されても、《誇り》を奪われることはない。殺されるその瞬間まで《誇り》を持ち続ける。
《誇り》を奪われるなら、死も、殺すこともいとわない。これは理屈ではない。アタマのなかでしか人間を「理解」できない人間にとっては文字通り理解できないだろう。
俺は、死ぬまで《誇り》を持ち続けて生きようと想う。
そして、そういう患者・精神病者が実はたくさんいることを忘れてはならない。
それが、ホンモノのキーサンなのだ。
忌野清志郎、ありがとう、永遠に!!!






