クライアントに罪はないし、クライアントに罪を見ない。 | 踏み出す一歩が自分(せかい)を変える

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自分に還る。

こころの温度を上げていこう♪


あっという間に2週間…で、明日は 稲垣佳美さんヒーラー養成講座2日目わーい

そういえば、前回(1日目)の講座で
「世知辛い」の話、まだ記事にしてなかった気がする… 汗



初日は「スピリチュアル」についてや「ワンネス」「赦し」
「認識」や「癒し」「エネルギー」などなどなど
がっつりと盛りだくさん

それが、小気味の良い稲垣節(?)に乗って
するする(ときどき、ガッツーンっと自分の中に入ってきたのだけれど

とりわけ強く残っているのが



クライアントに罪はないし、
クライアントに罪を見ない。

ヒーラーが罰してはならない。




これ、コーチもそうよね。

カウンセラーや講座の講師もそうだろうし、
それこそ、「親」も、そうかも。



そもそも「問題」って、
「問題」と見る(問題視する)から、「問題」になる。

…のよね。



もちろん、「問題」があるからこそ「答え」が導き出され
それが「ソリューション」となって「変化」「進歩」につながる、
ということは、ある。

ただ、この場合の「問題」は、「変化」「進歩」につながる
「ソリューション(解)」を導くためのもので

いわゆる「問題視」という場合の「問題」は
「正しくない」「不都合である」「不適切である」etc
「正すべきもの」という前提。



たしかに、セッションをしていると
クライアントさんの中に不整合やら、エネルギーを削ぐような信念やら

「それ、持ってて、幸せですか…?」
「それをやっていて、ほんとうに幸せなのでしょうか…?」

と思わず問わずにはおれなくなるような感覚が湧くときがある。



でも、自分(ヒーラーだったりコーチだったりの自分)が
そのように感じる、ということであって

それと、クライアントさんを正そうとする、というのとは
別のハナシ。



それ、誰のためのセッション?  だよね。

そもそも、言うなれば「正しさ」なんて、人の数だけ存在するのだしブタ



稲垣さんが仰っていたことで、素晴らしいなと感じたのが

「どんな人生も、どんな経験も
光へいたるプロセスである」


一見「わるい」ようなことでも、
それはその人にとっての「光へいたるプロセス」。

それを信頼する。



まず前提にこれがあるからこそ、
たくさんの人が、バーンとかドーンとか斬ったり吠えたりされに(?)
個人面談やセミナーに行列をつくっているのだろうなぁ。



自己信頼…自分自身を尊重し受け容れる。自分自身を否定しない。

まず自分を尊重し、そして相手を尊重する。


自分も相手も誰も悪くない、という視点で物事を考えること。




だからこそ、「クライアントに罪はない」し、「クライアントに罪を見ない」
もちろん、自分自身にも。


自分も相手も誰も悪くない。

もし「悪い」ものがあるとしたら、
その人にとって苦しい、幸せでない前提や思い込み、無意識の好き嫌い

と、罪悪感…



さて、明日も楽しみだ
早よ寝よ…ブタ