先日、フェイスブックに「自己啓発書や成功哲学の類は、ある程度経済的に成功した人にとっては良薬であるが、そうでない人にとっては毒薬以外の何物でもない。」という投稿をしたところ、複数の人からその投稿の真意について尋ねられました。

特に深い理由はなく、ふと頭に閃いたので何気なく投稿しただけなのですが(私はこういうことがしょっちゅうあります)、良い機会なのでここで左脳的に整理してみたいと思います。

自己啓発書というジャンルの書籍は数多くあります。
有名なところではジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」、カーネギーの「道は開ける」や「人を動かす」、ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」というような名著があります。

私は今まで正直なところ、これらの自己啓発書をずっと敬遠しておりました。
が、最近になって気が変わり、狂ったようにむさぼり読み始めております。

この類の本を読むに相応しい「経営者としてのステージ」があるのだろう、と思います。

そしてそのステージに達していない人が、いくらむさぼり読んだところで、それは次のステージに上るのを邪魔する足枷にしかならないだろう、と思います。

何故かといいますと、創業期や慢性赤字期など事業が軌道に乗りきらないステージにおいては、自己啓発書に書かれている綺麗事で片づけられないことが山ほどあるからです。

更にいいますと、そんな本なんぞ読んでる暇があったら1円でも多く稼ぐことを考えろ、ということです。


ビジネスというものは試行錯誤の連続です。
軌道に乗らないステージにおいては尚の事です。

戦力にならない従業員を無理やり辞めてもらったり、仲の良かったビジネスパートナーや採算の合わないクライアントをバッサリと切り捨てたり、利害関係者と揉めて法的問題へと発展したり・・・。

「そのようなことは今まで全くない。私は常に清廉潔白だった」と言い切れる経営者は皆無でしょう。
ある程度のステージに上り詰めた経営者は皆「死んだら地獄に落ちるだろうなぁ」と思っているのではないでしょうか。
実は私もその一人です。

最初はとにかくビジネスを発展させること、継続させること、そして1円でも多く稼ぐことが至上命題です。
綺麗事なんぞ二の次です。
とにかく稼いでナンボです。
稼ぎまくってビジネスを発展させることによって、ようやく次のステージが見えてくるのです。

そのステージに至るまでは、自己啓発書なんて読む暇があったら、とにかく稼ぐ方法を寝る間も惜しんで考えることです。

ただ「使命感」だけは持つべきです。
それは幼少時から培った道徳観に基づくものです。
自己啓発書によって得られるべきものではない、自分自身の内側から湧き出る魂の叫びみたいなものです。

そして例えば従業員を辞めさせるときなどは「ああ、いま私は血も涙もないことをしているな」と自覚することです。
自覚するだけで十分です。
するべきことはしなければなりません。
何度もいいますが、綺麗事ではないのです。


この混沌としたステージを乗り越えると、今までとは全く違った景色が見えてきます。
ようや「品格」というものが要求されるステージです。

もちろん綺麗事ばかりではないのは当然ですが、そういった諸々含めて全て従業員を中心に廻り始めます。
経営者自ら両手を血に染めなくても、従業員により解決され、浄化されます。

周囲の利害関係者も、自らのステージに相応しい人が集まってきます。
ワンマン型経営から組織型経営への脱皮です。

そうなりますと、じゃあ自分はいったい何をすれば良いのだ、と経営者は疑問を持ちます。
その答えは自己啓発書にあります。

ン十万円、いや百万円を超えるような経営者向けの自己啓発系プログラムがいくつか存在しますが、私の知る限りにおいて、その類のプログラムを購入した経営者はほぼ全て事業に失敗しております。
自己破産したり、なかには自殺した経営者もいます。
何故なんだろう、と今までずっと考えていたのですが、要はその類に相応しいステージではなかったのです。
そんなものに自己投資する予算があったら、もっと販売促進やマーケティングなどに投資すべきだったのです。
綺麗事はその後、です。

と、ここまで読み直して随分と過激なことを書いたなぁ、と改めて思ったのですが、神田昌典が初期の頃、これと同じような内容のことを言っておりますし、まああながち間違いでもないと思います。


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